時代の境目2019年
今年は僕自身色んな事がありましたが、それはさておき、料理人として20年生きてきた中で今年以上に働き方改革的な考えや、料理人の新しい何か、そして既存の料理人の在り方と新しい料理人の在り方が錯綜した年はなかったんじゃないでしょうか?
現場でシェフとして働く事以外の働き方が出てきたと言う事は僕らの職の幅が広がったので凄くいい事だと個人的には思っています。ただ個人的になんとなくそこに憧れすぎる風潮がある気がして、その点だけはなんとなく首をかしげてます。
今個人で活動をしている世間からもしっかりと認められている数名のシェフ(あえてシェフと呼びます)はその前から独立しても成功間違いない。ぐらいのキャリアの持ち主だったので、確かに今の状況はびっくりだけど、自他ともに認めるべき状況な気がします。
企業で働いている人は気にしなければいけないのが、労働環境の改善。
よく言う非ブラックな働き方ですね。
でも、僕ら料理人の出口は本来自分で設定する物であって、人に設定されるものではない気がするんですよね。
どんな料理人になりたいのか?ミシュランを取りたいのか?それとも料理だけ作れる環境であれば幸せなのか?
本当に様々なスタイルがあるので、勿論全て正解でその人が求める姿がそこにあるのであれば全く間違いはない。
ただ、一日の労働時間を設定する事すらナンセンスに感じる事すらある。
営業時間を設定することはあっても、自分が努力したい時間や練習したい事案は自分で設定すべきではなかろうか?
既定の時間で終わらなければ早く来てやればいいだろうし、思い通り上達しなければ休みの日に来て学ぶべきでもある気がする。
勿論、これは強制ではなくて前向きにの話。
それをするからこそ、人が出来ない努力や手間をかけるから、人に見えない景色が見える可能性があるのではないのかな?
努力や厳しい修業は嫌だが、明るい将来を目指したい。気持ちはわかるが少し都合が良すぎやしないだろうか?
人が決めた法律や労働基準法はあくまでも一般的な規定の一つ。更なる高みを望む人達にとっては必要ない気がする。
そんなものは人に決めて貰うのではなく、自分で決めるべきである。
やってはいけない物を探しすぎている気がするのは僕だけかな?
色んな方が言う様に職人やアスリートと同じ感覚である筈のシェフ。
グランメゾン東京でキムタクが朝早くから夜遅くまで試作をしている姿をドラマの中で何度見ただろうか。そしてその時の彼は辛そうだったか?
良い料理が出来ないジレンマで辛そうな一面は見えたとしても、働く時間が長くて辛そうな一面は全く見えなかったと思っている。
その代わり、目標の料理が出来た時の嬉しそうな瞬間は涙が出るほど共感できるものであったはず。
努力をすると言うのは多くの場合、何かを犠牲にしなければいけない可能性が多い。でも必ずその代わりに得られる物があるとも感じる。
個人的な感覚だと個人で活躍するシェフになる方がレストランのシェフで認められるより大変だと思っている。
なんせ全て自分の力が全て。レストランはお店のサービスや内装、スタッフと共に作り上げる事が出来る。それがレストランの強みでもある。
(人不足だから人集めは大変かもしれないけどw)
でもフリーで成功すると言う事は並大抵の事ではない。
2020年は色んな働き方と言う可能性が出てくる、今年より激動の一年になると思っている。僕自身、世間に置いてけぼりにならない様に自分の考えをしっかりと持ち続け、自分と言う人間を発信するのはとても大切な事だと思っている。でもそれと同じぐらいゲストやスタッフの事も大切に思っている。
なりたい姿と言うのは数年に一度は必ず変わる。(僕の場合)
でも変わったとしても、その変わった目標や努力に全力で突き進めるように常にアンテナ高く一歩づつ前進していきたいと思う大晦日。
年末営業終了と共に引き起こしたインフルエンザのおかげで一人で色んな事を考える事が出来、年内しっかりと考えて2020年も頑張れよ!と誰かに背中を押されている気がした。
みなさん、何はともあれよいお年をお迎えください!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?