内省をビジュアル的に描き留める、見返す。そしてまた表現する、その繰り返し。
このnoteは、とある授業の、授業用Webサイトに寄稿したものです。
一部、脈絡のない文章になっていますが、ご容赦ください。
今日は、この前のプチ課題にあった「内省エクササイズ」について、わたしのデザインの現場で、どのように役立っているのか、紹介したいと思います。(だいぶ長くなるので、コラム気分で読んでくださいね。)
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さて、内省エクササイズと呼んでいましたが、私の普段の言葉で言うと「省察」という言葉になります。これをGoogle大先生で調べると「自分のことをかえりみて考えめぐらすこと。」だそうです。この省察のチカラを私はデザインの源に変えている、ということでしょうかね…。
自分のことをかえりみる、というのは、言うまでもなく「内省エクササイズ」で皆さんもやってみたことでしょう。きっと、省みる・描いてみるの繰り返しのうちに、「あ〜こんな所が好きだったんだね!わたし!」みたいな感覚はありましたか?結構あると思うですよね…。デザイナーは思考の中にある気づきもまた、かたちにできる技を持っているとも言いますし…。(この辺りのお話はこないだの講評会でもちらっと言ったような…。)
つまり、わたしが省察ノートを役立てる場面は、振り返る中での気づきを得るとき、それをかたちにする時、です。
その実践した事例として、私たちのゼミで石山緑地に出かけた時の省察noteをご覧いただければと思います。
この事例では、私たちが石山に行った時に得た感覚などを私の視点で綴っています。この途中で出てくる付箋がたくさん貼られた画像がありますが、これは行ったみんなの省察ノートをお互いに見て、感じた感想をペタペタと貼っていったものです。
省察ノートって面白くて、同じ場所に行ったけど、一人ひとり違うんですよね。ただの出来事まとめノートだと同じになってしまうけど、自分の経験や体験を振り返りながら書くことで、その人の人生との重なりが表れる。そのことで、みんなが違う体験・感覚を得ているんだ!という気づきを得られることができます。「あの人はこう思ってるんだ〜へぇ、おもしろ!」とかいっぱい見つかったら楽しいですよね!
こんな感じで、気づきや共通点、違う点などを、私たちが自分自身のことを振り返り、それをノートに残すことで、みんなとシェアできたり、さらに振り返ることができる。これがわたしのデザインの中で活きている省察ノートのチカラ、だと思うのです。
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ここで、もう一つわたしが書いたノートをシェアしようと思うのですが、サイズが大きいので安定した回線のところでなるべく開いてくださいね。
これは、わたしが京都のとあるミーティングにお邪魔した時の記録です。(大判ノート)と呼んでいます。
実は、この大判ノートは京都から帰ってきて、落ち着いてから書いたものです。この大判ノートの元になるものは、B5の紙およそ5〜6枚くらいにわちゃわちゃと書いたものでした。流石にそのままだと、書いてあることはわたしにしかわからない。それじゃあ私が学び得てきたものがわからない(伝わらない)から、もう一度整理しよう!として書いたのが、上にシェアした大判ノートです。
とはいえ、伝えるための図になっているか、と言われると少し疑問ですが…。情報を整理することは、プロセスをわかりやすくすることや、構造を明らかにすることなど、様々な要素を組み合わせていることは、これまでのtumblrなどでも書いてきたことですが、それがたっぷり詰まっているのがこの大判ノートかもしれないな…と思いシェアしてみました。
ノートの書き方以前に、内容もしっかり詰まっている、大切なノートなので、もっと聞きたいよ、とかあれば遠慮なくお便りくださいね。
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さて、長々と書いてしまって申し訳ないのですが、最後の話題です。最近書いたわたしのnoteをシェアしたいと思います。
わたしがここで書きたいことは、このnoteにたくさん書いてあるのですが、省察ノートを書くときは、自分のことをいつもと違う視点で省みて、いつもは描かないような些細な出来事や気持ちを、たくさん描いて、それをまた見返して欲しいな、と思うわけです。
例えば、毎日のシャワー後の冷たい麦茶の喉越しとか、暑い日に空を見上げる首と目の痛みとか、失敗した日の帰り道に感じる肩の重みとか。そんなことを自分の省察ノート、いやデザイン提案の中にだって、たくさん描いちゃえ!と思って欲しいわけです。
何気ないことかもしれないし、それを描くことで明確な何かが生まれるわけではないかもしれないです。でも、そうしたことを描いているうちに、自分でも結び付けなかった「もの」や「こと」同士を結びつけてしまえる、そうした気がするのです。
実際に、わたしがこれまで書いてきた省察ノートには、「わたしの身近なものに例える」とか、「似たような感覚を言葉にしてみる」とか、「わたしの体験の中で思い出すと」とか、わたしのことを通してものやことを見返しているシーンが多々出てきます。そこから気づけたことももちろん多々あります。
そして、人びとは、何気ないことから、生活のワンシーンを想像できるはずなのではないかと思うのです。おいしいものを思い出すときって、香りとか、湯気とか、箸で持ち上げた重さとかがあると、記憶に奥行きが生まれると思うのです。これって、何気ないことかもしれないですが、これこそが、生活の想像のきっかけであり、大切にしたいことかな、と思うのです。これがあるだけで、誰かに伝えようとするときの話題や会話の熱源になることだってあるし、自分で思い出すときのきっかけにもなるかもしれないです。
もしかしたら、私たちは気づかせる、気づいてもらうために、様々なもの・こと・言葉・図・ノートを自分の表現で残しているのかもしれませんね。
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わたしの投稿、書き始めると毎回長くなってしまってごめんなさい、という気持ちたっぷりなのですが、ぜひ伝えたいな、と思っていたことなので、遠慮せずに書いてしまいました。
書き留めること、言葉を大切にすること、かたちにしてみること、繰り返しやってみること、今一度わたしも大切だな、と身に染みました。
陽の光に癒される季節から、降り注ぐ陽射しが痛いくらいの季節に、あっという間に移り変わるかと思うと、少し焦燥感が募ることもありますが、皆様方は1日に1度は外の空気をうんと吸い込んで、穏やかにお過ごしくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。 皆さんから頂く「スキ」とか、コメントとかがとてもうれしいです。 なんだかもう少し頑張って生きることができそうです。 いただいたサポートは、毎日わたしが生きやすい世界になるために使います。 これからも、どうぞよろしくおねがいします。