書けん日記:34 野良仕事における出来事たち
前回は、農業の日記でしたが――
……今回も、農業です。
最近の不肖、5月の農繁期の不肖めは、もはやダマされるまでもなく日雇いの野良仕事に従事。テキストお仕事も無い今は、悲しいかな、心置きなく朝から夕方まで肉体労働で日銭を稼ぐ日々。
5月なのに、すでに灼熱の晴天の下だったり、雨降りの中のずぶ濡れだったり、倉庫の中での一発労災ぎりぎりだったり、人類の限界を試す室温50度に達する温室ハウスの中だったりで……。
その日ごとに、労働力の足りていない現場に投入される日雇い農奴な不肖――そんな、思考停止せねば精神が壊されるような現場でも、日々、何かしらの出来事だったり事件が起きて、不肖を右往左往させる。
あるときは……。
・Case1 備品
日雇いの、野良農作業。前回のごみすくいの熊手や長靴と同様、荷担ぎ、草刈り、田植え、様々の労苦にも専用の道具が必要となる。
それらは長靴や鉄芯入りの作業靴だったり、防水サロペットだったり。トゲだらけの雑木から手指を守るグローブだったり、草刈り機のエンジン振動を軽減する防振グローブだったり。日よけの麦わら帽子、ターバン、日焼け止め。雨合羽。ノコギリ、鉈。
それらの備品は、日雇いの場合すべてが自前だ。必要経費として、日払いの日給の中から購入するそれらは、なるべく安くとも、それなりの性能のものを選ばねばならない。それらの性能は、作業効率だけでなく、時には日雇い農奴の身の安全を守れるかどうかにも……関わってくる。
その日は、草刈り作業。圃場に、大型の田植え機や、麦刈り用のハーベスターが入る小道の草を刈り、万が一にも機械が悪路や轍で擱座したりしないようにする、地味だが、急がされる作業だった。
その日は、雨の合間の曇り空。灼熱の日差しがないぶん、まだ楽だな……などと思いつつ、書けん作家から農奴堕ちしていた不肖は、愛用の草刈り機をサスペンダーで装備。頭にはヘルメット代わりのターバン、顔にはマスク。頑丈なサロペットに長靴。防振グローブ――
草刈りの際は、草刈り機のチップソーの回転刃が、どうしても地面の小石やゴミを弾き飛ばしてしまう。周囲に別の作業者、そして通行人がいないかどうか注意するのも大切だが……作業者本人の防御も大切になる。
そして、その日は……
不肖「……。今日は曇りだし、この圃場だけだから――どうすっぺ」
日差しが強いときには必需品となる、サングラス型の防塵ゴーグル。曇りの日だと、視界が暗くなるので透明なゴーグルを使うのだが……その日の不肖は、10分ほどで終わる草刈りのためにゴーグルを出してくるのもおっくうで。だが……。
その日は、サングラス型のゴーグルを装備して、曇空の下で草刈りを。
機械が降りるための、斜面の荒れ地。そこに生い茂った雑草を草刈機のチップソーで薙いでゆく。ひとつの圃場は10分ほどで終わらせ、次へ行かなくてはいけない。不肖は、高速回転する鋸歯で草むらを――
ガンッ!! と――不意の鈍い音。そして……衝撃。
……よく、殴られたり撃たれたりしてぶっ倒れる描写があるが――まさに、それ。
草刈り機のエンジンのトルクが、そのまますっ飛ばしてきた空き缶をもろに顔面に受けた不肖は、斜面で背後にぶっ倒れ……。
一瞬、何が起こったかわからないまま。頭部への衝撃で、口の中に血の味が広がる。意識はあるが、軽い脳震盪で起き上がれない、何も考えられない。草刈り機は、握っていないとアクセルが入らないグリップセフティつきのおかげで、危険な回転は停まって……農奴とともに、草むらに転がる。
……しばらくして――
農奴は、ようやく起き上がり。何が起こったか……把握する。
農道を通って近道する、一般通行の車。それが投げ捨てた空き缶が、草刈り機の回転で飛んできた、顔面にあたった。
……血は、出ていない。歯も欠けていない。ただ、視界が妙にぼやける。
まさか、目をやられた……? 不肖は、まだうまく動かない手でゴーグルを外して……気づく。
空き缶が痛撃した、ゴーグルの右目部分が割れていた。視野がぼやけていたのは、この裂け目のせいだった。
……もし――このゴーグルがなかったら。
……さっき、曇り空だから、10分で終わるからまあええか、と裸眼で作業していたら。
物理的に、書けん作家になってしまっていたかもしれない。
不肖は、曇り空の下で一人、冷や汗をかきながら。割れたゴーグルを付け直し、ブレる視界の中で草刈り作業を再開。
……これが安い、100均で売ってるようなゴーグルだったらどうなっていただろう?
日当の半分ほどの価格の装備が破損する、手痛い損失だったが……備品の性能というのは、とても大切。
それを噛み締めた、野良での出来事。
・Case2 母親
野良仕事での草刈りは、5月の田植えシーズンから始まり、そのまま麦刈り、そして夏場のあぜ道整備と……3ヶ月近く、灼熱の晴天下、炎天下で続く。
その日の不肖も、草刈りに投入され……不慣れなバイト農奴だと、チップソーをコンクリに当てて破損してしまう水路際の、めんどうな圃場の草刈りを、不肖はその日、朝から開始――
そして。昼休憩間近の頃、草を刈る前に、畔に落ちている枯れ木やゴミなどを撤去する作業をしていた不肖、その足元、眼の前から……突然。
バサバサバサッ!! と……大きな鳥の羽ばたきが。びびる農奴。
……キジだった。メスの、地味な縞模様のキジ。それが、この季節、足元から飛び立ったということは……。
……やっぱり、あった。
足元には、キジの巣。そしておそらく、産みたての卵たち。
この季節は、キジの繁殖シーズン。メスのキジは、ひと気のない草むらなどに営巣し、そこで産卵。メスだけで、抱卵し、子育てをする。
なお、オスのキジはまったく子育てをしない。広大な縄張りを持ち、複数のメスと交尾し、あとは縄張りを守るためにオス同士で争うだけのキジのオスは、絵に書いたようなろくでなしのオス。甲斐性なしのオス。なお、メスやひながカラスに襲われていても見ないふりをするダメ男、それがキジのオス。
……それと比べて、キジのメスは――
自分の巣、卵たちを命がけで守る。人が近づいても、ギリギリまで逃げない。そのため、草刈りなどしているとチップソーの刃で、卵を守るメスを傷つけてしまう事故が発生するほどだ。
……この日は――
私が、枯れ木を畔からどかしていて。メスを驚かせてしまった。巣から、メスが逃げ去ってしまった。そこに残されたのは……11個の、キジの卵。
……正直、この季節の野良仕事ならばよくあること、よくある事件。他の農奴たちなら、気にせず巣と卵を足蹴にして作業を進めるだろうが――鳥とか野生動物好きの不肖に、それは出来ない。かと言って、卵を保護して、自前の孵卵器で雛を孵して、世話をするわけにも行かず……。
……困った――
驚いて、巣から逃げ出したキジのメスが、再び巣に戻るかどうかは……半々。メスが戻らず、卵がイタチやネズミのえじきになることもめずらしくない。
だが、不肖は……その巣の卵の数が多い=あのキジのメスは、母親は何度も子育てしているベテラン、肝っ玉母さんだと推測、その確率に賭けて……。
巣の周囲の草を、作業を放棄していない程度のところまで刈り、キジの巣の周囲の草は巣を隠す、安全が守れる程度に残して……その圃場から、撤収。
野良日雇い定食の麦飯弁当をガツガツ食べて……次の現場へ。そのキジ巣からは、距離を離す。……メスのキジは、逃げるときは飛ぶが――戻るときは、あの模様を迷彩にして、草むら、枯れ草の間を縫って移動する。
もしかしたら、こちらが気づかないうちにあの巣に戻るかも……?
不肖は、一縷の希望を胸の奥に。別の現場での作業を、夕刻の定時まで続けた。
そして――作業終わりに。
不肖は、あのキジの巣があったあぜ道へ。……今度は、そうっと。ゆっくり。もしかしたら、そこにいる勇敢な母親を驚かせたりしないよう、慎重に……。コンクリの上によじ登り、そうっと、そうっと……。
…………よかったああああああ。
勇敢な母親、慈愛に満ちた母親と子どもたちの安全と成長を祈りつつ、不肖はその場をそうっと離れる。
この圃場に、再び草刈り機が入るのは2ヶ月後の真夏。そのころには、うまくいけば。この母親と、生まれた子どもたちは元気に野山を走り回っているはずだ。
・Case3 執着
本日の不肖は、いつもの。な。野良の圃場で、しろかきされた水田のごみとり作業。なんだかんだで、この作業ももう何年目――熟練の日雇いな不肖は、信頼もされてか、単独で圃場に投入される。普通のごみとり作業は、バイト2~3人に、監督。それが、不肖だとソロで進められるのだから雇う方にとってはかなりお得だ。なお、私の時給は変わらないものとする。
その日も、晴天の下。水田の泥水の中に入って、じゃぶじゃぶ。がさがさと、水田のごみとり作業。ばかみたいに単純な仕事だが、これをやらないと田植えが出来ない。
素人のバイト君だと、泥水をかき回すだけで終わって、仕事が進まない。私くらいのベテランになると、風の向きと流れ、そして僅かな泥水の対流を読み、そこに浮かぶゴミが集まる場所に陣取って、水田の泥の中で黙々と作業を続ける。……こんなベテランに、なりとうなかった――
その日も。
不肖は単身、広大な圃場、いくつもの水田が並ぶそこで孤独な作業に従事。いまでこそ、農業法人が一括管理して作業するこれらの水田だが……昔は。
江戸時代、もっと前の戦国時代。それ以前、平安の荘園時代。もっと昔の古墳時代から、この河川周辺は田んぼで、1000年以上、この土地で人々は泥沼の中を這いずるようにしてコメを作ってきた、そんな土地。
そういう田んぼで、一人、作業をしていると……たまに、ある現象に遭遇する。
その日も。
水田の泥の中で、ざぶざぶ、泥水をかき分けて歩き、作業する私に――
…………。またか―― と。
たまに、よくある。
私の鼻腔に、泥の臭いや、5月の風の香りではなく……線香の臭いが、入り込む。
周囲に民家など無く、墓場も遠い水田の真っ只中で。お仏壇や墓石にそなえる、お線香。その線香の煙の香りが、気のせいなどではなく、確かに。ずっと……私にまとわりついて、香ることがある。
最初は、わけがわからなかったが。これがたびたび、あると――
不肖「ちゃんとやるから。気にせんでええよ」
不肖「一反ニ畝もある、石も出ねえ、ええ田んぼじゃ」 と独り言する。
その線香の臭いは、最近のおしゃれなそれと違い、昔の、昭和を感じさせる……煙に、椨、タブノキの成分が多めのそれ。
それが、なにもない水田の中で急に、漂うのだ。
不肖は、その現象を『泥田坊』だと思っている――
死してなお、生前に血汗で耕し、丹精込めた水田を守ろうとする農夫の執念、それが妖怪となった泥田坊。
妖怪まで行かずとも。
……この水田を、ずっと耕して米を作っていた農夫。何よりも貴重な宝だった、その水田に――今は、その農夫の子孫ではなく、日雇い農奴の不肖が入って作業している。
そしてどうやら……『彼ら』は、相手が子孫かどうか分かるらしい。
「おまいは誰じゃ」「なんで血筋でもないもんが田に入っとる」 と。
それが気になって『泥田坊』は突出してしまうのだろうか。
そのときに、線香の臭いをまとってくるのだろうか。
線香の臭いをまとっているということは、仏教式の葬式をされて、お浄土に送り出されたはずなのに――
執着、だろうか。
それほどまでに、昔の水田というのはかけがえのない宝だったのだろうか。
現代の、日雇いの時給でこの水田の整備をする、百姓にもなれなかった水呑み百姓のせがれ、この不肖には理解できない心根なのかもしれない。
そんな事を考えながら、作業をするうち。
5月の風が、泥と青草の香りをまいて吹き抜け、線香の臭いはどこかに消え失せてしまった。もう、昼だ。
――はらが、へった。