書けん日記:11 両手いっぱいの……
冒頭から、唐突ですが――
私が少年時代に、脳を大火傷するはめになった数多の、綺羅星のようなアニメ。
そのひとつの『ガルフォース エターナル・ストーリー』のエンディングテーマがこちら「両手いっぱいのジョニー」。
――今日も、今夜も書けなかった。
……今日は用事があった、出かけていた、などと言い訳をしても。
書けなかった、テキストエディタは白いまま、キーボードにはうっすらと埃がかぶさったままなのは変わらず……また、明日も同じ愚行を、同じ後悔をするはめになるのではないか、という。
……書けば、それで救われる。極めて単純な、私の苦海。
……だが、それから抜け出せなかった、そんな夜に――-
本を読むかわりに、もはや太古の異物であるCDたちを、当時、私の脳を熱く滾らせてくれたアニメたちのオープニング、エンディングなどのCDを掘り出し、ノートパソコンのスロットに差し込み。
……聞いてみる。そんな夜。
そして……CDと一緒に、昔のノート、紙の帳面が発掘されることが……ある。
アイディアノート プロットノート 極秘(これを見て死にそうになった) など。
その帳面には、私の名前とともにタイトルが書いてある。
その帳面には、まだ若い頃の私、物書きになりたかった頃の、バイトも長続きしない田舎者の若造だった――その妄念、熱情だけで動いていた私が書きなぐった思いつき、アイディアにもなっていないたわごと、陳腐なセリフまがいが……並ぶ。よくもこんなに書いたものだと、今の私が感心……否、ドン引きするほど。
……懐かしい。
もはや、使われることのないアイディア。使おうにも石化して朽ちているプロット。今だとこんなん恥ずかしくてよう出さんわい、なセリフ。キャラクター。
当時の私は、鬱屈し、全く未来の見えなかった生活の中で――『これ』を書きなぐり、溜めることだけが生きがい、否、はっきり言うと逃避だったのだと思う。
今の私は、天佑に恵まれなんとか、物書きの末席にしがみついて居られるが……。
これらの、もう使われることのないメモ書きは。私の足元を支えてくれている……のだろうか? もしかしたら、これは一種の『呪い』なのではないかと。
私のパソコンのハードディスクに眠っている、もう外に出ることのないテキスト群と同じく。このまま捨てても何の呵責もない、無意味な存在なのかもしれない、と。
私は、古びて紙が朽ち果てそうなそのノートを見て、思い。そして……。
先日――
T氏たちとの酒の席で、私はつい口が滑って
不肖「書きたいものはねえ、たくさんあるんです。ネタは。いくらでも」
不肖「あの晴明神社の陰陽師が言ってたみたいに。ネタは、あるんですよ」
不肖「でも私、手が遅いじゃないですか。たぶんそれを全部書ききれない」
不肖「いやー、一生かかっても書ききれないなー。世界は、人生は残酷だなー」
滑り過ぎである。
なお、私が滑ってる間、酒場のメニューを見、少しうつむいて笑ったまま、黙っていたT氏は、私のあしらいが手慣れすぎていると思った(小学生並み)。
――と。
酒の席で滑らせたたわごとではあったが、それはおそらく『呪い』のように本当で。私は、今抱えている、まだ形になっていない、まだ人様に、クライアントにも見せていない数多のネタを、プロットを抱え落ち(STG用語)するのは、確実だと思う。
古代ギリシャのミダス王、触るものがみんな金と化す、あの物語ではないが。
使えない、金にもならない、食えないネタをいくら、抱えていたところで。
それは私の力にならない、ただの『呪い』なのではないかと……。
そんな物を抱えているから、普段の仕事も書けんのではないかと――
作品のテキストを書いているときでもそうだが、ありあまるアイディアやソースは、足を引っ張ることがまま、ある。
「ここでこういうセリフを言わせたい」「この伏線をまいておきたい」
「ここで見せ場を作っておきたい」「こいつの過去も語っておきたい」
……これらは大抵、失敗の、書けん有り様の導火線になる。
そしてこれは、一本の作品を書いているときだけではなく――
次の作品に取り掛かるときも、足かせとなることが多い。
本来は、創作、作劇の重要なパーツであるはずのアイディア、物語の種子であるはずのアイディアが、発芽しようとしている作品に対して「俺が俺が」「俺のほうが面白い、俺を先にやれ」と、亡者のように覆いかぶさろうとする。
プロの作家さんたちは、もちろんこれを上手く制御して、乗りこなし、次々と作品を送り出すのだろうが――不肖の私は、本当に気をつけなくてはいけない。
この、貯蔵されているアイディアというやつらが。いとも簡単に、私を籠絡し、口説き落として代わりに外に出ようとして……そして私ごと、落ちる。
これらのアイディアを、しっかりと管理し――
まさに刑務所、監獄に、囚人のように閉じ込めて。何を吠えようが閉じ込め続け……そして開放の日が来たときに、そこから出して――他の囚人のことは、また閉じ込める。
創作にはこういう強さも、必要なのだなと……痛感する、そんな夜。
そのメモ書きの中から、発掘されたテキストの中に。
まさに、その『呪い』を、私がネタからテキストに起こしたものが見つかった。
……世の中。
『わかっていても出来ない』 ことがあるという、私の懺悔と自戒を込めて、こちらで供養させていただければと思う。
聖ジョルジュの竜たいじ
昔むかし。
かの聖王ハールーン・アッーラシードの御世よりも、さらに昔の物語。
緑なす豊かなリビア王国。その辺境の地に、いつしか竜が住み着いていた。
その竜は、荒野の彼方にある岩山の洞窟に住み、周囲を燃える石と油の毒で覆いつくし、人々を苦しめていた。
その竜を倒すため、数多の戦士や騎士が龍の住む山に出陣していったが。彼らは誰ひとり帰ってこず、その度に竜は怒り狂い、大地を揺らして王国の人々を数多く殺し、街を毀つていた。
竜に苦しめられ、苦渋の果てに――リビアの民、そして王は。姫君の一人を生贄に差し出し、竜の怒りを鎮めようとした。
王の一人娘、美しい姫君が輿に乗せられ、いまにも竜の住まう荒れ野に置き去りにされようとしていたとき。
そこに、ひとりの旅の少年が現れた。
その美しい少年は、自分はカッパドキアから来た騎士だと人々にあかした。
その少年は、リビアの民そして王の苦しみを聞き、姫の涙を目にすると。
路傍に落ちていた一本の枯れ枝を拾い上げ、それで荒れ野の果てをさし。
自分が竜を退治しましょう、と言い。みなに安心するよう諭し、竜の住まう山に歩き出した。
リビアの人々はその無謀な少年を止めようとしたが、彼は微笑みだけを浮かべ、そのまま毒と燃える石と油が満ちる荒れ野へと進んでいった。
少年を、毒と炎そして異教の魔物たちが襲ったが、十字架の預言者の信仰を持つその美しい少年には、毒も炎も、魔物も、傷ひとつつけられなかった。
少年が手にした枯れ枝はどんな鋭利な剣よりもよく闇と魔物を切り裂いて、騎士である彼の身を守っていた。
そして少年はついに、竜の住む山の洞へとたどり着き。その奥底へ入っていった。
果たして暗闇の中には、その洞がある岩山よりも大きな、年老いた竜が一匹横たわっていた。
その年老いた竜は。巣穴に入ってきた小さな姿に物憂げな眼差しを向け、そして首を傾げた。
鉄の鎧や槍で身を包んだ騎士ではなく、小枝を持っただけの少年が彼の巣穴に入ってきていたのだ。
竜は火を噴こうとした口を閉じ、その小さく美しい姿をまじまじと見つめ。言った。
「おまえは何をしに来たのだ。まさか俺を殺しに来たのか」
その岩山を震わす恐ろしい声に、だが少年はほほ笑み、
「私はおまえを救いに来た。おまえの望みを叶えにきた」
その少年の言葉に竜はいっとき戸惑い、そしてわらった。
「何を言っている。この年老いて、もはや空を駆けることすらかなわぬこの俺を。だが並み居る騎士を焼き殺してきたこの俺を。ちっぽけなお前が救うだと?」
最初は可笑しがっていた竜もしだいに腹を立て、その少年を殺すつもりになっていた。
だが少年は竜を恐れず。ただほほ笑む。
竜に語る少年の声は歌うようだった。
「私はおまえを救いに来た。再び空を駆けさせてあげよう」
少年はそう言って、そして竜の足元を小枝で指した。
そこには、年老いた巨大な竜の足元には、埃と炎の煤にも輝きを失わない金銀財宝の山があった。
それは年老いた竜がまだ天翔る力があった頃、世界中から集めてきた彼の宝だった。
「これは俺の宝だ、誰にも渡さん。やはりおまえもこれを狙ってきたのか。やはり人間はみなそうなのだ」
「違う。それは宝ではない。あなたが本当に欲しいものは、これだ」
少年はそう言って年老いた竜の前に枯れ枝を差し出した。
その枯れ枝は、だが少年の手の中でみずみずしく芽吹き、可憐な白い花を一輪また一輪と咲かせていた。
その奇跡に驚く年老いた竜の。毒と煤煙にまみれていた鼻に、春の野の風と花の甘い香りが匂った。
「おお! おお……おお……!」
暗い洞と岩山を、年老いた竜の慟哭が震わせた。
「年老いた竜よ。あなたの本当に欲しいものを思い出せ。あなたの本当を思い出せ。足元のそれはあなたの棺か」
「俺は 俺は……! そうだ 俺は!」
半ば石と化していた年老いた竜の爪が宝の山から引きぬかれ、苔むしていた翼が砂塵を舞い上げながら広げられた。
「俺はまだ飛べる!」
年老いた竜は高らかに吠えると翼をはためかせ岩山を崩し、足の鉤爪で虚空をつかみ、大空へと羽ばたいた。
空に高く舞い上がり、天へと天へと昇ってゆく竜を少年は静かに見上げ見送っていた。
竜の禍から救われたリビアの民は無事戻った少年にひれ伏した。
だが少年は、十字架の預言者の騎士として正しい事をしただけ、そう語りふたたび異郷の地へと旅立った。
その少年の名をカッパドキアの聖ジョルジュという。
『抱え落ちはいけませんね』という。
もう二十何年も前に、自分で書いていたのに忘れている私。
『やれるけどやりたくない わかっているけど出来ない やりたくないけどやるしかない』
――昔の偉い誰かが、言っていたような。
書けん日々、続きます。
T氏「20年前のテキストのほうが今より誤字脱字少ねぇじゃねーか。出荷だ出荷」
不肖「そんなー」