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三河もん昔話:4 押切

母を亡くして数年経ったころ。
主だった葬儀も、三周忌と追善菩提もおわり、私は……だが。
以前の日常には戻れずにいた。

母に何もしてあげられなかった、守れなかった、そんな無為な後悔だけが汚水のように頭蓋と腹の中から染み出し、それは自家製の毒となって私自身を腐らせていっていた。
厚意で頂いている仕事すら進められない無力感、罪悪感。荒んでゆく生活。
酒をのんでも、胃の腑にたまらず、アルコールとホムアルデヒドが脳をただ浸して私の中に残っている細い自我を、作家としての能力と矜持を泥のように溶かしてゆく。そんな毎日。

もうだめだ、自殺できなくても。このままだと死ぬんだ、俺は。
いっそ死ねば、この苦しみから開放される、全部消えるのか。ならば……否。
「おそらく」 消滅は、ない。
以前から、母の死から、私に濃厚につきまとう死の影と、その死の向う側にある「なにか」。
私は、生きるのも、息をするのも苦しい体を引きずりながら……だが、死とその向う側にあるものを察して、それがただただ、恐ろしくて……。
逃避にすらなっていない、酒浸りの、他人様に迷惑をかけるだけの生き方で日々を過ごしてしまっていた。
お仕事は、あった。頂いていたのに……手がつかない。
やるべきことは、書くことは、物語とキャラクターはもう揃っている、あとは書くだけなのに……それが、出来なかった。
ここまで生きてきて、作家になりたいという一心で生き延び、そしてやっとつかんだお仕事、ご好評頂いたお仕事だというのに――私は、お世話になっている会社、そしてお客様。そのすべてを裏切り、期待を踏みにじってしまいながら……毎日、腐った自分の毒の中でもがいていた。

――その日も、その夜も。
そんな事ばかり考えながら酒を飲み、眠れない夜の中でうずくまり続け。
T氏の会社が、仕事のために名古屋に借りてくれた部屋。
深夜――私は部屋に、独りでいるのにも耐えられず……もはや飲み屋すら開いていない深夜の街にさまよい出る。そんなことが、当時の私にはよくあった。

その夜も、そうだった。あれはもう深夜の2時もまわり、3時近く。
借りてもらっていた名古屋西区、枇杷島近くの部屋から、逃げ出すように夜の中に出た私は――
人とも、誰とも会いたくない、佛どころか無関係の人に会うては噛みつき狂気をさらす、くらいの対人嫌悪のくせこいて……少しでも明かりのあるほうへ……地下鉄、浅間町の駅のほうへと、ふらふら歩いていっていた。

だが。
巨大な交差点、もう閉まっている地下鉄の入り口まで来ても――
なにか、あるわけではない。飲み屋ももう、開いていない。
幹線道路を流れる車のヘッドライトも、コンビニの明かりも、目に刺さって苛立つ。
なんのために、自分は外に、夜の街に出たのか。
部屋の中も耐えられない、外に出ても苦痛。
ならば?
ならば……その先を考えるのも恐ろしく。私は、明かりから逃げるように。
幹線道路の裏側、深夜の闇にどっぷり沈んだ旧道の裏通りへ、逃げこむ。

古いお寺、もう営業していない銭湯。昭和の臭いの残る家々、細い道路。
まばらな街頭、つけっぱなしの看板の明かり。
町内会の「浅間2丁目」の文字。
いびつな、格子状の道路を行き、戻り、さまよって。けっきょく私は、部屋の方へ戻る道をよろよろ、進んでいた。

――押切1丁目 旧街道

美濃路町内会の、看板が見えた。いつの間にか、浅間町から押切町まで戻っていた。
遊具もほとんどない、ただの空き地のような公園を私はふらふら進んで、戻りたくないが、他に行く当てっもない部屋の方に……私は、暗闇の中をよろめいて。
そんな、私の耳に。

カッシャーン ジャリリ カッシャーン ジャリリ カッシャーン

耳障りな金属音、金物のこすれるような、奥歯が酸い感じになるような、金属音。

古い、錆びた鉄が立てる音、というものをみなさんは聞いたことがあるだろうか?
その音が、唐突に 私の耳に流れ込んで 私は、小さな十字路で足を止めていた。

最初は、踏切、電車の音、遮断器の音かと思った。それくらいにそれは唐突で。
だがそこは、単線の鉄道すら走っているわけのない、ただの市街地で。
だが私の耳は、その音を聞いて……その音が発せられる方へ、両目を道連れにして、向き直ってしまっていた。
そこに―― なにか異形が、いた。

カッシャーン ジャリリ

何かが、歩いていた。
私のようによろめいて、歩いて。いびつな十字路を、暗闇の四辻を歩いていた。
それは……。

――押し切りだった。それが、二本足で歩いていた。

昔の日本の農具、牛飼いの道具に「押し切り」というものがある。
当時も今も、牛の飼料には稲わらを食べさせるのだが、長さが1メートルある稲わらをそのまま牛に与えると食べづらくて効率が悪く、喉につまらせたりする危険がある。
そのため稲わらを飼い葉にするための、短く切断するための道具、その一つが「押し切り」だ。
押し切りは、大きさ1メートルほどの木製の土台に、やはり刃渡りが1メートル近くある鉄の包丁、刃を、歯を植え向きにして設置。その刃の片側に、てこで動く金具、刃を包み込む形の二重の鉄棒と、それを押し込むときの取手がつけられた農具だ。
稲わらを飼い葉にするときは、この刃の上に稲わらを置き、その上から金具をてこで押し当てて切断、10センチほどの長さに稲わらを切って牛に与える。
――その押し切り。
生まれが百姓、幼い頃は牛飼いだった私の家では、私にとってはよく見慣れた農具だった。
そしてそれは……古びた土台から、むきだしでそびえ立つ巨大な刃が恐ろしい、藁のあくとサビで真っ黒に汚れた鉄板、その頂点だけが研がれて銀色の刃となっている押し切りのビジュアルは、私の恐怖体験の一つだ。
あの上に倒れてしまったら、手をついてしまったら、藁を切るとき手を挟んでしまったら……という恐怖は、未だに。根深い。
――その、押し切りが。

カッシャーン ジャリリ カッシャーン

……と。
深夜の、名古屋のど真ん中。浅間町と押切町の十字路の旧街道に……あった。
否、いた。

牛小屋での数十年、その湿気と埃、虫食いで朽ちかけの木の土台。
そこから突き出した、巨大な菜切り包丁のような刃。黒く汚れて錆びた、鉄の「歯」。
刃と同じく錆びて、あくで汚れた、藁を押すための金具。ひび割れた木の握り。
昔の私の家に、牛小屋にあったのと同じ押し切りだった。

それが、深夜の交差点を――夜闇の中を、私の行く手を横切って――
歩いていた。
その押し切りには、足がついていた。
てこの、金具のついていない方。藁を切るとき、足で踏んで固定する木の土台のところから、足が。暗闇でも、なぜかはっきり分かる。
ジーンズのズボンをはいて、スニーカーをつっかけた足で。押し切りは歩いていた。

カッシャーン ジャリリ と。

それ異形よろめくように歩くたび、押し切りの金具が、中空の存在しない藁を切るようにして刃をはさみ、また離れ。錆とあくで汚れた刃と金具が、じゃりついた音を。そして藁を切らず、金具と刃が空打ちをした音を、響かせながら。
その押し切りは、私の前を横切って――

カッシャーン ジャリリ

恐怖も、困惑も、何もなかった。
私はただ、ぼうぜんと。眼の前を横切るそれを見、その音に耳を、記憶の奥底にある牛舎の記憶を打ち鳴らされて……ただ立って、いた。
その押し切りは歩いて、美濃路を横切って幹線道路の方へ……行って、しまった。
私は、それが消えてしばらくして。
「嫌なものを見た……」
という違和感、ゾッとする恐怖とも違う、自分の記憶の中に勝手に触られたような嫌悪感に、胃袋を締め上げられ。
……誰もいないと思っていた道で、いきなり、知らない男に肩を叩かれた、一番近い感覚、比喩するとしたらそんな不快感しか、その時の私にはなかった。

私は、部屋に戻って。冷凍庫で冷やしてあった酒を、ジンを水代わりに飲み込んで――
やっと。
震えが、来た。

さっき見たものが「何か」。ようやく記憶の中で形になっていた。
全く、意味がわからなかった。なぜ、失われた過去の遺物、もう使われることのない農具が、あそこで――
付喪神の百鬼夜行ならば、まだわかる。
だが、一騎の鬼が、仲間もなくただ……夜の闇から生まれ、交差点を渡って、そしてまた夜の闇に消えていった。
「あれは、なんだ? なんだった?」

人間は、体験したものしか夢に見ない、という。
私の見たあれが、幻覚だとしたら――確かに、理にはかなっている。理由付けもできる。
「押切一丁目」という町内会の看板、それがあの「何か」異形を、私の記憶の奥底から……忘れられていた思い出、恐怖の一片、トラウマのかけらを呼び覚ましたのかもしれない。
真っ暗な沼の水底から、腐敗してガスを溜めた朽木が、船のさおで突かれて、ゆっくり水面に登るように――「それ」異形を私の中から浮かび上がらせたのかもしれない。

酔えない深酒と後悔で膿んでいた私の脳は――
「それ」記憶を、「「そこにいる」異形かのように、私に見せつけた――
ただ、それだけだったのだろう。
幻覚に、意味など無い。
あの夜闇の中の、押し切りの付喪神にも……なんの意味もないと、わかる。
だが。

母を喪って――後悔しか残らなかった私には。
あれから、母の夢すら見ることが叶わず、夢枕でもいいからただ一言、母に詫びて気持ちを伝えたいと思っていた私の願いは叶わず、そして――私の前に現れたのは。
あの異形だった。

あれが「悪霊」でなくて、なんであろう。
膿んでいる脳、自家製の毒で腐らせている精神が見る夢は、それからも度々、私を苦しめ続けた。


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