書けん日記:40 お盆の膳
お盆ですね。そして盆も終わりますね。
盆といえば――
今から10年以上も前。
母は、活発で温和な人だったが――脳腫瘍で、70の半ばで亡くなった。
母の入院と手術、看病、そして急激に衰え痴呆が進んでゆく母の介護は、ひどくつらいものだったが……だが、それは期間にすれば一年ほどで……母の死で、終わった。
母が亡くなった、翌年。半年後の、夏。
その年のお盆、母の初盆が始まった。ひどく暑い、雨の降らない夏だった。
家の仏間、去年、母が遺体になって戻ったその仏間には、三河の浄土宗の流儀に従ったお盆の支度がされて――盆提灯が何台も並び、色紙と裸電球が明かりと影を作っていた。
仏間には、兄弟と親戚が持ってきたお供えの果物籠や菓子箱、そして村の人たちが送ってくれた花の籠が並べられ、八畳間を埋め尽くしていた。
夏の暑さ、連日の暑気で、果物はすぐに熟し痛み始め、甘い腐敗と死の匂いを漂わせ。そこに花籠に飾られた百合の匂い、苦い花粉の匂い。そして、ずっと灯される蝋燭の匂い、線香の匂いがそれに乗って――
もう、この仏間には。
まだ母が元気だった頃には、洗濯物を畳んだり、こまめに掃除していた八畳間……もうそこには、仏間には生者の吐息は全く残っていなかった。
「それ」を消してしまうのも、葬儀、供養の流儀なのだろうな、と――初盆の支度をしながら、私はそんな事を考えていた。
窓が締め切られ、風もなく淀んだその仏間の空気には、死を祀る祭壇の香りが。
そして――線香の煙が、部屋の空気の寒暖の層の合間で幾重もの段に、敷布のようになって漂っていた。
初盆の飾り付けを手伝ってくれた、母の一番の親友だったおばさんがそれを見、
「あの煙ねえ。お精霊さんは、あの煙の上に乗ってくつろぐんよ。よくできたねえ」
と話し、飾り付けを終えた俺をねぎらってくれた。
私はそれを聞き、生返事をしながら――
……そうか。母は、もう。
……母は、もう。そういう「もの」になってしまったのだな。と。
……お精霊さん。
……もう、お互いを喜ばせることも苦しめることも、一緒に過ごすこともない存在。
母の急病から始まり、その看病と介護、死の後の葬儀からずっと続く、苦悶。心が盲目になる、逃避にも似た感情の中で、そんな事を考え。
そして――
初盆の家から、村の人たち、親戚、兄弟たちも、自分の家に帰ってゆく。
初盆の家に、私は一人。
だが、私にはまだやることが、あった。
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8/13
夜:ひやむぎ
8/14
朝:七色汁(かぼちゃ、人参、里いも、しいたけ、いんげん、とうがん、あげ)
昼:おはぎ
夜:なすの焼き物、又は みそあえ
8/15
朝:みそ汁
昼:くだもの
夜:そうめん
8/16
朝:きゅうりの酢のもの、だんご
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これは、村に住む私の親戚のおばさんが書き記してくれた、お盆の料理のメニューだ。
といっても、私が食べる精進のメニューではない。
浄土宗、こちらの地方、私の村ではお盆の間、仏壇の前に備えた精霊棚というお供えの棚に、三度三度、これらの料理を作ってお供えする。
そのために、精霊棚に真菰のござをしき、そこに木を薄くそいだ四角い膳をならべ、ままごとのような小さいお皿と水の器、麻柄を折ってつくった箸を並べ。
そこに、決められているメニューをお供えする。
親戚のおばさんが書いてくれたメニューは、その内容と順番を記してくれたものだ。
初盆のあいだは、毎日、仏壇に水を供え、灯明と線香を絶やさず。これらの料理を、精霊棚に供し続ける。
母の初盆で私は、ひとり――
使命感でもなく、脅迫概念でもなく、諦めでもなく。
そして。
母と祖先に対する敬愛でも、後悔でも、愛慕でも追悼でもなく……ただ、空っぽの気持ちでこの行為を受入、それをこなそうとしていた。
――これも、母のためなのだ、と。
昔ながらの、村のこの供養を私がやり遂げれば。
四十九日から、村のみんな、母の友だちのおばさん連中は
「いいねえ、よかったねえ。こんなにしっかりしてくれる息子さんがいて」
という母への評価、母への羨望めいたものを向けてくれていた。
私は、亡き母への手向けとして……村の人々の信仰心を捧げるつもりで、この供養をするつもりで……いた。私の利己心のために、それをしていた。
8月13日の夜。
昼のうちに、村の寺に在る菅沼家の古いお墓、別の場所にある父と母のお墓を掃除し、新しい花を供え。
夕刻、玄関先で迎え火をたいて。
夜。
精霊棚に並べた、12個プラス、ご先祖様以外のお精霊さんにもささげるための器。
そこに、お迎えの団子と水を供え。線香を焚き、灯明をともし続けて。
私は、一人、台所で菅沼のおばさんに教えられた、お盆のお供えの料理を作り始めた。
鍋に湯を沸かし、ひやむぎを茹でる。
精霊棚の器は、おままごとのように小さいお供えの器だが、それも十数個、プラス、うちに二つ在るお仏壇へのお供えもいれると――けっこうな量のひやむぎを茹でることになる。
茹でたひやむぎをあげ、水で洗って冷やしている間。
私は、親戚のおばさんに教えられたまま、支度を続ける。
「お供えはね、お客さんに、人に出すのと同じようにね。ひやむぎ出すだけじゃあかんよ」
「おしょろいさんだからね、鰹節とか、なまぐさの出汁はつかったらあかんよ」
「昆布だしで、ひやむぎのつゆを作って。おなじ出汁で、油揚げと野菜を炒めておかずをね」
「それをいっしょにそなえてあげなさい。お母さんも、しっかりしてると安心するよ」
私は、その教えのとおりに。
昆布だしの醤油で、ひやむぎのつけ汁を作って。その出汁で、ナスといんげん豆を炒める。
それらを小皿にとって、ひやむぎと一緒に仏間へ、精霊棚に備える。
何度も何度も、台所と渡り廊下、仏間を私は往復し。
そして。もうひとつ、最後のメニュー。
油揚げをフライパンで焼いて、焼き目をつけて、ごま油と昆布だしで味をつける。
汗塗れになりながら、料理をし。
そうやって忙しくしていると、誰もいない家、静まり返った薄暗い家の中での孤独、虚無と無為に自分が向かい合っている……という絶望も、忘れられる気がして。
出来た。
コンロから下ろしたフライパンから、油揚げをまな板に。
――そこに。
『おう なにやっとう』
声が、した。
台所で、洗い場に出したまな板の上で油揚げを切っていた私に、私の背中に。
声が、した。
私は、その声にそのまま
「ああ おかずを作ってるから」 と、答え。そして。
ぞくりと。背後を振り返った。
初盆の家には、私一人。もう戸締まりも済ませた。
背後にも、家にも。誰もいない はずだ。 ……はずだった。
――背後から聞こえたのは、あまりにも、ふつうの声だった。
だから私も、ふつうに返事をしてしまった。
そして…………。
振り返った私の背後には、台所には、暗い渡り廊下には。初盆の仏間には、誰もいなかった。
人の姿も、気配もない。
仏間に漂う線香の煙は、お供えで私が動いたあとにそのまま、層を作って漂い。
『おう なにやっとう』
その声は、私の幼少の記憶の中にある、父の記憶を呼び覚ます。
――だが。その声は、父の声ではなかった。
似ても、似つかない。知らない男の、中年男の野太い声だった。
聞き覚えのない男の声だったが、だがその声には――
まだ若く元気だった頃の父、父と付き合いのあった村の男たち、親戚のおっさんたちがいつもがなっていた、三河弁のイントネーション、そのものだった。
『おう なにやっとう』
この家で、父親が寄り合い名目で飲み会をやっていたときの、おっさんたちの声。
村のあたりの、三河弁。おっさんの、あきらかに楽しそうな、何か楽しみにしている声。
どう聞いても、昔の記憶のおっさんそのまま――
仏間で宴会していたおっさんが、つまみほしさに台所をのぞいて、出来ている料理の香気に鼻を誘われて、頬が緩んでいるときの、それ。
おう なにやっとう
まったく記憶にない、男の声だった。父親とも違う、兄弟とも違う。
親戚や、近所のおっさんたちのそれとも違う、全く、私の知らない男の声。
いきなり聞こえ、そして消えた声。それっきり、聞こえなくなった声。
私は、最後のおかずの油揚げをひやむぎ、つけ汁と一緒に精霊棚に備え。
新しい灯明と、線香をたいて。
初盆の仏間で、一人――誰もいない、私の動きと呼吸、体温で乱れて霧散する線香の煙の中で。
「お盆には、おしょろいさんたちがイエに戻ってくる」
その言葉を、私は思い出して。そして、ひとり、声を。
「……なあ。ねえ、いるの? さっきの、だあれ?」
「ねえ……。かあちゃん、なあ、なあ。……いるのか、ねえ」
「……いるのか。ねえ。…………ねえ。……さっきのは」
「だれか、いるの? かあちゃん、とうちゃん……俺――」
――だれも、それには答えず。
初盆の最初の夜は、始まって。そしてそのまま、静かに終わった。
それから三日間、私は精霊棚にお供えを続け……。
初日から嫌な予感はしていた。
お供えされて下げられた大量の、ふやけたひやむぎ。そして白米。
盆の間、終わって数日、私はお下がりのふやけた麺類と線香の匂いで
むせる めしを食べ続けることになった。
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