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書けん日記:41 夏の終わりと農奴の終わり
8月末。灼熱の夏の終わりの頃。
不肖が日雇い労働していた三河の圃場、水田では、早いところではお盆過ぎにはもう稲が金色になって稲穂が実り、稲刈りの時期となる。
そして、9月上旬。
毎日、早朝から耐暑装備、農奴スタイルに身を包んで現場に出ていた不肖は――
この頃になると、ほとんどの水田は水が切られて地面も稲も乾かされ、いちめん、金色となった田んぼに次々と大型のハーベスターが入り、稲を刈り取り籾米を収穫してゆく。
つい、数ヶ月前は。
5月の初夏には田植えのための支度で、代かきされた水田のゴミを取ったり、苗箱を作る労働で育苗ハウスの湿度100%の熱気の中で働いたり、苗箱と肥料を積み込んだトラックを転がして田植え機の間を行き来したり。
6月、7月には水田の畦草を草刈機で刈り払い、場所によっては除草剤を散布し。つい1ヶ月前は「これ大丈夫かな」というくらい頼りなかった、ひょろひょろの苗が気づけば、水面が見えなくなるほど育っている田んぼを行き来して、水路から水を入れたり、そして時期が来たら水を切って中干ししたり。
そして、8月。酷暑の田んぼで、終わることのない草刈りを続けた農奴の不肖は。
気づけば、9月。いつの間にか、黄金に色づいて収穫を待つだけの田んぼで、稲という植物の成長とたくましさ、そして季節の移り変わりの速さを感じながら――
9月の農奴の作業は、水田に入る大型のハーベスターと籾米を積み込むトラック、それらの大型車両が圃場に安全に出きりできるように入り口付近の雑草を刈り、もし雨でできた穴などがあったら埋めて補修する作業が主なものとなる。
そのあいまに、真夏の農繁期、手つかずでぼうぼうに覆い茂り、ジャングルのようになっている水路脇の草を刈り払う作業も行う。これらの草木を放置しておくと、病害虫の温床になるだけではなく、昨今だと道路脇の草むらは粗大ごみを不法投棄されたりするので草刈りは急務となる。
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そんな、9月の最初の週。
8月と変わらない日差し、酷暑の中で朝から農奴仕事をする不肖は――
8月との違いといえば、9月に入ると、昨今の巷を騒がせている例の米不足、あれが農奴の不肖をも巻き込んで。
いつもは、余剰の備蓄米が期限切れで放出されたものを入手し、それを主食に、めしをがつがつと、多いときには1日に5合とか食べて働いていた不肖なれど……この米不足で、備蓄米が流れてこなくなり。
スーパーに行っても、そもそもお米が売っておらず、売っていても10キロで6000円とか「えー」となってしまうお値段で。
仕方なく、パスタを食べたり、おそうめんをすすったりして日々を過ごし、農奴仕事に出て――黄金に色づいて収穫を待つだけの水田、たわわに実った稲穂の海の傍らで――お米が食えない農奴は、草刈りしながら。
昔の、江戸時代の農民かな?白土三平先生の劇画かな?秋の神社のまつりの頃にはにぎりめしがくえるじゃろうか? などと思いながらも、日々、働いて。
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草刈りと圃場整備の仕事は、9月末まで。それが過ぎると、今度は水田だった圃場に小麦を育てる輪作のために、田んぼだった湿れる大地、その圃場に水切りの溝を掘ったり、やっぱり草を狩る作業が11月頭までつづく……予定、そのはずだった。
そのころまでは、日雇い仕事があって、そのころにはまた米が食えるだろう、と思って。
その日、水田が並ぶ圃場の中を流れる排水路、その両側の土手の草を刈っていた不肖は。
午後、夕刻。作業の終わりも見えてきて、そして……毎日の疲れと、慣れない食生活で少し慢性の熱中症っぽくなっていたせいか……やって、しまった。
作業を済ませた土手から、反対側の土手へ。小さなコンクリ製の橋を渡るために、まだ草刈りがされていない水田の畦を通って、近道をして、まだエンジンを掛けたままの草刈り機をハーネスから下げた不肖は草むらの中を進んで――
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……落ちた。
左足が、不意に。踏みしめていた草と畔の土が無くなり。排水のコンクリ枡に、足を踏み外した。
水田の水切りに使う、排水枡。どの田んぼにもある「それ」に、いつもなら農奴は注意して、畔の田んぼ側は歩かず、土手側を歩くのが習慣となっていたが……油断、慢心していた。
……長靴を履いた足が、左足が、深さが1メートル近くある排水桝の中に落ちた、踏み外して……転倒してしまった。
深いコンクリの穴の中で、左の足首をくじいて、膝をコンクリの角でしたたかに打って……排水桝の底まで一気に左足が落ちたせいで、腰にまで激痛が走り――
農奴は、油断していた不肖は……何度も草刈りをした圃場、水路脇の土手の上で。負傷し、倒れてしまった。
左足のくるぶし、膝、そして大腿骨頭のあたりに……左足全部から走る激痛で、不肖は眼の前が真っ暗になって、畦草の中で突っ伏していた。
私が転倒しても回り続ける危険なチップソー、それを止める、草刈り機のエンジンを切る安全装置にやっとのことで手を伸ばし……不肖は、突然の沈黙に包まれた草むらの中で倒れ、うめくしかなく。
10分ほど、そのまま激痛にうめいてから。
やっとのことで、不肖は排水枡から左足を引き抜いて……草むらの中で、仰向けにぶっ倒れる。痛む左足は、ぎりぎり動かせるその重さと痛みの種類で、骨は折れていないとわかるが……動かせない、動けない。
こういう緊急事態のために、農作業は必ず複数で行うのが、ペアの、バディの危険を必ず片方が察知して支えるのが鉄則だが――その日は、農場のはずれにある水路の作業だったため、現場には不肖一人だけだた。
助けを呼ぶことも考えたが……稲刈りの農繁期、ハーベスターとトラックに社員たちが総出になっている現場に電話を、救助を呼ぶのもためらわれて。
……しばらくして。
不肖は、もう何百時間も共に過ごして働いた草刈り機をその場に置き去りにして。
草むらの中を這いずるようにして、道路まで戻って、自分の車に――
……だが。
世界で唯一の農作業用のアバルト、とかうそぶいていた不肖の愛車、MT車のアバルトが裏目に出た。満足に直立できず、左足でクラッチが踏めない有り様の不肖では……愛車を運転するどころか、エンジンをかけることすらできなかった。
これが、今のオートマチック車ならばそのまま事務所や、家に、病院に行けていたろうに――
不肖は、油断していた自分、そして愛機である草刈り機、車すらもう動かせない自分に……夕暮れの、風のない灼熱、9月の空の下でうずくまるしかなかった。
……そして――
しばらくして、同じ草刈り作業をしていたシルバーの方が現場を通りかかって、私を見つけて助けてくれた。
そして。
足首の靭帯を傷めてしまった不肖は……自宅療養という名の、無職に戻った。
ちょっとした油断から、慢心から――不肖の農奴生活は終わってしまった。
この左足の負傷は長引くと、数週間経っても残る痛み、夜の眠りを妨げる鈍痛が訴えている。
車の運転も不自由なこの体では、農奴の他の作業はもちろん、他の日雇い仕事も難しい。
真夏の、日差し――
朝の8時にはすでに30度を超える、例年にない過酷――
装備と対策なしでは熱中症、命の危険がある現場――
雨の降らない8月、乾ききった現場で、水路の水を奪い合う稲と雑草――
ヒトの生命を拒絶するような日差しと酷暑、されど、その下で生命を謳歌する稲と雑草、そして数多の虫たち、鳥たち、ヘビや獣たち――
ふとしたことから、不肖はそれらと離れ離れになってしまった。
日雇いの仕事、おちんぎんがすっぱり無くなってしまったのもつらい。が……。
あの、過酷な酷暑、ビーム兵器のような日差し。生命の謳歌。
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――私は、あの農奴仕事、真夏の大自然を愛していたのだな、と。
すべては、失ってから気付かされる。
だが、まだ残ってる――
まだ生きているこの老いた体、まだ動く片足と両手、こうしてテキストを打てる手指と目、頭、これらがまだ私には残っている。
新しい生き方を見つけなくてはならない。
追記
前回、こちらの日記41を公開させて頂いておりましたが、テキストの修正のために編集していたらマシンが――日記42の有り様となってしまっておりました……。
日記が消えたまま、しばらく編集もできない有り様で申し訳ありませんでした……。
前回の公開時に、閲覧、そして評価をつけてくださった皆様、本当にすみませんでした……いつもありがとうございます!!
不肖はしぶとく元気です。がんばってあんこを捏ねます。
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![菅沼恭司](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115827576/profile_c2e686bafa08e69e30e4069b62aaf59b.png?width=600&crop=1:1,smart)