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東大出てヨーロッパ放浪セレブ旅(10)-ロンドン

ロンドン生活。2,3か月の短い英語学校留学生生活。英語学校では、一番上のクラスになり、イギリス人の先生には、「何十年も英語教師してるけど、こんなに発音上手な日本人生徒は初めてだ!」とほめられるぐらいで、少しばかり英語には自信を持っていた。イタリアでも、彼とは英語だったし、友達との旅行でもずっと私がリードしていて、英語ができるつもりになっていた。サザビーズのクラスには、日本人の留学生も2,3名いた。みんな最初の入門コースを受けた人たちだった。私たちのクラスは、イタリア人3,4人、アメリカ人2名、ポルトガル人、フランス人、スウェーデン人、ドイツ人、インド人、など様々な国から来ていた。その中で男性はたったの4名。イギリス、ドイツ、フランス、スイスからそれぞれ1名ずつ。得てしてそういうものだが、男性はかなり真剣な人が多く、イギリス人は奨学金をもらっていたし、ドイツ人はお父様が骨董商、フランス人は自国で大学は出てなくて、ここで学士のコースとして勉強していた。日本は、大学の授業料が高いので、この学校の学費には驚かないけれども、国によっては、大学はほとんど無償に近いところもあり、そうした国からすれば、非常に高額な学校だった。なので、サザビーズの顧客であるような裕福な階級の出身者がほとんどだった。今でも覚えているのは、Ritsu(リツ)という名のインド人。スルタンの家系で、英語にインド訛りもない、上流の出身らしかった。出身階級に似合わない、貧乏なイギリス人と付き合っていたけれども、しょっちゅう喧嘩していた。学校で、アール・デコの授業になって、カルティエの時計やジュエリーについての講義になったとき、「あ、あれおばあさまが持ってる」などと授業のスライドで出てきたアンティークのカルティエのミステリークロックだとか、カラーストーンをぜいたくに使ったブローチなどを指さして発言していて、インドのマハラジャの華麗なる暮らしと財宝を思わせてくれた。クリスマスにインドに招待してくれて、私はちゃんとインドのビザまでとって楽しみにしていたのに、おばあさまが亡くなってしまい、家族だけで集まることになったから、と直前でダメになってしまったのは、本当に残念だった。

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