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サーンキヤ哲学をまなぶ。

なんて言ったらいいのか。
私はむかしから、自分自身が自分の中にはまってないような
なんか体からずれているような感覚があります。
お風呂上がりなんかに、洗面台の鏡に映る自分の姿を見て
「ああ、これが私なんだ…」
としみじみ認識したり
街を歩いてるときに「あ。私、歩いてるわ…」と思ったりします。
自分の目線がぐぅーっと自分から離れていって
遠い遠い空の上から自分を見て
この大きな宇宙の中で、私はほかの誰にも成らない『私』なんだ…と思ったら
なんだか妙な気分になったこともあります。

この日曜日は月一回受けている講座の日でした。
この講座では、ヨガの理論の一つ『サーンキヤ哲学』について学びました。
そのサーンキヤ哲学が
まさに私がなんとなく感じていた感覚そのものだったのです。

『サーンキヤ哲学』とは二元論で
【観る側(真我・プルシャ・精神理論)】と
【観られる側(原質・プラクリティ・物質理論)】と2つに大別でき、
この【観る側】が「本当の私」で
【観られる側】としての「身体や心→行動する」のを観ているのだそうです。
まさしくこれ。
私の「自分が自分の中にはまっていない感覚」です。
私はいつも、プルシャ(本当の自分)の目線で自分自身の体や世界を観てるのかもしれません。
じゃあもし【観られる側】、つまり自分の体や物質の中にどっぷり浸かったまま
世界を観たらどうなるだろ?
たとえば……そうだな。
テレビとか新聞なんかから流れてくるニュースの映像や言葉が
ホントウに自分の世界で起こってるんだって思いこむんじゃないかな。
そして『外側の情報=私の世界』が当たり前になってしまう。
でも。
ちょっとテレビのモニターから目を離して、自分の周りの世界を見回したら
自分はただ、モニターに映る「映像」や「言葉」を観たり聞いたりしてただけで
じつはなにも起こっていなかった…
ということに気づくんじゃないかな。
プルシャの目線で観る……というのは
私たちがずっと囲まれていた情報の世界から抜けることかもです。

さて。
講座の最後では、体を少し動かして歪みを整えたりしました。
なんやかやいって運動不足です。
歪みを整えたのに、腰をいわしました。
しかも日曜日は寒波が押し寄せた日。
帰宅してまず思ったのが、熱いお風呂に入りたい!
腰をいわして、熱いお風呂に浸かって、そうして腰痛は悪化。
寝返り打つのがツラいツラい。