ちっぽけな僕らの成功は、今を充実させることから始まるッ
ふぇーーッッッッッッい!ふるるッッッッッほー!!!!
はい、明るくはじめてみました。
ラマみたいな目で筆者を見るのはやめてッ!
さて、あなたは成功したいとかって思いますか?
成功の定義にもよりますよね。
世の中には色んな人が80億人弱いるそうですが、その中で「相対的に成功」するのは一握りですが「絶対的に成功」するのは全員ができると思うのです。
難しそうな事を言ってみました。
つまり誰かと”比較”した時に成功者となるのは競争で勝つ必要があるわけですね。勝者がいれば大量の敗者が出てきます。
握力勝負だとゴリラさんは動物界トップクラスですが、一方であなたは動物界握力選手権では雑魚キャラです。
もし動物界握力選手権にあなたも参加したいなら愚かです。
握力で500Kg以上もあるゴリラさんに勝とうとするなんて花山薫か範馬勇次郎くらいです。あなたは範馬の血を受け継いでるのですか?炭素を握り潰してダイヤモンドが作れますか?無理です。
それを聞いて悔しくて涙で枕を濡らすかもしれません。
しかしこいつはどうだ?
このヤギさんは握力0ッ!!
何も握れねえ。踏むしかできねえ。貧弱貧弱ぅ。
でもこんなに幸せそうな顔をして草の先っちょのピンクぃ部分をはむはむはむはむと食べているじゃないですか。
このヤギさんは握力業界で勝てずに悔しがっているか?
捕食される対象となって不幸なのか?
今まで食べたピンクぃ草の数を覚えているのか?
否ッ!!!!
このヤギさんは牧場で仲間たちとワイワイ楽しくやっているかもしれない。
つまり他と比べる「相対的な成功」はしていないかもしれないが、自分の中で幸せを手にした「絶対的な成功」をしているかもしれないのだッ!!
「いや、待てッ!僕たちは嫌でも学校や仕事で比較されたり優劣がつけられるから!!」
とお思いですか?僕もお思いです。
社会に出れば必ず評価され優劣がつけられるので、それが嫌で引きこもりになったり逃げたくなる人も多いのではないでしょうか。
我が故郷である魅惑の大分県には猿の統べる高崎山と言う亜空間が存在しますが、そこには一回り体のデカいボスがこの世のあらゆる物を手にする姿を見ることができます。
「へっ、へっ!ボス!今日も良い毛並みでごザル!」
とゴマすり子分ザルが毛繕いをしていたり、エサの時間になっても他のサルがエサを奪い合う中でボスザルは高みで邪魔されることなくエサを食べています。ボスに歯向かえばボッコボコです。猿殴りです。
人間の世界でもこのような状況はたくさん目にするはずですよね。
ボスザルのように競争に勝てるポテンシャルを持ってる者としては楽しいでしょうが、仮に私がサルなら全力でエサをくれる飼育員に粉となるまでゴマを擦ります。飼育員の膝の下に抱きついて離れません。かわいさを武器にします。
さあ、ボスは「相対的な成功」を収めるわけですが果たして「絶対的な成功」は手に入るのか。。。
その答えは必ずしもYESとは言えないのだッ!
歳をとれば力が弱まり周りは「けッ!老猿の言うことなんて聞くわけねぇぜ!コンギョを言えコンギョを!」
とバカにされたりして元ボス猿はかつての自分の栄光を忘れることができずに、劣等感を持って「絶対的な成功」を感じられないかもしれませんよね。
しかし常に「絶対的な成功」、つまり自分の幸福感を重視しているお猿さん。ここでは仮にジョージと名前をつけるなら、ジョージは競争社会で戦おうと思ってないので一生幸せかもしれない。
「かわいさアピったら芋くれた!あぁ、みんな争って大変そ...芋うまッ!ボスはやっぱ強くてかっこ...芋うまッ!」
と思ってるかは知らないが、芋うまッ!と自分が芋が食える状況に成功を感じる。これが「絶対的な成功」だ。
そんな感じでジョージは楽しそうにしているだけなのに猿の群れでは一番になれずとも「かわいいお猿さんランキング」では1位になれるかもしれない。
つまり、「相対的な成功」というのは他人が決めるので成功じゃなくなることもある。一方で「絶対的な成功」というのは自分が決めるので常に成功する事ができるし運が良ければ「相対的な成功」も手に入るわけだ。
もちろん「相対的な成功」はパッと見で分かりやすいし派手に見えるが、それが自分の大切にしている「絶対的な成功」につながっているかは考えた方が良いですよ、、となる。
「うぉぉおい!!!んな事言ってもやっぱり芋だけじゃ満足できぬわ!芋って...戦後の日本ですかぁ!? ギブミーチョコレートだ!」
と思う気持ちもわかる。
人の欲望とサザエさんの寿命には限界がないからね。
別に私も競争は好きだし、競争をしている事自体が自分の幸せだと思うのであればその道に進んでも良いと思うんだ。子供の頃に遊びながら「勝負だぁ!」とかやった人も多いと思う。
ただ、全ての人に競争を求めるのは生きづらいじゃない?
80億近くの人全てに競争を求めたらそれは戦争になっちゃうよね。道を歩けば「決闘(デュエル)!!」となりかねない。
「足りぬと思えば求め、競争をし、戦争になる。芋うまッ!」
これはジョージが言っていた(気がする)言葉だ。
僕らは漫然と口に物を運んでいないか?
猿から進化しこうやって簡単に食べ物が手に入るように人類は何十万年もかけて成長をして隣国と戦争をしなくても良くなった... と考えるといかに僕らは恵まれているかに気づく。
ほんの二、三百年前までは日本でも飢餓で殺し合って人を食べることもあったそうだ。「我が子を食らうサルトゥルヌス」は神話だけじゃない。
それに美味しい食べ物を手に入れる事ができるほど支払うお金を持っていたり、お金を払う事でお店の人の生活を支えていると考えると嬉しくなる。
(筆者は空腹で道路に落ちていたクッキーとかを食べていた貧乏時代が数年あったのでより嬉しさを感じる。)
成長に喜びを感じられると「絶対的な成功」は手に入るんだ。
昨日より進んだ。
昨日よりできた。
また人生の幸せが積み重なった。
だんだんと上手くなった。
それ自体が成長したり積み重なる事が楽しくなってくると、「絶対的な成功」は自分次第でいくらでも作れる。
でも「相対的な成功」を軸にすると「隣のやつはもっと良い物を食べてる」「あの人の方が自分よりすごい」もっと、、、まだ、、、あの人より、、、と終わりなき第N次隣人大戦に突入する。
つまり自分の中で喜びを感じるには、「結果」は他人が評価する物なのであまりこだわらずに「過程」を楽しむ事が重要なのではないだろうか。
「誰かより優れているか」という結果を求めれば人は近道をしたくなるものだが、真実に向かおうとする意志があればその過程を大切にするはずなのだ。。。
とジョジョの奇妙な冒険 59巻 のセリフをパクってみた。
ところで私の場合は「動画作るのたのちぃ」とYouTubeに解説動画を遊び半分で投稿してたらいつの間にやら登録者が5万人を超えていたという事があった。別に狙ったわけではないし、登録者が増えなくても良いと思ってる。
解説動画を作ったきっかけは「自分が作った動画の作り方を忘れないため」なので、最低「自分が内容を思い出せれば良い」と思っていた。
とはいえ「自分だけじゃなく他の人も楽しませたい」と思い、「どうやったらもっと面白く解説できるか」「自分も他の人も作りたいものは何か」とか考えて改良し続けてたらどんどん自分もチャンネルも成長して生活できる以上にお金もいただけるようになった。
苦労は全くない。
相対的に見れば確かに登録者数が多いチャンネルはたくさんいる。
ただ、数なんて気にせずに見ると「あれ、楽しい事してたらいつの間にかもっと楽しい事になってた・・・」という状況だ。ガリガリ君食べたいと思って買ったら当たり付きだった感じで、そもそも楽しい事をしてたらラッキーが起きたかのようだ。
これをもし数を気にしていたら「全然数字が伸びない。。。なんでだ。。」と「過程」が楽しくなかったかもしれない。あたりを引くためだけにガリガリ君を食べていても面白くないだろう。
見よ、このヤギさんを。
さっきまで草をムシャムシャ食べてたのに私が近づくと草を口につけながら、更にエサを求めてくるんだぞ!草を食むのを楽しみつつ、エサをくれるチャンスが来たら飛びついてくる。貰えなくとも楽しいし、貰えたらラッキー。
そんな生き方も悪くないかもしれない。
ということで最近牧場とか動物を撮影したので、その時の写真を使いたくて適当にnoteに書いてみました。
動物から学ぶことは多いですね。