精霊の森は、都会には音が少ないことを教えてくれる|【MikaGoRock美加語録】
プロローグ
3日間森を彷徨った。
森は場所によって音の響き方が違う。
生態系がが違うと、音が変わる。
常に変化し続ける瞬間の連続。
命がうごめいている。
良い響きを見つけるために
歩きながら真剣に音を聴き続けた。
360度、何キロ先から重なってくる音も
ただただ聴いた。
今までこんなに音に集中して聴き続けたことはあっただろうか?
徐々に音と同化していく身体。
いつしか音は静寂になり
私は無音の中に消えた。。。。
気が付くと
私は自然の人に戻っていた。。。。
聖霊の森は音に満ち満ちていた。
自粛中、ずっと都会で過ごしたからだは細胞が萎んでぺったんこになったみたい。音源を録音することを口実に人里離れた森に行った。
一日目の夕方に、鳥の声が響きわたるブナの原生林をみつけた。鳥の声が反響する最高の森だ。そして翌日はさらに奥へと入っていこうとしたら。
蝉の爆音。
気温が高い日が続き、蝉が一斉に孵化したのだろうか?鳥の鳴き声も、自分の声さえもかき消されるような音の洪水。音は圧力となって体にまとわりつく。透明な海の中を泳いでいるような錯覚。
その蝉の声は大自然のあらゆる倍音を含んでいた。人間の周波数よりもはるかに細かく全体的。
倍音とは一つ音(周波数)に対して、倍の周波数の音のこと。
人間の可聴範囲を超えて、永遠に上にも下にも響いていく音のボルテックスのようなもの。自然は倍音空間という。詳しくはこちら。
エネルギーは高い方から低い方へ流れる。私はどんどん蝉の高周波倍音にチューニングされていく。蝉は大自然と完全に調和して生きる存在なので、季節感を忘れた都会の身体が徐々に大自然のリズムへと戻っていく。
奥へ行けば行くほどに音の海に潜水していくように、次第に自分の身体の振動なのか蝉の声の振動なのかわからなくなっていきた。
そして体内が音で飽和状態になると、突然中身が空っぽであることに気がつく。私は音?人間?蝉?それともただの空間なのか。。。
色々な区別がなくなって、ぽっか~んとした気持ちで歩いていると、雪解けの水が湧き出でる小さな泉を見つけた。
去年の枯れ葉を巻き上げながらゆらゆらと湧き出る水。透き通った泉に手をつけ、水をすくいながら聖霊に一礼した。祈ろうとしたのではなく、感謝が湧いてきたからだった。水によって生かされている命である私ができることは、感謝しかなかった。
すると突然風が吹き抜けた。
樹木がざわめいた。
風とのざわめきと共に
風が吹き始めると蝉の声が徐々に小さくなっていった。まるで引き潮と共に波が遠くに去っていくように。あるいは、不穏な嵐が来る前の一瞬の静けさのように。森は鎮まった。
今まで蝉によってかき消されていた鳥の声が浮き上がってきた。鳥たちは相変わらず楽しそうに歌っていた。
今まで蝉の声によって覆われていた空間は消え、今や音以外のなにものかによって満たされていた。
私はその静寂に巻き込まれた。身体が緩んでいく恍惚に動くことさえできなかった。
マジックタイム
ふと視線をかんじた。上空から興味深そうに眺めているような、やさしいエネルギーを感じた。
森の精霊たちだ。
視線が来る方向を見た。あの枝の上だ。私はその視線に向かって微笑んだ。驚きの微笑みが返ってきた。どうやら視線が合ったようだ。その小枝がクスクスッと揺れた。
静寂は時間と空間を帳消しにする。全てがひとつになってゆらいでいる、満たされきった海だった。
それは、我を忘れたときにふと訪れるマジックタイムだ。精霊たちが扉を開き、招かれるまま、扉の中に入ってしまっている。そのことを知らないまま、ただ永遠の恍惚の中に存在している。
どれくらいの時が過ぎたのか、何があったのかも記憶にない。
もしかしたら浦島太郎もそんなマジックタイムに摑まってしまったのだろうか?
一匹の蝉が鳴き始めた。
それにつられるように蝉の声が広がっていく。全てが再び重なり合い、森はあっという間に爆音に包まれた。
ひとつの静寂は消え、次の静寂がやってきた。
無音の静寂と、音に満たされた静寂。どちらも同じに思える。
森を出た時には、私の細胞はすっかりまん丸に太ってエネルギーが満ち満ちていた。いつの間にか、大自然の身体に戻っていた。
都会の音
そんな数日をすごして、再び都会に戻ってきた。
都会は音が少ない。
都会はうるさいと思うかもしれない。様々な音が飛び交っているように思える。ところが人工的な音と言うのは倍音が制限されて、特定の周波数だけが集まった音の集合体でしかない。いくら重ねても空間はスカスカなまま満たされることはない。自然を満たしているあらゆる倍音空間の百分の一も満たしていないかもしれない。それほど大自然の音は多様性ににとんでいる。
人間の体は様々な音を感知できるようにできている。耳という奇跡のような機能もすごいけれど、それだけではなく骨も皮膚も、細胞内の水も音を感知し、その振動によって活性化する。
音の少ない都会では、人間は音欠乏症になってしまう。だから様々なものが必要になってくる。絶え間ないおしゃべり、情報の収集、働きすぎる思考。自分自身で音を満たそうと身体は必死になっている。
大自然の音の空間では、テレビもネットも本もいらない。思考も鎮まり、ただぼ~とすることは簡単。あっというまに眠ることも出来る。
疲れると海や森や滝に行きたくなるのは、そこには物凄い種類の倍音があるというのが理由のひとつでもある。その完全性のなかで人は簡単に大自然と溶け合うことが出来る。
そして思いだすのだろう。
私達は最初から満たされていることを。
(photo: ©MikaRin)
クリスタルボウルを演奏する理由の一つは、この楽器は倍音に特化されていて、大自然の空間をどこでも再現することが出来るからだ。 by MikaRin
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