9のエネルギー 不完全な私たち
久しぶりに展覧会を見に行った。
エゴンシーレの展覧会。
一人でじっくり絵を見に行くのが久しぶりだった気がする。
夫が西洋絵画好きなので二人でたまに行ってたけど
一人きりで見るのってとても久しぶり。
学生の頃は絵を見るって難しくて出来なかった。
どう思うのが正解なのか?とかぐるぐる考える。
正解とかそれっぽさとかを求めだす。
今思えばかなり幼い感覚を持っていた。
美術科に通ってるから、美大生だから行ったほうがいいよなぁとか
興味あるほうがいいよなぁとか見ておいたほうがいいよなぁとか
そういう目線で展覧会に行っていた時があった。
人がすごいって言ってるから、これがすごいんだなとか
全く自分がない状態でものを見てた気がする。
自分がないからそりゃ面白くない。
もちろんたまに面白い!って思うものもあったけど
大体は退屈な気持ちで鑑賞していたのを思い出す。
一人で行った久しぶりの展覧会。
何を鑑賞しても
全て自分に返ってくるんだなってことに気づいた。
自分が見てる世界を自分がどのように受け取るのか
それに尽きる。
作品を見て思うことに正解はない。
十人十色、全部違っていい。全部正解。
どんな角度から見てもいい。どんな感想を持ってもいい。
ただ、目から入ってきた情報を味わえばいいのだ。
体で感じたものを味わえばいいのだ。
作品を見ることによって、つながる何かがあればいい。
もちろんなくてもいい。
画家が生涯を通して自分を世界を追求し
自分の持つ情熱を尽くした表現だからこそ
エネルギーと気づきがあることを知る。
短い生涯で世界中の人にインスピレーションを与えたアート。
そういうものを直接見て感じるという体験をするために
展覧会に行くんだなと思った。
人間が生きていく中で、
自分が興味を持つものは少なくていいんだなと思う。
全てを網羅しなくていい。もちろんそんなの出来っこない。
自分が面白みを感じたことを純粋に追求する。情熱を注ぐ。
あとはご飯を食べて寝てを繰り返せばいい。
生まれてから死ぬまできっとそれだけでいいんだろうなって思う。
そこに他者の視線はいらない。
この世で生きている私が面白いと思ったものが特別であっていい。
今回の展示を見ていて、ふと彼の数秘が気になって調べてみた。
鑑賞中に調べ始める。
だってそれが、私が面白いと思ってることだから。
3と9だけで構成されてて、展覧会場で一人胸が熱くなる。
すごすぎる。
3は破壊と想像、クリエイティブの数字。
9はいろんな人のいいところを取り入れられる数字。
クリムトやウイーン工房などで
いろんなアーティストと交流できるのも納得できるし、
近隣の住人にいろんなことを言われまくって
街を離れて自然の中に行きたいって言ってるのも
9の特性すぎて面白かった。
今月の数秘9、
9は完成、完全の意味を持つ。
逆に未完成、不完全の意味も併せ持つ。ずっと完成を目指している数字。
子供の頃から才能を開花させたこと、そして終わりのない自己表現の探求。
若くして展覧会の成功し、全てを持ってるように見えるが、
ずっと最後の1つのピースをはめたいと思うような情熱を感じる創作活動。
その限りを尽くし、スペイン風邪で28歳の若さで亡くなった。
今月は不完全なままでも不安定でもやってく!
新しい方へ進む!という運勢。
エゴンシーレ展で展示されていた
同じ時代のアーティスト、
ウイーン工房にいたコロマン・モーザーの絵に惹かれた。
雲の習作(Cloud study)とあった。
習作って英語でStudyって訳すんだなぁと改めて思う。
Study 勉強って終わりがない。完成しない。
その絵は紫で白で青で、もやんとした形で、
雲をそのままそのまま描いてあった。
それを見て、思うままにそのまま思うままに描けばいいんだなと思う。
全て何も決まってないのだ。
正解なんてない。自分が思うもの、そのままであればいい。
そのままを受け取ればいい、そう思った。
新しい表現を追求していた人たち。
先の未来でこれが正解だったなんて誰かが言うかもしれないけれど
やってる時はそれが正解かなんて誰もわからない。
自信なんてない。もちろんなくていい。
そのまま感じるままに進めばいい。
今月はそういうこと。
きっとずっとそういうことでいい。
私たちはずっとStudyなう。
不完全なまま進もう。