恥ずかしいの奥底で。
今日、人生で初めての経験をした。
いつも横目で他人事のように
眺めていたこと。
「あーあのひと、かわいそう・・・」と
眺めていたこと。
でも、心のどっかで
「私はそうはならないだろう」と
わけのわからない根拠を抱き、
ひそやかな優越感をいだいていたこと。
本日、ついに
わたしが「かわいそうなひと」とラベリングしていた
あの人と同じ状況になったのです。
私は身分を明かしてこのNOTEを書いているので、
起きたことは詳しくは書かないですが、
(気になる人はダイレクトで連絡カモンヌ)
まぁ、この出来事が私にとって
とんでもなく大きな出来事であったと
本日、眠りにつくおよそ15分前に
このNOTEを書きながらまざまざと感じています。
その後、私がとったその後の行動とは。
おもわずひとりでふへへ・・・って
わらってしまって、
ぼそぼそひとりでしゃべってしまっていた。
「恥ずかし笑い」と「恥ずかし独り言」
をしないとじぶんがどうにかなってしまいそうだった。
うわぁ、ついにやってしまった。
とんでもないことだ。
恥ずかしすぎて消えたい。なくなりたい。
一瞬、そう思った。
でも、淡々とその後の処理を終え、
対応してくれた人に最後お礼をいって、
その場を後にしたら
なんだろう。
圧倒的なすがすがしさがあった。
思わず、いま起きた出来事を
上司に電話に笑いながら報告したほどだった。
消え入りたいほどの恥ずかしさは
5分後にはネタになっていた。
そのとき感じたのだ。
「あ、恥ずかしいの【底】に、私、手をついたな」
営業になってからのこれまでの自分は
「恥ずかしい思いをしたくない」
でやってきていた。
だから、お客様からの質問で
わからないことがあったり
お客様から怒られたりすると
恥ずかしくて、恥ずかしくて
もう二度と味わいたくなくて
怖くて、動けなくなっていた。
だけど、今日、
まじで一生やりたくなかったことを
やらかしてしまったとき
もう、恥ずかしいこと
ぜんぶやったから、
これ以上はなさそうだなぁと
なんとなく自分に思うことができた。
恥ずかしいを重ねまくって、
ようやく「恥ずかしいの奥底」に手をついて、
水泳のターンよろしくぷかっと浮かんでこれた
気がしています。
これを読んでくれている人が
いま苦しかったり
怖かったり、恥ずかしかったりしているなら、
ちょっと痛みはあるけど、
まずは落ち切ってみるのは
いいのかもしれない。
底に手をつかないと、
ターンして上を目指せないから。