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生きてるだけですごいよね、とじぶんには思えないのはなんでだろ~~

さーて、さてさて、
毎日暑いですね。
こんなに暑い中、毎日生きているわたしたちは
それだけですごいと
いわざるを得ないと思いません?

息をするだけでも大変な季節なのに、
仕事して、家事をして、風呂入って、歯ぁ磨いて。。。
いやいや、やることおおすぎちゃう?って
思わざるを得ない毎日。
ほんとうに、よくがんばってます。みんな。
毎日、生きてるだけで、ほんとうにすごいこと。

ひとにはそう思えるし、心からそう言える。
なのに自分にはなかなかそうは思えない。。。
そんな体験はありませんか?

わたしはこういう体験たっぷんたっぷんにあります。
なんなら結構な頻度でそう思ってたりします。

で、こういうことを思う時、
「私の性格的問題からきているのだ」と自分責めのループに
30代前半の常だったのですが、
私もにんげん40年やってきたからか、
はたまた少し心理学をかじったりしてきたから、
ここで起きてることが「性格的問題」からではなく、
過去の体験からのくせで発生しているのだなぁということが
わかりはじめたマイレボリューションなのです。

わたしは、過去の体験から、

わたしは、そのままでは価値がない。
だから、なにかを頑張らなくては。
もっと、役に立たなくては。

という思いを大人になってからも握りしめています。
これを握っていると、
「生きているだけでOK!」と自分には
なかなか言いにくくなる。
だって、自分の評価は
「誰かに評価された他者評価」
で決まるから。

私は親が小さいころに離婚してたので、
生き延びるための生存戦略として
「人の役に立ち、自分の居場所を確保する」ことが
デフォルトでわが身をまもるための武装のように追加されました。
だからこそ他者から評価されなければ弾かれると
体が反応するようにわたしはできている。

だから、もうこれは仕方ないのです。
体の反応だから、抑えようとすればするほど、苦しくなる。

だから、もう、受け入れちゃう。

こういう自分がいるね、
そうだね、居場所を確保したいのだね。
でも、よく事実をみてごらん。
居場所はもう、そこにある。
なんならひとりでも、居場所はある。
そこにわたしがいれば、そこがわたしの居場所だ。
だれに弾かれようと、いたいところにいたらいいよ。

生きてるだけでえらいって思えなくても、
あなたは自分のいたい場所にいていいんだよ。
えらくなくてもモウマンタイ。

あなたがいれば、そこはあなたの居場所になる。
居場所は「ある」んじゃなくて、
居場所に「なる」。

そしてその居場所はこの世界に無限にあるから。
心配しなくて、大丈夫だからね。




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