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【よかった】君たちはどう生きるか 感想【ネタバレ要素あり】

とりあえず見終わった1時間後、家に帰ってのファーストインプレッション
「漫画版ナウシカを読んだ&好きな人には刺さる」

根底のテーマとしてはナウシカである。大叔父との問答、真人の選択。
道中の活劇はラピュタに例える向きもあるが、シュナの旅に近い。
上記はすべて異世界なので、舞台は千と千尋の神隠しのようにしている。

おそらく、舞台設定が戦中なのは、主人公の「たくましさ・強さ」が備わっている理由付けが必要だからと考える。我々の世界でそれを示すのは戦中育ちくらいしかなかったのだろう。

例えば、ナウシカ・シュナの旅は滅びゆく世界であり、恐ろしく強い人を描くことができるが、共感が得られにくい。
千と千尋では等身大の子供であるが、「本作のテーマ」を取り扱えるほど成長する過程を描くのに2時間ではとても足りない。

序盤、真人は屋敷の中ではほとんどしゃべらない。その中で彼の行動は、たくましく、攻撃的であり、また葛藤を感じるようになっている。パズーのように純粋な性質をもつ「子供」ではなく、子供はあくまで大人と変わらないのだと感じるように描いている。

一方で、ナウシカに感じるような「聖人」のような要素も少ない。それでもやや、超人さを感じはするが。それでも、自分で石で傷つければ「父親」がああすることは分かっていたという人間らしい残酷さがある。

中盤は語るのが難しい。ただ、挙げるとしたら「友と歩まば」である。最終的な結論(生き方)は、ここに描かれているのかも、と考える。ポスターがあの「鳥」なのは納得なのである。

テーマはナウシカであるが、「黄泉の国」が本作のモチーフであろう。
おそらく、ナツコは自責から黄泉の国に囚われたor降りて行ってしまった。もしかしたら、代わりになろうとすらしたのかもしれない。あるいは、真人が「自分で石で傷つけた」ことを分かったのかもしれない、と今思う。

屋敷に入り、アオサギと対峙したのち、大叔父と思われる人物の差配により、沈んでいく・・・「降りて」いく。
キリコと出会い、ペリカンを悪とみなすが、彼らもまた生きようとしている。そして、死に至ったものは穴をほり、「埋葬」する。

ペリカンの次に出てくるのは、インコである。彼らは、大叔父が作ろうとした完全な世界での「歪み」であり、人間そのものの姿である。
彼らの悪意を追い払い、現れ導くものとして「ヒミ」が登場する。いったんここで「アオサギ」と別れる。

そうして、ヒミと二人で墓所に降りる。そこでナツコを連れて帰ろうとするが失敗してしまう。ナツコかあさん、と呼ぶのがハイライト。
なお、墓所とは、最初に降りたち「キリコ」と出会った場所である。その際「振り向いてはならない」は黄泉の国伝説と同じである(向きは逆だが)

そうして、大叔父の登場である。大叔父は、この世界の管理者であり、積み木細工をいじる形で調整している。
彼は問う。自分の後継者が必要だと。この世界を安定させるのに、積み木を付け加えてくれと。

真人は、拒否する。それは積み木ではなく、墓石の匂いがすると。それを大叔父は喜び、真人は意識を取り戻す。これが第一の問答である。

その後、アオサギに助けられ、ヒミと再会し、再び大叔父のもとへ向かう。
今度は一人ではなく、「友」「肉親」「敵対者」を伴って。

今度は大叔父は、新しい何物にも「悪意」にも染まっていない13の新しい積み木を提示する。これで新しい世界を作るのだと。これが第二の問答である。

真人はまたも拒否する。自分の傷跡を示し「これが私の悪意だ」と。その積み木を使ったとしても、いずれ自分の悪意に染まってしまう。完全なる世界など作れないと。
大叔父のいう、「人が殺しあう地獄」である現世に戻るのだと。

長い長い前置きだったが、これが「ナウシカ」でなく何なのだ。いずれ訪れる腐海による浄化された完全で清らかな世界。それ自体歪であると拒否し、今ある世界で生きることを選ぶ。そのものではないか。

そうして、ヒミ・キリコと真人・ナツコ・アオサギはそれぞれの時代に分かれる。ヒミは、真人を生むために。いずれ来る火による死を受け入れて。

そうして、真人による黄泉の国からの帰還は完遂される。なにもとりこぼすことはなく。

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