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天空の標 第二十一話

第七章 伝承(三)

 三人の声は合わさり、なおも祭りの儀で唱えられる祝詞のりとのような文言を紡ぐ。
「『天の球、空を映して止まることなし。同じくして陽もまた回り続けん。船乗りよ、波の上にて十字を目指してゆけ。遠き沖より、水の上に光を目指して帰れ。天の球の示す空、王の投ずる石のしるし、互いに違うところなく、其処にいつわりなし』」
 ふうーっと、ロスが細く息を吐き出した。
「なるほど。『国事史』では『天の標』が天球儀のことを指していて、こっちで天球儀は『天を映す球』ですか。国の中にある空の指針が天球儀で、ほかにも水上に何か目印……?」
 そこで言葉を切ると、スピカが何か言って欲しそうに見上げているのに気が付いて、ロスはスピカが頭に被っている布越しにその小さな頭を撫でてやる。
「すごいな、覚えてるんだね」
 髪の毛をくしゃくしゃっとされたスピカは、くすぐったそうに声を立てて笑った。そして自慢げに本の挿絵を人差し指で差し、とくとくと説明を始める。
「ここに描かれてるのがね、ずっと昔の、とっても頭の良い王様だったのですって。この都がしっかり船乗りに分かるように、国の宝と一緒に海にお願いしたの。夜になると太陽は沈んじゃうし、そうしたら海は暗くて怖いでしょ? だけど、大丈夫なようにしたのよ」
 ロスが聞いている限りでは、現実にはあり得ない絵空事で明らかに作り話と分かる。伝説の類にありがちなことだ。それでも、スピカがやたら嬉しそうに、なおかつ得意気に話すので、取り敢えず相槌をうちながら聞いてやる。
「お嬢さんはやたらと記憶力がいい。まさか本の一節をそらで言えるなんてな。何度も読んだのかい?」
「んー、読んだのはそこまで多くないかもしれないわね」
 首を傾げて、スピカはそうすれば記憶を辿れるかのように両手の指をこめかみに押し当てて考え込む姿勢を取る。しばらくその格好に留まった後、何か思いついたかの如く勢いよく頭をあげた。
「でもでもね、兄さんがいつも話してくれたの。兄さん、ぜんぶ覚えてるの」
「スピカの兄は寝る前にいっつも『お話』をせがまれてたんですよ。そいつの兄は本当に記憶力もいい奴だから、話の文言も完璧に覚えてましたけどね」
 いまいち中途半端なスピカの説明を、クルックスが補った。
 『国事史』を開いたまま三人が説話を唱えるのを聞いていたカエルムは、和やかに談笑する彼らとは対照的に、一人黙りこんでいた。表情を険しくし、思案顔になっている主人の様子が妙なのに気がついたのはロスが最初だった。
 物問いたげなロスの視線で、カエルムは無意識に沈んでいた思索から我に返った。
「殿下、何か思うところが?」
「ん、いや……」
 カエルムの返事は歯切れが悪い。
「なかなか、説話にありがちとはいえ……考えさせられることを言うな、と思っただけだが。太陽のくだりとか。陽が落ちても消えると思うな、とか」
 主人が述べたことは、彼の本心ではない。何か思い当たるところがあったのだろうが、今ここでそれを言うのを避けている。普段から付き従っているロスにはそれが明らかだが、カエルムのことである。ロスは調子を合わせた。
「ああ……確かに太陽は、地平線に落ちても無くなってはいませんよね。次の日の朝にまた見えるし。あ、でもこの国では地平線でなくて水平線、ですか。海から昇って海に落ちる陽、シレアでは無い光景だな」
「お城から見える海はいつだって綺麗よ。海に太陽が映っているのもすっごく綺麗。きらきらしてるの。しかもきらきらも、いっつも同じきらきらじゃないの。でも綺麗なだけでなくて、迫力もあるの。今日なんかはそうかも」
 窓の外ではいよいよ風が強くなっているらしく、時々硝子が揺れては嫌な音を立てていた。遠くで飛翔するかもめも自由に飛ぶと言うより風に流され気味で、体を向けている方向とは斜めに進んでしまっている。
 たち込める雲の層は厚く重なり、鼠色の塊が今にも鳥達を呑み込みそうだ。雨がいつ降り始めてもおかしくない。
 太陽は雨雲に隠されて光は無く、風のうねりに取り巻かれて、城は目に見えぬ圧に今にも飲み込まれそうだ。

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蜜柑桜
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