たぶん結婚式は挙げないけれど。
26歳という年齢は、
女性の初婚年齢のピークらしい。
私は今年27歳になる代。
昨年から続々と
友人たちも結婚しているようだ。
友人が少ない私でさえ、
何度か結婚式の招待をしてもらった。
今週末も、高校時代の友人の結婚式に参列する。
初めて友人の結婚式に参列したのは、
数ヶ月前のこと。
高校時代の友人であった新婦は、
真っ白いドレスを身に纏い、
とても笑顔で、とても綺麗で、
本当に幸せそうだった。
涙ながらに家族への手紙を読む姿を見て、
思わず自分も涙が出た。
写真撮影でお祝いの声をかけたけれど、
なんだか敬語混じりで
たどたどしくなってしまったのは、
久しく会っていなかったからなのか、
友人が自分とは全く違う世界にいるように
感じたからなのか。
その両方かもしれない。
***
ここから少し、
自分のことを書こうと思ったのだけど
手が止まってしまった。
結論から書こう。
私はたぶん結婚式を挙げない。
今のところはそう思っている。
親との関係とか
親同士の関係とか、
理由を挙げてしまうとキリがないが
結局は親のことだ。
それに注目されるのも得意ではない。
今は結婚式にもいろいろな形式があるし、
もしかしたら今後、
心変わりするかもしれない。
自分がやりたいと思うスタイルが見つかったら
そのときは挙げるかもしれないし、
そもそも自分一人で決められることでもない。
"過去の私は、自分にはこんな結婚式を挙げるのは無理だと感じた"
と表現するほうが正確かもしれない。
余談になるが、
芸能人が何か目につく発言や行動をしたときに
よく過去の発言を掘り起こし
「ほら、数年前はこんなことを言っていたのに」
と煽る人たちをときどき見かける。
そりゃときが経てば考え方も変わるだろう、
と思って見ている。
とはいえ自分自身に対しては、
変わることを受け入れつつも、
変わらず大事に持っておきたいことは
握りしめていたいとも思う。
***
初めての結婚式で友人の姿を見たとき、
素直に祝福する気持ちと同時に
「あぁ、自分には絶対に叶えられないことなんだ」
という感情が湧き上がったのも事実だ。
これまでの人生、
やりたいことは努力でどうにか叶えてきたつもりだった。
でも、努力で叶えられないこともある。
約1年前、フォローもフォロワーもゼロの
自分しか見られないSNSの裏アカで、
私はこんなことを呟いていた。
もし今こうやって誰かに問いかけられたら、
今の私は何と声をかけてあげられるのだろうか。
「やりたいことで生きよう」
「やりたいことをやれ」
こんなメッセージが溢れている現代社会で、
それができない理不尽さとは
どう向き合えというのだろうか。
***
この記事を公開するか、迷っていた。
ただの自分語りだし、
もっと辛い人はいる
と思われるかもしれない。
最近noteのコンセプトについて
ぼんやりと考えている。
基本的にはそのときに書きたいことを
衝動のままに夢中になって書いている。
それを通してもし伝えたいことがあるのだとすれば
世の中にはいろいろな生き方がある
ということだ。
何かを否定したい気持ちは一切ない。
ありきたりな表現だが、
100人いれば100通りの生き方があって、
それで良いと思っている。
私が私のことを発信する意味とは、
大袈裟に言ってしまうと
無数にある生き方のサンプル数を増やすこと。
もし私と似ている境遇の人がいて
自分を否定しそうになっていたら、
自分だけじゃないし大丈夫かも
と感じてもらうこと。
結果的にそうなったら幸せだな
と思ってはいるけど、
他人の感情はコントロールするものではないし、
書いている時間は
自分が一番素直になれて好きだから、
今は黙々と書いている。
***
私はたぶん結婚式を挙げない。
今のところはそう思っている。
でも、そう決めたのは過去の自分。
自分の気持ちに素直になることは諦めたくない。
自分の望みはいつでも自分の中にあるし、
それを実現する力もすでにある。
目の前の起きている現実に対して
どう行動していくか。
恐れる必要はないんだと
自分で自分に声をかけたい。