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無職になって10日間でやったこと・思ったこと


仕事を辞めてから10日以上経った。

この10日間何をしていたかというと、特に何もしていない。

強いていうなら、たくさん寝ている。

寝ても寝ても眠い。

前職を辞めたときのことについて、あまりnoteには詳しく書いていないが、実は結構メンタルがやられていた。

次の仕事も決めないまま辞めたのはその影響も大きい。

「次の就職先は決まっているの?」

と上司に聞かれ、

「まずはゆっくり休みたいです」
「今は大丈夫なんですけど、このままだと体調を崩しそうで」

と答えた私に、

「"まずは休みたい"って思ってる時点で、体調に表れてるよ」

と言ってくれた上司には感謝している。

振り返れば、入社して1週間くらい経った時点で、朝起きてから泣きながら準備をしたり、仕事中PCに向かいながらふとした瞬間に涙が出てきたりしていた時期もあったので、まぁいったん休んでもいいかと思っている。


この10日間、何もしていないとは言いつつ、ちょこちょこ出かけたり、ぼんやり色々考えたりはしている。

いくつかご紹介。


Artbar Tokyo


最近テレビで取り上げられたり、Youtubeでも見たりするので、ご存知の方も多いかもしれない。


簡単に言うと、お酒を飲みながら絵が描けるところだ。

と言っても私はお酒があんまり飲めないし、絵は苦手。
そんな私でも、ソフトドリンクとお菓子を好きなだけいただきながら、優しい先生に教わって、とても楽しい時間を過ごすことができた。


こんな感じ。


良かったポイントとしては、とにかく自由なところ。
お手本は一応あるのだけれど、先生は何度も

「何色でもいいですからね〜」
「何描いてもいいですからね〜」

と言っていた。

そして参加者の描いた絵を見て褒めてくれた。

私は月をピンクにしたり、空をグラデーションにしたりと、色々勝手なことをやっていたのだけど、

「おぉ〜虹みたい」
「ロマンチックですね〜」

と言ってもらえて、嬉しい気持ちになった。


行ったきっかけとしては、現在受けているコーチングのコーチに勧められたことだった。その前から実はYoutubeで見て存在は知っていたのだが、今私が望んでいる空間に近いかもよ、ということで提案してもらったので、行ってみることにしたのだった。気になる方はぜひ。


お寿司


おそらく初めて、カウンターのお寿司屋さんに行った。
誕生日が近いということで連れていってもらったので、退職も何も関係ない。
が、これがすごく良かった。

静かで明るくて、落ち着いた空間は、私の心をとても穏やかにしてくれた。初めての体験だったから緊張もしたけど、あらゆる気遣いは安心を与えてくれた。

そしていろんな気づきもあった。

例えば、自分は自分が思っている以上に海老が好きだということ。(誕生日祝いで好きな一貫をサービスしてもらえた。コースで出てきた中で海老が美味しかったので海老を選んだ。)今まで海老も好きではあったのだが、好きなネタを問われたら絶対にホタテと答えていた。でも今回の海老は美味しすぎた。


あぁまた食べたい。


そして、お茶の香りが大好きだということ。(お手洗いには、お茶のめちゃくちゃ良い香りが広がっていた。うちもあの香りにしたい。)大好きなお茶屋さんが2店あり、日本茶好きを自覚はしていたが、香りも好きなんだなぁとわかった。


元々お寿司は好きだ。新しく就職すると、大体好きな食べ物を聞かれる。他の人が「母が作った〇〇です」と答えている中、私は1社目では「寿司とラーメンです」、2社目では「ホタテです」と答えていた。(母の作った料理ももちろん好き。)それくらい元々好きとは思っていたけど、それでも良い体験だったなぁと思う。

金銭的に頻繁には行けないけれど、落ち着いた空間で1つ1つ味わって、自分の"好き"に気づく時間も必要かもしれないなと思った。


コーチング(4回目)


内容をその都度noteに書くことはしていないが、現在定期的にコーチングを受けている。退職してからは初めてとなるセッションが先日あった。

その思いに気づくプロセスは割愛するが、私の思いとして

・相談に乗る仕事がしたいと思ってきたけど本当にやりたいかが分からなくなってきた
・誰かに助言・アドバイスしたいという思いはない
本当はその人の心の中にあるけれど、批判や評価に傷つくことによって、心にしまい込んでいるものを、安心して出せる世界を作りたい
何もしなくてもそこにいていいという安心があるのが前提としてあって、その上で誰もが自由に表現することができ、誰にも否定されることなく、むしろ褒め合う空間に自分も身を置きたいし、それによって笑顔になる人たちを見ていたい

みたいなことが出てきた。

これが先述したArtbarに行くきっかけとも繋がる。

みんなが自由に作品を作り、そこに正解はない。安心して表現することができ、褒め合う。なんなら自分で自分の作品を、「これ良いかも」って思える。そんな空間が自分にとっては最高に心地が良い。


許せないことと自己表現


この数日、思い出したことがある。

私は感想文を修正されるのがものすごく嫌いだ、ということだ。

小中学生の頃、色々感想文を書く機会があると思う。
基本的に他人が喜ぶことを察知することは得意な方なので、先生ウケが良さそうな感想を書いては、そこにアンダーラインが引かれて花丸をもらうこともあった。が、しばしば赤ペンで直されることもあり、それにかなりの違和感と怒りを覚えていた。

私の感想に、正解なんてない。
強いて言うなら、私が感じたことが正解である。
ひろゆきなら、これって私の感想ですよね?とでも言うかもしれない。
それくらい、感想を直されたくないという思いが強い。

そもそも直すというのは、何を基準にしているのだろうか。
思い返せば小中学生の感想文だけではない。

小中学生のときの美術の絵も、大学生のときの実習での感想文も、社会人1年目のときのケースの所感も、どこでも私は修正されてきた。その度に私はモヤモヤを抱え、時にはそれを相手に伝えてみることもあったが、受け入れられることはなく、赤ペンで書かれた文字があたかも私の感想であるかのように、あっけなく黒文字にすり替わっていくのだった。
あなたのためだ、と言う人がいるかもしれないが、そんなのは余計なお世話だと思う。どこかの誰かの何かの基準に合うように修正されて、それに合うように表現を曲げることは、私の喜びではない。


自己表現、という言葉。

これまで全く関心がなかった。
むしろ、自分には関係がない、というか、大袈裟に言えば、違う世界の言葉みたいな感覚があった。

でも今すごく興味がある。


数週間前まで、それこそ、退職する前まで、私は人生で一番大事なことは安心感だと思っていた。今ももちろん安心は私にとって必要不可欠な要素だ。
しかし退職して数日、なんかそれだけじゃ足りないなと思っている。

これはひとまず安心が確保できたから一時的に思えていることなのかもしれないし、本当に望んでいるのがこっちなのかもしれないし、まだ分からない。

ただ今感じていることとして、安心って前提条件だと思う。安心したら何ができるのかというと、自己表現だと思う。人それぞれ、思っていること、表現したいこと、逆に表現したくないこと、色々あるだろう。

ここにいていい、という安心感。

これは私の人生にとって一番大事な前提条件。

これまで私はこの確保に必死だった。これを確保するために自分の感情を犠牲にして価値を提供し続けた。自己表現なんて考えている余裕はない。でも今は何か表現したいと思っている自分がいる。そして自分だけでなく、互いに表現し合える世界を作りたいなんて気持ちもある。

その世界ってどんなイメージですか?とコーチに聞かれたとき、私はシンガポールのフローラルファンタジーと答えた。


また行きたい。


私はこの場所が大好きだった。花に囲まれていた。開放的だった。観光客同士で声を掛け合って写真を撮った。みんな笑っていた。


全身の力が抜けている感覚。両手両足を伸ばしている感覚。呼吸が深い感覚。

これは全て働いているときとは真逆だった。
働いていた頃は、全身の力が入り、筋肉が固まり、呼吸が浅く、ずっと喉に違和感があった。

職場を悪く言いたいわけでは決してなく、自分が安心を感じる環境ではなかったということがわかっただけなのだけど、自分の好きとか理想を思い描いてイメージすると、色々気づけることがあるなぁと思う。


今後していきたいこと

まずは自分が安心したり、自己表現したりできる場所や物事を色々体験してみたいと思っている。

そして今回は書かなかったけれど、色々楽しんだりリラックスしたりしている間に急激に絶望感に襲われることがある。その辺とも向き合っていかなきゃなーとは思っている。
多分これは今まで、不安であることや辛いことがデフォルトだったから、そうではない状態=不安がない状態 がむしろ不安になってしまい、過去の嫌な経験や不安な経験を勝手に引っ張り出して、どうにか不安になろうとしているのではないかと今のところ推測している。なので急に絶望しそうになったときは、うんうん不安だよね、幸せなのは怖いね、と赤ちゃんをあやすかのように言い聞かせている。(これが合っているのかは分からない)

こんな感じで、楽しめたり楽しめなかったり、調子が良かったり悪かったりする日々をなんとか過ごしている。今後もそうやって不安定な日々を過ごした先に、花に囲まれる世界が広がっていたら良いなと思う。




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