みかん古民家

築60年

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最近の記事

安定は少しビターな味がする

 私たち人間は変化を嫌う生き物である。  新生活が始まると、新しい交友関係だったり、新しい土地だったりに困惑して、ナーバスになってしまう。  というのもその原因はいたって単純な話で、新しいことを脳が処理するためにエネルギーを使ってしまうからである。  反対に、繰り返し繰り返し同じことをやっていると、脳が働くのをやめて体が勝手に動く、そして手順が簡略化されていく。  それは確かにいいことではあるし、突き詰めれば職人にさえなれる鍛錬であり、経験の功績ではあるのだけれど、初心者だ

    • イケメン、強すぎないか?

       こんにちは!  元気がいい挨拶です、私。  あなたは返事をされましたか?  ネットという匿名の皮を被った私に抱く心象は、この今私が書いている字面とあとサムネ、アイコンくらいだろう。  だから、あなたはもしかすると私に対して挨拶をしてくれたかもしれない。  辛く悲しい現実問題として、顔が良い相手には自然と心象が良くなるものである。  イケメンにおはようと言ってくれたら、男も女も軽やかに返事できるというものだ、ちょっとココロオドル。  しかし、反対に不細工な人はおはようと

      • なぜ人は他人のレスバトルが気になるのか

         あなたは、今までの人生でレスバトルをしたことがあるだろうか? あるだろう(断言)  ジョルノ・ジョバーナには夢があるように、私には趣味がある。  ソシャゲのガチャから排出されたらRであろう普通社会人間のいっぱしである私にも、ほかの人と同じように当たり前に趣味をもっている。  そして当然その趣味繋がりで出来たコミュニティに自然とあつまって、所属する運びとなった人生を歩んでいるのである。  目的を同じとする人間が集まった社会的コミュニティの中では、みんな太陽に顔を向ける向日葵

        • 私は言葉を生み出していない

           私は物書きである。  英語で言うとI am a writer.  誰にそうしろと言われたでもなく、気が付いたら文章を書きたいと思っていて、いつの間にかこんな承認欲求渦巻くblogに手を染めていた。  もちろん、書きたい!という気持ちが自然発生的に生まれてきたとしても、書き始めた時期はちゃんと覚えている。  本当に纏まった文章を書き始めたのは高校生になってからで、その手の部活に入ったことを契機として書き始めた。  中学の半ばに、親にもう使っていないPCを貸してくれと頼み、1

        安定は少しビターな味がする

          分担とは、逃げである

           タイトルから仰々しい。  この記事で私が言いたいことは 「家事分担は素敵なことのように見えて、欠点もあるよ。」である。  まず断っておきたいのは、本記事そして私のスタンス全般として、何かを批判しようとか、喧嘩を売ろうとかそんな気持ちは一切持ち合わせていないことをご理解願いたい。  私は、本記事のタイトルのような「○○とは、××である」という内容の記事や言い分、主張が好きではない。  その理由は、そういうタイトルはなんか大層な事言った感じを出しているだけで、それは単純な一

          分担とは、逃げである

          非現実の引用で

           先生や上司のような立場が上の人が、叱咤激励するときや、私たちのような物書きや、受けを狙った人が用いる技術である、引用。  有名な偉人の格言をそのまま持ってきて、恣意的な解釈のレンズを通して、自分の言い分を主張するための道具にしたりする技術である、引用。  多くの場合、それは身内のミームや世間に広く膾炙されているものが用いられる。  それは当然で、引用するなら当然受け手にも伝わるものでないと、その言葉の文脈や背景のような、本来の言葉以上の出来事を含めて伝えるという、引用の役

          非現実の引用で

          なんか上手いこと言いたいという魂胆

           お笑いに何の意味があるのだろう。  昔から「いっちょおもろいことしたろう」精神で生きてきた私は、とりあえず小ボケをし、言葉を連想ゲーム方式で繋いでみたり、奇をてらった喩えを用いて揶揄してみたり…と隙を見つければ直ぐにでも笑わせてやろうという努力に執心してきた。  ADHD持ち特有の気が散ってしまう現象、これは言い換えれば多様なシナプス結合であるが、それにより繰り出される言葉はけっこうな頻度で場をしらけさせるものだ。  こっちが頭の中で考えている連想ゲームも、受け手には伝わっ

          なんか上手いこと言いたいという魂胆

          物事に取り掛かるまでの障壁

           人にとって始まりというのは酷なものである。  それは、あなたもきっと経験したことがあるだろう。  勉強しなければならないのに、重い腰が上がらない。  人に頼みごとがあるのに、思うように口が開かない。  誰しもがそうである。  定められたように人間は物事を始めようとすることを忌避する傾向にある。それは、人というのは現状維持を好む種類の生物だからである。  安定思考という名のオブラートに包まれた、薄暗い逃避行動への欲求に縛り付けられているのが人間であり、あなたであり、私である

          物事に取り掛かるまでの障壁