シンプルな情熱
とても好きな映画でした、『シンプルな情熱』(ダニエル・アービッド監督、2020年、仏)。
ストーリー自体はよくあるエロティックな大人の恋愛映画で、バツイチ子持ちのエレーナ(レティシア・ドッシュ)が、既婚のロシア人男性アレクサンドル(セルゲイ・ポルーニン)に夢中になって、ボロボロになった結果別れる、というお話。
エレーナは大学で詩を教える知的な女性、映画鑑賞と読書が趣味。対するアレクサンドルはプーチン支持者(今は特にセンシティブな話題ですが…)で、好きなものは車とアメリカ文化。趣味は全然合わないから会話もほとんどないし、どこかへ遊びに行くこともない。会っては即物的に抱き合い、互いに欲を満たすだけ。
体だけ、なのはその通りなのだけど、会えば離れがたく、彼に「妻と旅行に行から会えない」と言われると狂いそうなほどの嫉妬にかられる。かといって一緒に生活してうまく行かないのはわかっているし、そもそもそんなことはまったく望んではいない。ただただ彼から連絡が欲しい、触れ合いたい。それだけの、「シンプルな情熱」。
そんな彼女を見て女友達は言う、「男は欲しいものを手に入れたら支配したがり、高慢になるものなの」「フェミニストたちの活動を支持する。快楽のために男に依存するなんて、見ていられない」。
でも、「支配したがり、高慢になる」ことに男女差があるのか? と思うし、「快楽のために相手に溺れる」のは女の専売特許ではない。あるとするなら「惚れた方の負け」と言う自然の摂理だろう。
しかしアレクサンドルなしではいられなくなったエレーナが少し追い込みをかけすぎたのか、突如彼はモスクワに帰ってしまう。彼女と「正午にホテルで」と約束したその日に。
仕事も子育ても手がつかなくなり、身も心もボロボロになりながらもなんとか乗り越え、生活を立て直して8ヶ月が経ったとき、またも突然彼からの着信が。
久々の逢瀬を重ねたあと、「もう会わない」と自ら宣言し、泣きながらアレクサンドルを見送るエレーナ。
その時の彼女の心のセリフが、
「彼が戻ったのが現実とは思えず、別人のように感じた。以前の彼には二度と再会できないだろう。でも大胆に羽ばたく自分を発見できた。彼のおかげで自他の境界を超えーー二人がひとつになる感覚を持てたのだ。」
エレーナはおそらく、アレクサンドルへの幻想を失い(つまり恋の終わりを感じ)、それも含めて涙を流し、同時に新しい自分を発見させてくれた彼に感謝しているのだ。
私がこの映画が好きだなと思ったのは、エレーナが決して「被害者」にならなかったから。
そして、アレクサンドルの感情がほぼ見えない…否、彼の感情などどうでも良いものとして描いてるから。
映画の中でエレーナが『二十四時間の情事』を観て批判的に語るシーンがあるのだけど、この手の作品でよく描かれて来た「(自分の幻想の中の)美女に恋し、振り回される男」というのをこの映画は逆転させてて、それがとてもうまかった。
頭が良く社会的な地位もある彼女にとってアレクサンドルとは、ある意味では幻想と性的欲望を満たしてくれるだけの美しいの男で、でもそんな彼に振り回されボロボロにされ、そして勝手に「大胆に羽ばたく自分を発見」し、勝手に感謝する。
徹頭徹尾「私」目線な描き方は、恋愛という原因不明の恐ろしい病の効果的な描き方でもあるし、同時に女も自主的に破滅的な恋をした上でそれを「良い経験だった」と言えるんです、というメッセージにもなっている。
男女問わず、自分で選んだと言い切れるのならこういう結論を出せると思う。人のせいになどせず。
アレクサンドルが、内面のよくわからない、ひたすら肉体的に美しい男だったところもとても良くて、その意味でセルゲイ・ポルーニン、実にはまってました。女だってわかるんですよ、「脳みそ入ってなさそうな美女が好き」って気持ちはw(実際の知能の話ではなく)
原作の著者アニー・エルノーは、フランスでマルグリッド・デュラスと同じくらい人気のある作家らしい。ハヤカワepiに入っているようなので、原作も読んでみようと思います。
★NANASE★