ここが私のアナザースカイ、神戸です。
2021年11月27日14時40分。
快晴の神戸空港駅に降り立った私は、思わずつぶやいた。
「この寒さはやばい。」
ほっともっとフィールド神戸(ほもフィー)で行われる日本シリーズを観戦するため、スカイマークで羽田空港から神戸空港へ飛んでいた。
第5戦まで終えて贔屓のヤクルトが3勝2敗と王手をかけ、勝負を決する舞台は神戸へと移った。
機内でもらったスカイマーク名物のポケモンキットカットに受験生のように「きっと勝つぞ」と願掛けするも同じ便にオリックスファンも乗っていたことを思い出して真顔になったり、
子どもを押しのけてポートライナーの先頭に座って三宮へと続くレールを見ながら、「これが夢へと続く道か…」と詩的なこと(?)を考えたりするなどした。
Twitterで「ほもフィー」と検索するとサジェストに「極寒」だの「凍死」だの「雪」だのが出てきた。
三宮に着くとJRの高架下にドラッグストアを発見したため、日刊スポーツのヤクルト担当記者のツイートで見た、「マグマ」と書かれたカイロを購入した。
三宮のホテルにチェックインし、防寒装備を整える。
ひざ掛けになるものを持ってきていなかったためホテルのバスタオルを持っていこうかとも考えたが、流石にやめておいた。
球場へ向かう地下鉄ではヤクルトファンが大声で「いや~、安心したよ。関西にはちゃんとオリックスファンがいるなんてね。」と話していたため、
「ヤクルトファンの分際で偉そうな口きくんじゃねぇ〜〜〜!」と恥ずかしい気持ちになった。
地下鉄なのに山を登っていることが体感としてわかる。
16時30分、総合運動公園駅に着いた。
寒い。
しんと澄んだ空気と世界の全てを覆い尽くすような寒さ。
山の中にあるということは、すなわち気温が低いということである。
「日没前でこの寒さということは、夜になったら一体どうなるのか…?」と不安に襲われた。
球場に入ると、雲が夕日に照らされて赤く染まっていた。
オリックスの応援団の人が拡声器で「明日もここに来れるように、今日絶対勝ちましょう!」と呼びかけているのが聞こえてきたが、
負けてタイに持ち込まれたくないということ以上に、こんなに寒いのは今日だけでたくさんだという思いで、「そうはさせるか!!」と強く思った。
すでに想像を超える寒さゆえ、トイレで再度装備を整える。
上半身は長袖のヒートテックにスウェット、フリース、ダウンを重ね、マフラーを巻いてフードをかぶる。お腹と背中には先ほど買ったカイロを貼り、コロナ禍のためマスクも着用。
下半身はズボンの下にももひきを履いて、太ももにはカイロを貼った。
もちろん手袋も忘れずに。
試合開始の前か後か忘れてしまったが、売店に唐揚げを買いに行った。
保温の機械に入れられて売られていたが、席に戻って食べている間にすっかり冷めてしまった。
試合は4回まで互いに譲らない緊迫した展開。
相手の山本由伸投手はさすがのピッチングだが、高梨投手だって負けていない。
私は寒さに震え、買ったときはホットだったがすぐにぬるくなった紙コップのコーヒーを飲みながらただじっと試合を見つめることしかできない。
それでも5回に塩見選手のタイムリーで先制!第1戦と同じように難攻不落の山本投手から先に点を奪う。
しかし、その裏に同点に追いつかれる。外野からの返球はアウトのタイミングに見えたが、ボールが走者に当たってしまった。
あまりの寒さにこのあたりで売店へ2杯目のコーヒーを買いに行ったが、温かい飲み物と豚汁はすべて売り切れており、保温の手段が尽きてしまった。
「明日は膝掛けを買って来よう…いや、明日はなかった。」
「明日は売り切れる前にコーヒーか豚汁を飲もう…いや、明日はなかった。」
と何度も思考する。
試合は動かないし、自分は寒さで動けない。
終わりの見えない試合と終わりの見えない寒さ。
ピンチやチャンスでもドキドキして震えるのではなく、寒さで震えていた。
山本投手は味方のエラーにも動じず、9回1失点。
これぞエース、という堂々たるピッチングで敵ながらかっこよかった。
…と思ったのは後日のことであって、当時は試合の緊迫感とあまりの寒さで、相手投手をかっこいいと思えるほど思考が働くことはなかった。
9回裏は一打サヨナラのピンチを迎えたが、寒さで思考が麻痺して「絶対大丈夫」と祈るよりも「ま、大丈夫っしょ」と思って見ていた。実際に大丈夫だった。
試合は1-1のまま延長戦に突入した。
ビジターで延長戦となると勝てるイメージ、今日胴上げを見られるイメージは湧かなかった。
10回、11回と互いに無得点で迎えた最終回、12回。
ここまで来たらもう引き分けか…と思っていた。
これで引き分けたら、こんなに長時間こんなに寒い思いをしたのにただ勝負が先延ばしになるだけで何の意味も持たないことになってしまう。
あまりにもやるせない。
実際12回表の攻撃はあっさりと二死になり、指名打者制ということもあって代打の切り札・川端選手を使わないまま攻撃が終わろうとしていた。
しかし、終わらなかった。
二死から塩見選手が三遊間を破るヒットで出塁すると、やっと代打・川端選手がコールされる。
とはいえ二死一塁ではまだ得点には遠い。
と思っていたら、捕逸で二死二塁となる。
さらにフルカウントになってランナーが自動的にスタートするようになる。
打球がショートの後方へ打ち上がる。
前進守備のレフトが突っ込んでくる。
川端選手らしい、普通ならヒットになる当たりだ。しかし、前進守備ではどうか。
全てがスローモーションに見えた。
落ちろ、落ちろ、落ちてくれ———
落ちた!!!!!
と思った頃には二塁ランナーの塩見選手はホームベースのすぐ手前にいた。
ヘッドスライディングでホームイン。
ベンチから選手がみんな飛び出してきて喜びを爆発させている。
私も興奮のあまり変な声が出る。
今日これから日本一になるのか…?今日これから胴上げを見られるのか…?
これまでずっと寒さに震えていたのに、興奮で震え、鳥肌が立ち、寒さが消えた。
12回裏、抑えのマクガフ投手が半袖で(!)3イニング目のマウンドへ上がる。
こうなれば絶対大丈夫と唱えながら祈る気持ちで見つめるしかない。
空振り三振で1アウト。
死球でランナーを出したときはちょっと焦ったが、続く打者をセンターフライで2アウト。
あと一つ。
ぜーーーったい、だいじょうぶ。
最後、セカンドゴロがキャプテン・山田選手の元へ。
ちょっぴり体勢を崩しながら一塁へ送球、
アウト、
試合終了、
日本一だーーーー!!!!!
初めて見る、贔屓球団の日本一。
5時間にも及ぶ長い試合が、11月末までかかった長い2021年シーズンが、終わった。
日本シリーズのMVPには中村選手が選ばれた。
が、ここで終電がかなり迫っていることに気づきタイムアップ。
なんてったってこんな山の中、終電を逃したら確実に凍死する。
インタビューは続いていたが、帰れなくなったらまずいという思いで急に現実に引き戻され、後ろ髪を引かれることもなく駅へ急いだ。
結局、終電の後も臨時の電車を走らせてくれたらしいし、タクシーで帰るという手段もあったようだし、帰れなくてもそれはそれでいい思い出になったのだろうが、
当時はそこまで考える余裕はなかった。
それくらい寒かった。
なんとか終電の1本前の電車に乗り込み、8時間ぶりくらいに戻った三宮はそこまで寒くなかった。
ホテルに帰って喜びをかみしめ、酒を飲みながらしばしネットサーフィンをする。
この人生最高の一日を終わらせたくなくて、ベッドに入ったのは3時半くらいだった。
そして翌朝、真っ白な息を吐きながら涙と笑顔の歓喜の輪を作る選手たちを球団公式YouTubeで見て涙し、
せっかく神戸に来たのだからとメリケンパークまで行ってみた。
海辺に座ってボーっとしていると、太陽に照らされてキラキラ輝く海がより一層輝いて見えた。
(その時に撮ったのがこの記事のサムネ画像。noteアカウントのヘッダー画像にもしている。)
幻となった第7戦のチケットが払い戻されるのでそのお金で記念に神戸牛でも食べて帰ろうかと思ったが、寝不足のせいでとても胃が受け付けそうになかったのでやめた。
そして新神戸から新幹線に乗って、最高の思い出を胸に大勢のヤクルトファンとともに東京へ帰った。
旅行の帰りはいつも物悲しいが、この日だけは充実感に満ち溢れた、清々しい気持ちだった。
なお、車内では史上最高に爆睡した。
東京駅に着いたのは16時30分頃で、もし昨日負けか引き分けていれば今頃はまた極寒の山の中で寒さと恐怖に震えていたのか…と思うと気が遠くなるようだった。
色々な意味で、本当に勝てて良かった。
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あの日から3年の月日が経った。今日までの間に、何度あの日のことを思っただろう。
この世界は2021年11月27日を迎えるために作られたのかと思った。
それくらい、一生忘れられない日になった。
あの試合、9回までに2点以上取られていたら負けていただろう。
あるいは山本投手から1点も取ることができなかったら完封負けしていただろう。
さらに延長12回、塩見選手が凡退していたら勝ちはなくなっていた。
ベンチに坂口選手が残っていたから渡邉選手に代えて川端選手を出すことができた。
捕逸がなかったらまだ点は入らなかったし、フルカウントになっていなかったらランナーは3塁で止まっていたかもしれない。
奇跡のようなかみ合わせで勝つことができた試合だった。
この日がこれだけ鮮烈な思い出として残り続けるのは、
初めて経験する贔屓球団の日本一だということ、
しかもそれを現地で見ることができたということ、
試合内容があまりに緊迫してあまりに劇的なものだったということ
が大前提にある。
しかし、それに加えてやはりあの寒さがあの日を何倍も思い出深いものにしている。
球場の気温は5℃だったらしいから、もっと寒い日はいくらでもある。
それでも、人生で最も寒いと感じたのはあの日の神戸だった。
シーズン中にポストシーズンの日程が1週間後ろ倒しになったことで実現した、神戸での日本シリーズ。
これが京セラドームだったなら、あるいは開催が囁かれた(?)ペイペイドームだったなら。
ぬくぬくのドーム球場で日本一を見ることができたとしても、ここまでの鮮烈な思い出とはならなかっただろう。
どれだけあの日に対する思いが強いかというと、
あの日を経験して人生が変わったという漠然とした感覚を覚えたし、
自分の中核にあの日があるような気がするし、
カイロを買ったドラッグストアを翌年に再訪したし、
3年後にはBE KOBEのモニュメントの写真を撮って「約束の地」という言葉とともにインスタに載せるし、
来年は4年ぶりにほもフィーを訪れてオリックス戦を観戦しようと思っているくらいである。
既存の語彙ではあの日に抱いた、いや、今でも抱き続けている、あの日に対する感情を言い表すことができない。
まあ、強いて言うならば、こう言うことはできるのかもしれない。
2021年11月27日にほっともっとフィールド神戸で寒さに震えながら東京ヤクルトスワローズの日本一を見られたことに感謝して、
「ここが私のアナザースカイ、神戸です。」
と。