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不安に包まれた夜、思い出したのは家族のこと

この夏、学生時代の友人が住む土地へ旅行に行きました。
観光は友人と共にして宿は1人で宿泊。(友人は結婚しているため夜は帰宅。)

夕飯を食べて頃合いを見計らって解散し、ホテルまでの繁華街を1人で歩いて行きました。
行き交う人はグループで旅行に来ている集団や、塾帰りの学生、土曜の夜をもっと楽しもうと飲み歩いてる地元住民など三者三様。

その時に、「1人で行動してるのは私だけ?」と、ふと寂しさが押し寄せました。ホテルに着いて、休めるという安心感よりも、今晩を1人で過ごすことに対する不安感が強かったのを覚えています。


楽しみの一つを思い出した

時刻は夜10時、とりあえずお風呂に入って部屋着に着替えたいと思って立ち上がり、大浴場へ向かいました。

いざ浴室に入ると、シャワーの温度、水圧、浴室の温かい湯気、薄明かり暖色の照明、その空間にあるすべてが私の心を落ち着かせました。

暖かくて気持ちいい

私は温泉が大好きで、この宿に泊まることを楽しみにしていたことを思い出しました。
お風呂にゆっくりと浸かり、部屋に戻ると安心感に包まれて、その日はぐっすりと眠ることができました。


翌日も友人と合流して観光し、新幹線の時間に合わせて駅で解散。

別れ際、再度寂しさに襲われました。

「ここからまた1人か」

そう考えた直後、ふと幼い頃に家族で旅行した思い出が蘇り、たまらなく家族に会いたくなりました。
おそらく、家族旅行だったら家に帰るまでも、帰ってからも家族と一緒にいられる、そんな対比構造があるから思い出したのだと思います。


寂しいという感情を通して気づいたこと

私は非日常を味わう旅行はあまり好きではなく、日常生活に安らぎがあればそれで十分だと思っていました。

実際、煩わしさを感じることのない職場の人間関係、
家に帰ればお気に入りの家具に囲まれ、
趣味の映画・ドラマ鑑賞をする時間はたくさんあって、
一人暮らしではあっても寂しさ虚しさを感じることは殆どありませんでした。

それゆえ、実家に帰ることを面倒くさがったり、
友人からの誘いがあれば会うという感じで自ら声をかけなかったり、
自分とこれまで関わりがあった人たちとの関係を蔑ろにしている部分があることに気付きました。

特に家族は、私の学生生活をサポートしてくれただけでなく、
旅行やお祝い事などの楽しいイベントをたくさん経験させてくれました。

これまでどこか当たり前のように思っていたことが、如何に感謝すべきことかを思い知りました。

「家族に会いたい」

この夏は、実家に帰ろうと思います。
旅行のお土産も忘れずに。


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