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【自分と向き合う】道の進み方

中学や高校のときって、何のために勉強してました?

大学の希望学部選びの目的って何でした?


先日、夫に聞いてみたんです。

なんとなく聞いたことだったけど、答えにビックリ!

私の頭の中には全くなかった言葉だったから。


えーー、私が単純バカなの?

なんかショック。

でもそうやって、視野が広がるのも同時に嬉しい。

そんな複雑な気持ちで言語化する記事。


大学に行く目的って?

私はね、中学のときは「いい高校に行くため」、

高校では「将来の職業を考えて必要な大学と学部に入るため」に勉強してました。

今思えば、単純ですよね。

親や先生の言うことをそのまま鵜呑みにして、自分では考えていませんでした。

高校で受験した高校は、自分の成績で行ける一番の進学校っていう理由で、その高校でやりたいことがあるわけではなかったです。

どんなことを学びたい、やりたい、は、まだイメージができるけど、どんな自分になりたい、どんな大人になっていたい、なんてイメージはなかったなぁ。

いい仕事について、いい恋愛をして、結婚と出産を経て働くママになる!なんて思っていただけで、その「いい」ってどんな基準なのかも考えてなかったです。

漠然と「いい」って、世の中で認められているとか、一流とか、権力があるとか、有名とか、そんな感じだったのかもしれない…心を漁ったらありきたり過ぎてビックリです。


今はいいなぁって思うのは、YouTubeやブログでいろんな人の価値観や考えに簡単に触れられるから。

昔よりもハードルが低いですよね。

いろんな考えや価値観に、簡単に触れられるってすごいこと。


昔だったら、近くにいる大人とか、本を読んでとか、限られていましたよね。

でも大人とか本とかって、オブラートに包まれているというか、ぶっちゃけた話というよりはキレイな話になっちゃっている感じで。

夢はあるけれど、そうはいっても…な話ってなかなか聞けなかった気がします。


私は進路を考え始めた高2のとき、親といろいろ話しました。

そのときに

「何になるために、どこに行きたいの?」

と、なりたい職業まで聞かれました。

私は中学のときのサマーボランティア合宿体験で、福祉とか医療の道を漠然とイメージしていたものの、

世界の国々が好きだから「国際公務員」

自然が好きだから「木のお医者さん」

栄養を学ぶのが好きだから「栄養士」

と、2週間おきに全く変わる私のなりたい職業に、親も呆れ返ってたと思います。

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漠然としたイメージで飛び込んだ世界

私の親はね、後から聞いたところによると、女の子は大学に行かないだろうからって、学資保険は高校までしかかけてなかったとか。

私が県立の専門に合格して、授業料が高校より安かったから何とかなったんですよね。

県立の大学でも難しかったと思います。


周りの子たちが大学を希望し、担任からも「これからは四大出てないと」と進路変更をうるさく言われる中、私は県立の専門で理学療法士になることに決めました。(一応県立の大学は受けたのだけど)

資格職なら、子育てで一度仕事を離れても復帰しやすいと思ったのもあったし、人の役に立ちたかったし、陸上部で関東大会の強化合宿に選出されたときに教わった体の使い方に興味があったのもあります。

また、脳について興味があったのも大きいかな。

体のこと、脳のコントロールのこと、いろいろ知りたかったし、手に職の仕事をしたかったんです。


今でもその選択をしたことに、後悔はありません。

むしろ、自分の能力以上の職業じゃないかと、時々気後れするほどです。

だけど基本的に人と接する仕事、体を使う仕事って私にピッタリ。


職場をいくつか変えて働いていますが、そういう働き方ができたのも、私にとっては良かったのかもしれません。

ところ変われば人も考えも学びも変わります。

私の世界が広がったのは、いろんな世界を知ったから。


でもね、私は世の中を知らなさすぎるとも感じるんです、結婚してからは特に。

興味がないことは全然頭に入らなかったので、仕方がないのですけど。

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どうありたいか…改めて考える機会

私ね、仕事のために学校で勉強し、仕事を続けてきて、結婚も出産も、全て自分がやりたいと思っていたことはひと通りこなしてきて思うのですよ。

仕事とか結婚とか出産とか、それがゴールになっていて、そのあとどうありたいかを何にも考えてなかったって。

だから今、ぽっかりと目標を失って困ってます。

子育てがいちばん大変なのだけど、私が頑張ったからって何がどうなるものでもないし。

あくまで私は自分の人生を、自分で操縦する必要があるんですよね。

今までそれに気づかず生きてこられたってどういうことなんでしょうね。


そんなことが日々生活する中で、時折頭をかすめるわけです。

そんなの人それぞれだし、考えるタイミングだって人それぞれなんでしょうけどね。


本来なら就活のときに、一度自分を見つめ直すのかもしれません。

でも私、勉強するなら総合病院!って単純な頭で、家から通える総合病院に就職しました。

当時、理学療法士の就活は、よっぽどの人気でなければ希望する職場に就職できたので、悩むこともなかったんです。

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夫から返ってきた言葉にビックリ

夫は法学部出身。

ふと聞いてみました。


私「なんで法学部にしたの?」


夫「自分が生きていくために、必要な知識を得るためかな。」


!!!!!!!!!!?

ドッカーーーーーーーーン!!


自分が生きていくため?なんだ。

就職に有利とかじゃないんだ。


夫は、生き方の大半がリスク管理っていう感じ。

堅実で危ない橋は絶対に渡らない。

自分のキャパも知らずに、やりたい放題やってきた私とは真逆でした。


生きていくためかぁ…その考え方があったら、私は何を選んだだろう。

自分が生きるために必要だと思うことって、なんだろう?


今だったら、影響受けまくってる関係で、禅の世界を学びたいかな、あはは。

やっぱり私の脳みそって刹那的。


選ぶときの基準というか、目的みたいなものってありますよね、人それぞれ。

その部分に「自分のため」って意識できるってスゴイなぁーって思いました。

いや、私も将来の自分のため、だからね、離れてはいないけれど、ニュアンスはだいぶ違います。

いや、「将来の自分」の部分が、理想化し過ぎてキラキラしていたからかもしれません。


夫は、生きていくために必要なのは法律でしょ?ってサクッと話しましたけど、私、そんなこと今まで考えもしませんでした。

別に悪いことしなきゃ、法に触れないし、いいでしょ、ってくらいで。

税金は国民の義務だから、ちゃんと払いますよ、くらいで。


脳みそ、違うんだなぁ。

面白いなぁ。


夫いわく、日常生活の一つ一つが契約を交わしてるってことなんだって言ってましたね。

自動販売機でジュースを買う、ということさえも、と。


それを言うなら、私も日常生活のひとつひとつの動作が筋トレなんだ、と言いたい(笑)

それがきっとその分野の専門の「視点」なんでしょうね、くふふ。


いろんな視点に立てるって面白いって、最近とってもワクワクしています。

手っ取り早いのは夫と話すことだけれど、視点を広げるキッカケって無数に転がっていて、あとは自分が何を拾うか、なんでしょうね。

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私の成長

今日、以前の私だったら速攻で食いついていた講座に、参加するのをやめました。

今はそのときじゃないなって、素直に感じられるようになったからです。


そうしてみて、わかりました。

何でも食らい付いてしまってたのは、私の「できてないところ、欠けているところ」しか見ず、急いでそこを補うことしか考えてなかったからなんですね。


大丈夫、今の私でも十分やれてる。

足りないから補うんじゃないんですね。

次の進む道が見えていて、そこにつながる橋のようにポンと目の前に置かれたら、それを使って進めばいい、それくらいでいいよねって思えるようになりました。


焦らなくて大丈夫。

今の私を大切にしよう。

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