感情のデトックスを言葉に
noteのアルゴリズム?のせいなのかな。
フォローしててもタイムラインに上がってこない方もいれば、フォローしてなくても良く見る方もいたりして。
よく検索していたり、読んでいたり、自分の書いている記事に近いとか、そんなのが関係しているのかな。
最近、ネガティブが強い記事が多いので、よくタイムラインに表示されてしまう方がいらしたら、ホントに申し訳なくて。
読みたそうな記事だけその方のタイムラインへ表示する、そこまでAIは考えてくれていたりするのかしら。
それだったら、どんな記事を書いても後ろめたさを感じずにすむからいいかも。
でもきっとそうよね。
私のタイムラインは、私の興味であふれてるし!
なぜこんな話をするのかというと、最近、誰かのためよりも自分のための記事を書いてるから。
相手がどう感じるか、そこを全く考慮しない記事。
本来、自分と作品として投稿するならね、読んだ相手にどう感じてほしいか、というのが最初にあると思うのね。
最初の頃はそれを大切にしつつ、自分の想いも乗せていたのだけど、今は誰かに届いてほしい記事と、完全に自分のための記事を分けていて。
それがとってもバランスいい。
その結果、私に起きた変化をこの記事では言語化してみたいな。
自分の心に触れると起こる現実変化
noteを書こうとするとどうしても人の目があるからね、難しいんだけど、そこをあえて気にせずに自分の心に触れてみようと思ったのね。
こんな記事にしたら読んだ人はモヤモヤするだろうな、何が言いたいのかわからないだろうな、と思うような、出てくる気持ちをそのままに受けとめるだけの言葉の羅列。
投稿ボタンをポチッと押した後は、罪悪感とか後悔の気持ちがブワッと湧くのよね。
なんで、こんな記事を公開してるんだろって。
だけどね、すごく不思議なんだけど、後悔するほどネガティブをそのまま言葉にした記事を公開したあとはビックリするような現実変化があるのよね。
以前、他のブログでも同じように言葉を吐き出してたことがあったけど、そのときはネガティブをただ吐き出すだけだったから効果がなかったのかも。
ニュアンスが難しいけど、ただ吐き出すだけじゃなくてね、吐き出した自分言葉をそのまま受けとめる、そっかこれが自分だ、恥ずかしいけどそうなんだなって自覚するというかね。
責めずに嘆かずに、そうなんだよねってわかってあげるというのかな。
それをしてあげると、変わるのよ。
どんな変化かというと、やや卑屈になりがちだったり、見える世界がネガティブにしか受けとめられなかったりして、私ってダメなのかも、もうやっていけないかも、私って存在してる意味ある?なんて感覚を無意識に受け取ってしまう現実があったのに、とてもフラットに現実を受けとめられるようになるという変化。
現実が苦しい、自分が変わらないとダメだ、どんどん自信を無くしてしまう、笑顔になれない、自分がダメ人間のように感じてしまう、みたいなね。
無意識に感じる心がそんな感じで、自分ではそう感じる自分をコントロールできない!って、さらに自信をなくしてしまうような日々を送ってるときに最適ね。
その最中にいると毎日キツイのよー。
第三者が見ていると、何でもないことだったり、全くフツーな感じだったり、むしろ良くなってるんじゃない?なんて思ってたりする状況であったとしても、本人はなんらかを察知して、勝手に傷ついてるというか。
一種の防衛反応なのかしらね?
だとしたら、ちょっとそれが過剰になってるような感じかな。
そういうときほど、俯瞰できたらいいんだと思うのよね。
だけど頭の中はグチャグチャだし、頭の中で考えてるだけだと自分を否定しがちだからなかなか難しい。
それに自分を肯定しても誰かからは否定されてるんじゃないか、なんて思うと怖くて自分にオッケーなんてとても出せない。
誰かに認めてもらいたいけど、ジャッジされちゃうと落ち込んじゃうし、どんな言葉でも受けとめられるわけじゃない。
それならさ、過敏すぎるなら非公開かフツーのノートに自分のために書けばいいわけよね。
だけど私はあえてnoteで公開してた。
それはそこまでしないと自分には届かないって、自分の手強さを感じてるのかもしれないなぁ。
今までだっていろいろやってきたけど、手強かったから。
そんな私が意識してきたこと、それはとにかく自分の気持ちを言葉にすること。
そしてその気持ちがなぜ起きているのかを自分なりに考えて理解してあげること、これをしてあげる。
そんな記事を最近ね、私、多く書いていたわけ。
記事としては成り立たないような内容で申し訳ないなぁ、と思いながらね(下書きのままの記事もかなりある)。
で、モヤモヤを残したまま仕事に行くんだけど、仕事がめちゃくちゃ楽なのよ、そういうときって。
脳がスッキリしているせい?
自分って人間を自覚して、身の丈の動きができているせい?
卑屈なフィルターがフラットになっているせい?
わからないけど、何か脳に影響してるんだと思う。
あんなに苦しかった職場が、何が変わったわけでもないのに、自分の心が違うと現実が変わるのよ。
こんな体験、初めてでね。
意識が変わると世界が変わるというのはこういうことなんだと実感したよね。
そんな経験ある?
私は最近、何度か感じていてね。
やればやるほど確信に変わる。
あ、感覚が変わったって。
こんなにドン底で、現実が悪化する一方ならもう仕事はやめるしかないって思っている状況なのね、今。
結構追い詰められてて、何かしら上手くいかないことがあるとドーンと落ち込んで、もう行きたくない!って心が折れちゃいそうになるの。
でもね、 noteで言葉をつづると、次の仕事で何にも変わってないのにフワーっと軽くなる。
卑屈な捉え方をしないで帰ってこられる。
そんな経験をして思うんだけど、やっぱり自分の感じ方って工夫次第で変えられるのよね。
特にHSP傾向がある人は、もうさ、過敏に感じちゃうんだから仕方ないって思ってると思うんだけど、そういう人ほど感覚が繊細だからこの変化を実感できるんじゃないかな。
書くと変わるの。
だからきっとジャーナリングとか大事って言われるのかもしれないね。
ただ書くこと。
もしくはテーマに沿ってつづること。
私はネガティブをただただつづること。
そんな自分をそのまま受けとめること。
ジャッジしない、責めないこと。
それってこんなにも力を持ってるんだなーって、すごく実感したよ。
無意識のジャッジの力
うちの母はいつもジャッジする人で、私もそれが当たり前だと思っていて、当たり前に他の人にもしていて、嫌な思いをしてた人、多かったんじゃないかと思う。
母はきっと自分へもいつもジャッジしているんだと思う。
もしかしたら祖母もそういう人だったのかもしれないね。
だって無意識のジャッジってなかなか自覚しづらいもの。
でも言葉にすると気づける。
言葉にして、何回かフラットな目線で読み直すとハッとするのよね。
これはジャッジだ、って。
わかると日常でつい使ってしまうジャッジ言葉にも違和感を感じるようになってきて。
言葉に気をつけるようになるのよね。
言い回しに気をつけたり。
その違いは大きいと思う。
ジャッジって言ってる方は結構無意識で、何気ない言葉なんだけど、言われた方は違和感あるし、傷ついたりする。
そうして無意識に自分や他人を傷つけてる。
そんな状況だと、どうしてもいい感覚の世界にいられなくなってくるのよね。
そこで自分でいい感覚の世界を作って、そこに浸るという選択肢もありだと思うけど、社会の中のとある集団に身を置いているとなかなか難しいところもあるし、自分の世界にこもっているキャラを演じたとしても、そこにグイグイ入ってくる人もいれば、イライラをぶつけていい人認定されるリスクもあったりして。
その方法は自分には合わなくて、感情のデトックスで心をリセットしていくのが合ってるんだってやっとね、わかってきたんだ。
感情のデトックスで意識したいこと
感情をデトックスするにはどうしたらいいか。
イメージとしては、感情をカタチにする感じ。
感情に名前をつけてみるとか。
あとはどんな色かなって思ったり。
ゆるキャラ作ってもいいね。
私は言葉を吐き出していくうちにハッ!って正体に気づく感じで、気づけたらもうそれでよくて、イメージよりも言葉の方がストンと落ちるかな。
ダラダラ書いてるようだけど、自分と対話してる。
ただ、これはとても時間がかかるから、時間がないときはヨガやったり、夫と話したり、好きなマンガ読んだりして、サクッと意識を他に向けるようにして気持ちを切り替える。
でも気持ちを切り替えるのはあくまで次の行動に移るため。
意識を変えるためには、ネガティブな感情と向き合って、デトックスがいちばん効くって思う。
もうね、長いこと思考のクセで、ボケーっとしてるとどんどんネガティブな思考が頭いっぱいに広がっちゃうのよね、私。
自分を守るためではあると思うのね。
誰かに後ろ指刺されたくないとか、怒られたくないとか、おかしな人認定されたくないとか、そういうのから自分を守るため。
それで必要以上にネガティブに考えることによって、回避する方向に無意識に考えてたのかもしれないけれど、結果的にはそれは苦しさを生むだけだった。
感情のデトックスを上手くできるようになりたいなって思う。
感情のデトックスが上手くできるようになったら、上に語ったみたいに、脳のキャパに余裕ができて、捉え方、反応、感情に変化が出てきそうだもんね。
これからも楽しみ!
そうやって自分をコントロールするスキル、身につけていこっと!