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【子育て】三男へのコミュニケーションと愛のカタチ

「にじっこ、ください。」

4歳になって半年。

まだ言葉が少ない三男が、ツマミをくるっと回すとラムネが出てくるガチャガチャもどきを手にして嬉しそうに話しかけてきた。

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「にじっこね、じゃあおいで。」

私はニコニコして対応する。


コミュニケーションが難しい

これは三男との貴重なコミュニケーションのひとつ。

なぜなら、何気ない会話がなかなか成り立たないから。

言葉が少なく、理解も低いということも大きいし、何かを共有しようと思う気持ちもあまり感じられない。

また、私が投げかけてもキャッチのストライクゾーンが狭い。

子どもと会話するのがこんなにも難しいものかと思って、私は子育てをしてる。


そんな日々を過ごしていて、いざ近所や幼稚園、小学校にいる子どもたちと話すとビックリするのね。

こんなにも考えずに話ができるんだ、と。


私は人と会話をする時、相手が話してきたらそれに反応し続けることで成立していたし、私から当たり障りない一言を投げかけることで会話への流れをつくり、スムーズに会話につながっていた。

そのやり方で今まで会話に何の問題も感じてこなかったことに、自分の子の子育てをして初めて気づいたの。


実は我が子は3人とも自閉症スペクトラムと診断されている。

コミュニケーションは苦手なことのひとつ。

自分から話しかけてくることは少ないし、投げかけたとしてもなかなかやりとりが続くことがあまりない。

だからといって、無理に促したところでストレスにもなりかねない。

そんなわけで、子どもが3人もいるのに実はにぎやかとはほど遠い生活をしてる。


それでも母親として、子どもとはコミュニケーションを通して我が子との関係を深めたい、楽しみたいと思うのは自然なこと。

試行錯誤してきて、いちばんスムーズにコミュニケーションが成立するのは

「子どもの興味や好きな世界」

に関することだと実感してる。

三男の場合、「おやつ」もかなり貴重なコミュニケーションネタのひとつなの。

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にじっこの世界

三男の中で「にじっこ」というのはとってもたくさん、という三男の中でのいちばん大きな数なんだと思う。

その数を伝えてくることから、彼がたくさん食べたいって思っていることが伝わってくる。


そして「にじゅっこ」、じゃなくて「にじっこ」なのは、彼の学びのツールのひとつであるスマイルゼミ(タブレット学習)で10個の読み方が「じっこ」だと正しい日本語を学んだからだと思う。

日常会話の中で10個を学んだ子どもたちはきっと「じゅっこ」って言うんじゃないかな。

日頃の生活よりも、わかりやすいツールで学ぶ方が得意な彼は、スマイルゼミに忠実なんだ。


「ハイ、これ20個」

私はザザッとテキトーにラムネを差し出す。

すると彼は数える。

「1,2,3…8!!にじっこください。」

10以下は数えられるので、20個じゃないのはバレてしまう。

「ごめんね、あともう少し…ハイ20個!」

在庫があまりなく、おかわりに対応できそうもないから今は13個くらいで対応中。

案の定、食べ終わるとまた

「おかわりください」

ってやってくる。

「おかわりは2個でもいい?」

「にじっこです!」

「そうかぁ…あと5個しかないから5個でいいかな?」

ラムネの入ってる入れ物の中身を5個だけにして、全部入れてあげ、

「ごめんね、もうないね。」

と伝える。

ない、ということが視覚的に理解できると、彼はちゃんと納得してくれる。

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で、たまに

「あ!あと2個あったよ!やったね。」

なんて変化球も投げてみる。

「2個だ!2個。」

ふふ、嬉しそう。


そうやって日々会話をしてる。

今、数字に興味が湧いてきていて、会話の中に数字があるとノリノリなのが伝わってくる。

そういう彼の姿に私はキュンとするし、私はママだなぁと実感する。


その一方で、なんか大人って都合いいなとも感じるよね。

枠を作って、そこからあまりにも出るようなことはさりげなく促したり、理解ができるようなら伝えたり。

それは大切なことってわかってるけど、こっそりとおやつの量のコントロールをしちゃってる自分になんとなく後ろめたさを感じるのもホントの気持ち。

1日に一度のときもあれば何回か繰り返されることもあるから仕方ないじゃないって、少ないよりもゼロの方がショックが大きいのもわかってるからだよねって、もうひとりの自分がフォローしてくれるんだけど。

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伝え方って大切

子育てって難しいなぁと思うのは、私はうまく自分を育ててこなかったからじゃないかって思うことがある。

「人を育てるのが上手な人は、自分を育てるのが上手な人」

なんて言葉、聞いたことあるし。


子どもが何かやってうまくいかなかったときにかける言葉。

やっちゃいけないことをやったときにかける言葉。


それはきっと自分にかけられた言葉でもあるし、自分でかけ続けてきた言葉でもあると思う。

私が自分に何気なくかけている言葉を使ったあとに、傷ついた子どもの顔を見ると自分の傷ついた心とリンクする。

そっか、私、実はこの言葉で悲しかったんだって気づく。


三男に対しては、もっと難しい。

やったらダメを「バツ」と指で伝えることも、最低限にしているつもりだけど、それしか方法がないこともある。

バツ、悲しいんだよね。

ごめんね。


言葉も含め、伝えるって難しいよね。

相手を思えば思うほど言葉には詰まるし、それでも伝える必要があるときは、伝え方ってものすごく大切になる。

言葉って人の心を温かくもさせるけど、冷たくさせることだってあるものね。


我が子たちはすごく言葉とかその奥にある感情や気持ちにとっても敏感だなぁって思うの。

私の親としてのあり方も、言葉の選び方も、繊細に感じ取ってるなぁって。

だからこそ子どもたちがおうちの中で悲しい気持ちを積み重ねるのではなく、うまくいかなくても思いやりの気持ちが持てるような関わりができたらいいな。

それが私の目指す「家族愛」のひとつのカタチ。

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