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自分の中の母親とわたし

仕事から帰ると久しぶりに静かな我が家。

大きく深呼吸した。

また振り回されちゃってたな、と思った。


月に1回の特別な日

今日は月に1回の特別な日だった。

何の日かと言うと、

「長男の週1回個別登校に夫が付き添う日」。


長男は今、「学校に行かない選択」をしている。

その理由は「他の子どもたちと会いたくないから」とのこと。

本人は言葉にしないけれど、いろいろと傷つくことがあったらしい。

直接的なものもあったと思うけれど、「見た、聞いた」ことで傷ついたことも多くあったんだと思う。

それくらい彼はとても繊細なのを年々感じている。


いろいろと配慮はしてきたつもりだった。

それでも無理なときは無理なんだと思う。

私は長男が小学4年のとき「学校に行かない選択」を受け入れた。

主治医は長男を「社会不安障害」と診断し、学校に来させようとする担任にストップをかけてくれた。


それから1年以上、私は長男の心の声を少しずつ聞いてきた。

なかなか言葉にできない繊細な言葉の数々を拾ってきたと思う。

それは言われないとなかなか理解できない感覚だったり考えだったりした。


私は長男と向き合うために、学校に週1回行くことを提案してみた。

「学校に復帰するための登校ではなくて、人との関わりを積み重ねてほしいからだよ。

嫌だと思うけど、週1回1時間なら負担なく行けないかな?」

と話した。


彼は前日からとても緊張する。

わかってる。

でもそういう時間も必要だと思った、長男にも私にも夫にも。

じゃないと、大人しく家にいることができる長男は、そのまま大人になってしまう気がする。

大人が積極的に関わっていくための機会をつくることも大事じゃないかな。


もちろん彼の最重要課題はメンタルコントロールなんだ。

メンタルがやられてしまうなら、行かない方が全然いい。

最低限のところを探った。

今の週1回1時間、これが彼の限界であることはよくわかっている。


彼は家にいるとフツーの思春期男子と同じだった。

聡明でよく物事を理解し、人の気持ちも考えられる優しい子。

そして私のウケ狙い発言にいつも大笑いしてくれる。

いるいる、いくらでもいる、こんな男の子。

そう思うのだけれど、一歩外に出るとそんな長男は消えてしまう。


私はそんな彼が普段家にいると、母親としてできる限りのことをしてあげたいと思う。

親として当然なのかもしれないけれど、実際には親としてできることの線引きは難しい。


彼が家でもそれなりに学びながら生活できるように…と試行錯誤しながらの毎日。

結果、私は家で全く休めなくなってしまった。

学校に行っていない分、家でいろんな学びをさせてあげたい、どんなことをして視野を広げていったらいいかな、なんて気づくと頭の中でグルグル考えてしまっている。

彼が自分の部屋にいて目の前から姿を消していても、私は気が休まらなかった。

ソファでゴロンとしていても、頭は落ち着かなかった。


学校の先生からの勧めもあり、月に1回は私ではなくて夫と学校に登校することになって、やっと私は家で自分だけの時間が持てた。

ひとりの人間にやっと戻れた、と思う。

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母親とひとりの自分が両立できない

私は家にひとりでいて、やっとホッとする。

その瞬間、普段は母親としての自分に振り回されてしまっているのかな、と気づく。

母親であることは大切だけれど、同時にひとりの人間としての自分も大切なのに…いつのまにか母親の自分しかいない。

家族を前にすると、ひとりの人間としての自分は消えてしまう感じ。

家にいるときは「母親」でしかいられなくなっている。

だから私は仕事が辞められないのだな、と思う。

職場にいれば自然に「ひとりの人間としての時間」になるから。


フルタイム勤務のときは、子育てとの両立はめちゃくちゃ大変だったけれど、不思議と「母親と自分」のバランスは良かった。

お昼休憩で仲のいい人とのさりげないおしゃべりや、仕事で多職種との関わりも「ひとりの人間としての私」としてできたからだと思う。

ゆっくりとお昼ご飯が食べられる、おしゃべりができるということはとても幸せなことだと思う。

小さい子どもと一緒に家にいたら、そんな状況をなかなか作れないもの。

子どもにかけてあげる時間が少ないということが罪悪感だったけど、自分の中では程よいバランスだったんじゃないかな。

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理想の母親は私にとっては過負荷

5年ほど前、子どもの療育が決まって私は仕事のペースを落とした。

その分、母親の時間が増えた。

私は母親としてやってあげたいと思っていたことをひとつひとつこなしていった。

今までやれなかった罪悪感も手伝って、子どもにたくさん向き合った。

その中で、どこまで向き合えばオッケーとするかの明確なラインを設けなかった。

私は深みにハマっていく。

目の前で起こることに、どこまで自分が関わっていけばよくて、どこまでは子どもの責任でやらせていくか、その選択がとても難しく感じられた。


我が家の子どもたちは3人ともASD(自閉症スペクトラム・生まれつきの脳のタイプ)だ。

それぞれ全然違うキャラだけど、人との関わりに苦手さが強かった。

でも私は人と関わる楽しさ、嬉しさを伝えたかった。

私は母親として出来ることはなんでもやってあげたい、特に信頼関係を築くことでの安心感と関わる楽しさは伝えたいと思った。


これが多分お互いに過負荷だった。

私は家にいる時間が長くなるほど、自分の気持ちが落ち着かなくなってしまうようになった。


責任と想いが空回りする。

誰も私を必要としていないんだ、と最後は悲しくなってしまう。

それだけ、心を通わせていくということがなかなかできない状況がある。

そして、おそらく脳のタイプが違う子どもたちもまた同じようにママにはわかってもらえないと思っているんじゃないかと思う。

脳のタイプが違うと、お互いの愛情を確認しづらいというデメリットがある。

お互いに大切に思っているのに実感ができないってもったいないなぁーって思う。

私がリードしてなんとかならないかって思ったけど、結局は過負荷で、自分の中の強い想いに振り回されてしまったような感覚になる。

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ほんの1時間が私を変える

誰もいない1時間を、私は自分がいっちばん喜ぶことをしようと思ってる。

今日はメダカを眺めていて、水草が茂ったなぁーって思って、チョキチョキトリミング。

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この時間が最近の至福なんだなぁー。


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それと、献立表づくり。

1週間分の献立を予定を考慮して予め作っちゃうと、平日頭が疲れなくて済むので。

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これに縛られるのが嫌だなぁと思ったこともあったけれど、今はこれの通りに作ればとりあえずなんとかなる!

また他の予定と紐づけて献立を考えているので、予定を忘れなくて済む。←予定が立て込んでるから楽チンメニューとか

1週間分の予定を考えておくと、頭を使わずにただただ動くだけでよくなるのが安心につながる。

忘れなくていい。

お金を使いすぎなくていい。

最低限、これだけやれていればオッケーと自分をいたわれる。


ちょっとメンタル落ちてるなーって思ったときは、楽チン家事に週末ご褒美、なんてプランも立てられる。


好きなおやつを買ってもいい日、なんてのも設定できる。


家計簿と連動させて、予算管理も楽に出来る。


そんなふうに頭の中身を出していって、やっと力が抜けた感じ。


自分と子どもと家事と仕事と…ママの頭の中って常にフル回転。

頭がいっぱいだとイライラしやすくなるし、子どもの言葉の向こうにある気持ちにも気づきにくくなる。


私は穏やかに人との関わりを楽しみながら過ごしたいから。


想いを再確認したら、おひとり時間終了!!

三男のお迎えに夕飯の準備。

気持ちが切り替わったら、夫との料理の時間を楽しめそうな余裕が出てきました!

「ね、一緒にごはん作ろっか?」

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