【京のブログ】(13)「自分にとっての普通は、他人にとっての普通とは限らない」
このブログに出会ってくださって、ありがとうございます。
今日は、「普通は〇〇だという人」について書きたいと思います。
私の出会った人で「普通は〇〇なのに、あの人はなんで出来ないのだろう?」と頻繁にいう人がいました。(仮にAさんとします。)
ある日、AさんがBさんに真夏の暑い中「なにか飲み物を買ってきて」と頼んだことがありました。
そこでBさんは、いつもAさんが朝出勤した時に飲んでいる、熱い缶コーヒーを買ってきました。
しかし、Aさんは「こんな暑い日に飲み物を買ってくるなら、冷たい飲み物じゃないの?普通わかるよね?」と言い、Bさんはガッカリしていました。
でも私は、Bさんに対してAさんがそこまでいう権利はないと思うのです。
なぜなら、もし、冷たい飲み物を買ってきてほしいのなら、Aさんは最初にBさんに頼む段階で、「何か冷たい飲み物を買ってきてもらえる?水とかお茶とかで構わないから。」くらい、具体的に頼むべきだったのではないかと思うからです。
Bさんは、Aさんに言われた段階では「飲み物ならなんでも良い」と判断して、良かれと思って「いつもAさんが飲んでいる銘柄の熱い缶コーヒー」を買ってきたのかもしれません。
もっと言うなら、Aさんが「冷たい飲み物が飲みたいのなら、自分で買いに行けば良い」のです。
ですから、「熱い缶コーヒーを買ってきたBさん」に対して、Aさんが「普通、冷たい飲み物だってわかるよね?」というのは、理不尽だと思うのです。
自分にとっての普通は、他人にとっての普通とは限らないのです。
そもそも、昔と違って現代は特に「普通」という概念自体が通用しないのではないのでしょうか。
昔は、人と同じあることを求められた時代でもありました。
たとえば、学校の制服なども、男性はスラックスが普通、女性はスカートが普通、靴下の色や髪型も前髪の長さなどにまで、同じにすることを求められました。
それが「普通」の時代だったのです。
では、現代の多種多様であることが当たり前になった世の中で「普通とは何か」を問うならば、きっと、「全人類に共通する、普通など存在しない」というのが答えなのではないでしょうか。
言い換えるのであれば、普通とは「人それぞれが主観的に思う普通でしかない」ということだと思うのです。
ですから、Aさんが「こんな暑い日に飲み物を買ってきて欲しいと言われれば、普通は冷たい飲み物を買ってくるよね?」ということも、Aさんが主観的に思う「自分だったら冷たい飲み物を買ってくるのに」という事でしかないのです。
もしかしたら、この世の中には「暑い日に、熱い飲み物を飲むのが普通」の人がいるかも知れないのです。そういう人から見たら、Aさんの「暑い日は冷たい飲み物を飲むこと」自体が、普通ではなくなってしまうのです。
今は、「個人の考えを尊重するのが普通」であり、個人を尊重するということは、個人それぞれの考えが全く同じであることはあり得ないのだと思います。
現代は、色々な人の色々な考えの全てが、受け入れられる世の中になりつつあります。
「みんな違って当たり前が普通」だからこそ、お互いが歩み寄り、良好な関係をつくっていくため、意識的にコミュニケーションをとってくことが、求められているのではないでしょうか。
皆様の周りにも「普通は〇〇だという人」はいませんか?
今一度、自分自身を振り返り「どんな相手の考えも尊重して、コミュニケーションをはかり、意思疎通のしやすい環境をつくっていくこと」を意識してみませんか。
もしかしたら、知らず知らずのうちに「自分が主観的に思うだけの普通を、相手に押し付けてしまっている」かも知れませんよ。
皆様の毎日が充実した日々でありますように。
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