打ちのめされた。それでも企画に向き合ってよかった|第2回『企画メシ』
ああ〜、また違ったかあ……。
第2回『企画メシ』は、ゲスト講師に作詞作曲家の岡嶋かな多さんをお招きしての特別会。
かな多さんから事前に用意された課題は、「日本の音楽が世界に打って出るためにすべきことを考えてください」。
第1回の『企画メシ』では、阿部さんに「そもそもなぜその課題が出ているか」をまず考えることを教わった。
よし!課題を鵜呑みにしないぞ!
半ば斜に構えるように注意深く、ドロドロになるまで課題の「そもそも」を咀嚼した。
そして私なりに導き出した「そもそもなぜその課題が出ているか」のこたえは、「かな多さんのように、他の人が音楽の夢を諦めずに突き進むにはどうすればいいか考えてほしい」だった。
やっと導き出せた定義。不安を覚えながらも、最後は自信を持って企画を提出した。
そして講義当日。自分のこたえが的外れだったことを目の当たりにした。
かな多さんは、日本の音楽業界に対して「もっといいところがあるのにもったいない」として、音楽業界以外の視点を欲していたのだ。
プロデューサー育成、日本独自の文化と音楽のタイアップ、新しい音楽サービス。
推しに選ばれた企画たちはどれも、いますぐにでも実現したい、まさに音楽業界に新しい風を吹かせるものばかりだった。
恥ずかしい。
現在私は、平たくいえば「無職」。だから誰よりも課題に対して時間を費やせる。そして実際、誰よりも費やしてきた自信はある。のに
この程度のアウトプットしかできないなんて。
自分の無力さを痛感するとともに、この場所にいる自分が場違いに思えた。
以前阿部さんは、人と比べることが悪いこととは限らないと言っていた。
私はきっと、いつまでも後者になれない。
それでも私は、今回の課題に時間を費やしてよかったと思う。
かな多さんに質問をしたことで、(おそらく)まだどの媒体でも語られていないことばを引き出せたからだ。
自主企画『裏企画メシ2023』でインタビューをはじめてから、「その人を徹底的に知る」そして「自分なりの仮説を立てる」ことが癖になってきた。
今回の疑問は「なぜかな多さんは、15歳から音楽の夢を追い続けられたのか」。
子どもは親の「制約のもとで」育てられる。夢を追い続けられるかどうかはある意味、親の理解があるかどうかが分かれ道だと思うのだ。
かな多さんの書籍では、たびたびお父さまのことばが登場する。
「高校に通いながら音楽の専門学校に行くなんて、そんな中途半端な選択するなら高校なんて行くな」
「お前は歌はいまいちだけど、歌詞はいい」
きっと、自由を尊重する家庭だったからこそ、かな多さんは夢を追い続けられたのではという仮説を立てた。
そして、その仮説はおおむね間違えてなかった。
「自由と楽って、似ているけど全然違うんですよね」
かな多さんのお父さまは、かな多さんが小さいときから「人生とは」という内容を解いていた。その教えの影響だという。
とても響いた。ただ「与えられたことば」と「自分なりに仮説を持って引き出せたことば」は重みが違う。
私はあと何度打ちのめされるのだろう。
そう凹みかけていたとき、ノートの右下に書いたこのことばが目に入った。
「やられた、はほぼ毎週あります。遠い世界の人にも、身近な人にも。でも、だからこそ楽しい」
これも企画生からの質問から生まれた、かな多さんのことばだ。
このことばと巡り合わせてくれて、ありがとう。
私はもうすこし頑張れそうです。