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30手前で今さら「留学したい」だなんて思っても

留学に対する憧れは、中学の頃から持ち合わせていた。

外国語学部がある高校に進学しようか迷っていた中学時代。とはいえ当時の私の学力といえば「他の科目に比べて英語が得意」なくらいだったし、今から進路を狭める勇気はなく、結局普通科の高校に進学した。

高校1年での進路指導でも、最後まで文理選択に迷った(私の高校は2年生から文理に分かれる決まりだった)。具体的には「国際問題に興味があるか、環境問題に興味があるか」だったが、当時の担任に農学部を勧められて、その魅力に屈した。理系を選んだ私が次の進路として選んだ大学はしかし、文系とも理系とも言えない「地理学科」だった。

それでも大学はとても楽しかった。海外フィールドワークでスイスに9日間滞在したり、あるプロジェクトで教授と一緒に弾丸でネパールに飛んだりしたこともあった。海外に行けばまるで、小さな島国から解放されたような気持ちになり(スイスもネパールも国土は日本より小さいが、それは置いといて)、新たな自分に出会えたような心地になった。

高校でも大学でも、ホームステイの制度があった。高校はオーストラリア、大学はドイツだったと記憶している。

けれど、どちらも「行きたい」と言い出せなかった。
高校のときにホームステイに「選ばれた」子たちはみんな英語が達者だったし、大学のときはちょうど海外フィールドワークと時期が重なり、金銭面を考慮しての判断だった。

✈️

それでも海外への憧れは拭いきれないまま、月日が流れること十数年。

「留学してみたい」「ワーホリに行きたい」
憧れで終わっていたあの頃とは違う、自分の力で何でもできるようになった今となってもそこに立ちはだかる壁は、「何を今さら」だ。

学生の頃は「英語力を高めたい」「異文化に触れたい」そのような目的でもきっと、留学を許してもらえるだろう。それが卒業の単位にもなれば尚更、だ。

けれど社会人、しかも定職がある中で、「仕事を休んで海外に行きます」は、よほど会社でそれを求められているか、あるいは「海外のこの企業で働く」強い目的がない限り、無謀なことだと感じる。「で、その後あなたはどうなりたいわけ?」と問われることになるし、私も実際そう思う。

100歩譲ってそれが自分だけの人生ならまだしも、家族がいればその制約はもっと厳しくなる。世間を納得させることより、目の前の家族を説得することから始まるのだ。


なぜこんなことをふと思ったのかといえば、彬子女王の著作『赤と青のガウン』を読んで、留学に憧れていたあの頃を思い出したからだ。

この本では、女性皇族として初めて博士号を習得された彬子女王が、オックスフォード大学を留学していたときの日々が綴られている。

日本のプリンセスといえど、留学の厳しさは一般人と等しい。辛いことや苦しいこと、それでも留学生活を頑張れた仲間たちとの束の間の休息、そんな赤裸々なエピソードを拝読して、「ああ、私も異国で勉強してみたかったな」と、その苦しさまでも羨ましく思った節があり。

留学は叶わずとも、今年は必ず海外へ。
そう思うきっかけが、幸運なことに今年は多い。

まずはパスポートを取るところから。思い立ったが吉日、だ。

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