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ついにあの子も、年賀状を辞めた

元旦のお昼前、LINEの通知を見ると、懐かしい名前と「スタンプを送信しました」の文字が映った。

そのとき、全てを察した。
ああ、とうとうあの子も年賀状を辞めたのだと。

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彼女は中学の同級生だった。クラスは一度も一緒にならなかったが、同じ吹奏楽部だったため部活の帰りは一緒に帰っていたし、休みの日は毎週のように遊びに行った。

近所のイオンまでチャリを飛ばして、プリクラを撮ったりフードコートでポテトを食べたり、いかにも中学生らしいことはたくさんしたが、とりわけ私たちの休みはカラオケに費やされた。

ふたりとも、歌うことが大好きだった。
朝11時のオープンと同時にカラオケの部屋に入り、競い合うように交互に歌を入れ続けた。時間はもちろん、フリータイム。飽きもせず疲れもせず、夜料金になる18時前まで、ぶっ通しで歌い続ける。さすが中学生。当時は体育が大の不得意だったが、それでも底なしの体力だったと思う。

彼女はとても歌がうまかった。特にB'zやSuperflyといったパワー系の歌が得意で、そんな彼女の歌を何度も何度も聴いた。私がカラオケでB'zを歌えるのは、98%その子の影響だ。

そんな彼女は高校卒業後、声楽の専門学校に通ったらしいが、年数を追うごとに彼女の近況はあやふやになっていた。

けれど、唯一私たちをぎりぎり繋ぎ止めてくれていたのが、毎年彼女が送ってくれる年賀状だった。

大学1年生まではたくさんの同級生と送り合っていた年賀状も、年齢を重ねるごとにその文化は途絶えていた。社会人になると毎年私宛に年賀状をくれるのは2人だけで、そのうちのひとりが彼女だった。

毎年届く太く角張った字はもう見慣れたもので、住所や名前を見ずとも彼女からのものだとわかる。
珍しく年賀状が無かった年は、その前年の冬に律儀に喪中ハガキが届いた。彼女が若くして母親を亡くしたのも、そこで知った。

どれだけ疎遠になっても、1年に一度は必ず、彼女を思い出していた。

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今年届いた「あけましておめでとう」のスタンプからLINEの履歴を遡ると、ちょうど1年前、彼女が「年賀状を送りたいんだけど、住所変わってない?」と尋ねるやり取りで途絶えていた。
昨年もいつも通り、実家に彼女の年賀状が届いた。

今年は、いや、今後はもう、彼女からの年賀状は届かないのだろう。
自分から先に出したことなど一度もないくせに、年賀状が来なくて寂しいと思うのは、傲慢なのだろう。

このnoteは、Marbleコミュニティの「新年チャレンジ2025」Day2のお題に沿って書いたものです。ぜんぶで10日間のチャレンジ、ぜひ見届けてもらえると嬉しいです✍🏻

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