結婚指輪を買った夜、彼の隣でひとり枕を濡らした
「もう、後戻りできないね」
人生で二度目のティファニーの来店を終えて、ふと最初に出てしまった言葉がそれだった。まずい、と思ったときにはもう、遅かった。
「後なんか戻らないよ。だって、一生一緒にいるんだから」隣を歩くパートナーは、何の淀みもなくそう返した。そう、パートナーの言う通り、私たちはもう、決めたのだ。
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結婚を決めたのが2週間前。その後結婚指輪を見るために、私たちは初めてふたりでティファニーの店内に足を踏み入れた。世間が黄色い電球と赤で染まる、クリスマスイブだった。
スーツ姿の店員さんは誰しも姿勢正しく、物腰が柔らかく、店内に馴染む声量とトーンで、ジュエリー初心者の私たちを出迎えてくれた。
初めて見る高級ジュエリーと一流の接客に、結婚はこういう体験も含めて特別感があるなあ、と、お店を出た後もその余韻に浸る。指輪のデザインはどれがいいか、好みをパートナーと話し合いながら、伊勢丹の地下でケーキを買ったクリスマスイブは、実に非日常的な、ふわふわとした甘いものだった。
それから昨日、私たちは再びティファニーに足を運んだ。指輪を買おう、と、決断して。
プラチナに控えめなダイヤがあしらわれたシンプルなデザインのそれは、私たちが一緒に生きることを選んだ証。喜びも苦しみも、この人と分け合っていく決意。0がたくさん並ぶお会計。
怖い。すごく、怖い。
私はまだ、パートナーに打ち明けられていないことが、いくつもある。
そのうち、一生話さないでおこうと決めたこともある。
私はもう、何か起こっても「自分でなんとかすればいいや」と思っていたあの頃には、戻れない。
何かを購入するにも、相手の承諾が必要になる。
ひとりの責任が、ふたりの責任になる。
そんな大切で重大なことにいくつも気づいたのは、愚かなことに、左手の薬指が輝いた後だった。
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昨夜はその恐怖に襲われて、元々寝つきが悪い上にさらに寝付けなかった。
一度はトイレのためにベッドを出たが、戻ってもやはり頭がぐるぐるまわり、思考を整理しようと、紙とペンを持って、暗く冷たいリビングに戻った。
「どうしたの、大丈夫?」心配したパートナーが眠い目を擦って様子を見にきてくれた。書いていた紙を裏返して「大丈夫」と返すと、「何かあったら言ってね」と、早々に寝室に戻った。
全然大丈夫じゃない。
かれこれ大学生時代から憧れ、待ち焦がれた「結婚」という甘い2文字が、当事者になった途端「責任」という2文字に翻り、湿った毛布のように重くのしかかってくるなんて、思ってもみなかった。
自分から望んだことに、自分の首を絞められるなんて。
再びベッドに戻り、こちら向きに寝るパートナーにぴと、と触れると、意識と無意識の境で彼は私の頭を撫でた。
ぐっ、と、涙が溢れた。
彼は、私のすべてを知ったとき、それでも変わらず隣にい続けてくれるだろうか。
こんな生半可な覚悟で結婚指輪をつけた私を、許してくれるだろうか。
そんな葛藤はもうしばらく、続きそうだ。