好きだった人と再会する前に
3ヶ月ぶりに、好きだった人と食事することが決まった。
私は仕事と恋愛の両立ができない。前職のときも、仕事が忙しくなりはじめたときに恋愛ごとが動き、どちらも中途半端にしてしまった。
今年6月に失恋してからこれまでずっと、「働き方」を軸に動いていた。別に失恋を忘れたかったからじゃないけれど、やりたいことに夢中になれば、自然と好きだった人のことも、恋愛も忘れていた。
それでも時々、迷子になり不安になる。
最近は特に、ときめくことがない。
誰かを魅力的に感じることはあっても、好きとか、何がなんでも追いかけたいとか、そういうことがない。
好きって何?
とりあえずマッチングアプリやっておけばいい?
別に付き合うだけなら誰だっていい?
理想の働き方、生活を考えているときにそうしているように、自分の恋愛観もちゃんと見つめ直さないといけない。
ちゃんと理解しないまま次の行動に移しても、また同じような悩みにぶつかるだけだと思う。
そう気づくきっかけをくれたのが、きょう図書館で出会ったFさん著作『いつかは別れる。でもそれは今日ではない』。
恋愛面がぐずぐずだった今年の春、同じくFさん著作『20代で得た知見』に何度も救われた。自分の周りに起こることやそれに付随した感情がことごとく言語化されていて、何度も読み、何度も書き、何度も考えをアウトプットした。Fさんの語り口は、ぜんぶパクりたいと思ったほど。
今また、Fさんの書籍に向き合うときがきた。『いつかは別れる。でもそれは今日ではない』をパラパラとめくったときに目に入ったことば。
負けた。完全に負けた。
またしても、向き合いたくなかった現実を言語化されてしまった。
好きだった人に対する気持ちは常にこうだった。
貯金はないし、だらしがない。いつまでも不摂生で、暇さえあればパチンコに浪費する。伝えることに不器用で、人から本音を聞く前に自分で決めつける癖がある。だから相手から反感を買いやすい。それでも、なんでこんな人を好きになっちゃったんだろう。
私はこれから完全に負けにいきたい。
振られた直後、そして今でも「まあしょうがないよね」で済ませている。「無理だったかあ、そっか」で。
でも私は、自分の恋愛観をちゃんと理解して、それを相手に嫌というほど語りたい。前職時代ふたりでよく行った汚い中華店で、向かい合ってラーメンをすすりながら、大真面目に恋愛について語って、完璧に負けたい。「エビアンってやっぱ、いい子だよね」って言われて。
振り向かせられなかったことを、その場でじだんだ踏むほど悔しく思いたい。「しょうがない」で済ませた失恋を踏み台に、次に行けるわけがない。