人の結婚に素直に喜べなくなった自分が悲しい
昨日オーケストラの合奏で演奏した、ブラームスの交響曲第1番・2楽章のオーボエソロが頭から離れない。
ピアノでいうほぼ黒鍵の音で構成されたフラットだらけのメロディは、とても吹きづらいらしい。初見のオーボエトレーナーが合奏の休憩中、隣の席で苦戦しながら練習していた。音が取れないもどかしさと煩わしさで、失敗するたび両足を小さくバタバタする。そんな仕草まで、通勤中メロディを口ずさみながら思い出す。
「息子、今度結婚するのよ」
老人ホームの厨房のパートは15時から。出勤するとすでに、15時入りのパートさんと15時上がりの社員が喋っていた。
「へえ、おめでたいじゃないですか!」「結婚するなら嫁の実家近くの栃木にしてくれって言うのよ。本当に嫁ぐ気なのかしら」「子どもは?」「できちゃったのよ。まあ、あれは絶対計画的ね」
そんな会話が耳に入る。私は相変わらず、オーボエソロが頭から離れない。
なぜか、この会話に積極的に入りたくなかった。
ああ、私もとうとう人の結婚を素直に喜べなくなる年になってしまったかもしれない。
そんな現実を受け入れるのも、なんだか悲しい。
結婚願望はある。先日、実家近くのおじさんに引き留められ、「帰りがいつもバラバラだけど何の仕事しているの?」「結婚の予定は?」と訊かれた。余計な詮索が本当に嫌で適当に流してしまったし、あとから「余計なこと訊いてごめんね」と言われた。だったら訊くな。
父の葬儀のときに「もう26なの?!結婚しなきゃじゃん!」と、じいちゃんばあちゃんに言われまくってから、親戚への足が遠のいている。避けては通れない世間からの目。結婚の話題が出ると「ところで……」と自分のことを訊かれるようで憂鬱だった。
「〇〇さんちの息子、結婚するらしいよ!」
離れて1人で作業していた私に社員さんがそう伝えてくれた。うん、聞こえているよ。
「ああ、そうなんですね」とだけ返した。興味を持てない自分が悲しい。その返答を聞いてか、社員さんはすぐ仕事の話をし出した。パートさんも、私には天気の話しかしなかった。周りからの気遣いも、しんどい。
そんなしんどさも、帰路に着けばオーボエソロにかき消される。
あれだけ練習中ソロに苦戦していたトレーナーは、いざ合奏となると完璧にソロを吹き上げた。やっぱりトレーナーはすごい。
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