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「春の終わり」の描写が美しすぎる|『真夜中乙女戦争』

『小説とエッセイの間のようなものを作りたかった』

『真夜中乙女戦争』(角川文庫)p344

本書の映画化を実現した映画監督・二宮健さんのあとがきに書かれた、著者・Fさんの言葉通り、本書はFさん自身の言葉や知見、考えと重ね合わさずにはいられない。

「これ、フィクションのはずなのに、Fさんそのものじゃん」と思いながら、あとがきでのこの発言に、「ああ、これは全て、あなたの狙いだったのね」と納得した。

そして、Fさんの他の著書『いつか別れる。でもそれは今日ではない』(KADOKAWA)と『20代で得た知見』(KADOKAWA)を読んだ後に本書を手に取ってよかったと思った。これらの著書で出会った言葉たちと本書で再会できたとき、宝物を掬うようにふっと頬が緩む。


友だちも彼女もいない、大学1年生の主人公。物事の全てに見切りをつけたくても、人生をまだ諦め切れない彼は、「先輩」そして「黒服」に出会うことで全てが始まり、そして終わりへと突き進んでいく。

笑っちゃうくらい非現実的な、拗らせた大学生の末路。けれど、世界は見たくないもので溢れていて、SNSに載せられないようなことばかりで、「こんなのあり得ないだろ」と簡単に突き放せない。


Fさんの言葉使いや言葉の挿し込み方は毎回刺激的で、こんな言葉を使ってエッセイを書きたいと思う。とりわけ大好きなのが、主人公の絶望と春の終わりを重ね合わせたこの描写だ。

 外に出れば、大型トラックが置き去りにした排ガスの余韻と朝の海の香りとに混じり、桜の強い残香が沈殿している。港湾近郊であるのに、なぜこんなにも桜のそれが濃厚なのかと訝れば、おそらくは散った桜が排水溝や川を辿り、ここから見えぬ海、その波打ち際に流れ着いたからだと思われる。

『真夜中乙女戦争』p56

主人公が真夜中、倉庫で花を運ぶ派遣の仕事をやっと終えて、外に出られた時の描写。仕事中は監督からの怒号と暴力の応酬で、働く男たちはみな反発する気力もなく死んだ顔でただ走り回る。倉庫の中はまさに牢獄のような場所だった。

そしてその場所は皮肉にも、東京ディズニーランドから徒歩3分。

華々しい世界の隣で繰り広げられる絶望の毎日。そこに混ざる桜の残香。しかもそれを下水を通して感じるなんて、人としての終わりと春の終わりを同時に描いているようで、大変美しいのだ。


映画化もされた本書、ぜひFさんの他の著書と合わせて読んでみてほしい。「読書は体系的にするべき」という、Fさんの知見通りに。

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