「春の終わり」の描写が美しすぎる|『真夜中乙女戦争』
本書の映画化を実現した映画監督・二宮健さんのあとがきに書かれた、著者・Fさんの言葉通り、本書はFさん自身の言葉や知見、考えと重ね合わさずにはいられない。
「これ、フィクションのはずなのに、Fさんそのものじゃん」と思いながら、あとがきでのこの発言に、「ああ、これは全て、あなたの狙いだったのね」と納得した。
そして、Fさんの他の著書『いつか別れる。でもそれは今日ではない』(KADOKAWA)と『20代で得た知見』(KADOKAWA)を読んだ後に本書を手に取ってよかったと思った。これらの著書で出会った言葉たちと本書で再会できたとき、宝物を掬うようにふっと頬が緩む。
友だちも彼女もいない、大学1年生の主人公。物事の全てに見切りをつけたくても、人生をまだ諦め切れない彼は、「先輩」そして「黒服」に出会うことで全てが始まり、そして終わりへと突き進んでいく。
笑っちゃうくらい非現実的な、拗らせた大学生の末路。けれど、世界は見たくないもので溢れていて、SNSに載せられないようなことばかりで、「こんなのあり得ないだろ」と簡単に突き放せない。
Fさんの言葉使いや言葉の挿し込み方は毎回刺激的で、こんな言葉を使ってエッセイを書きたいと思う。とりわけ大好きなのが、主人公の絶望と春の終わりを重ね合わせたこの描写だ。
主人公が真夜中、倉庫で花を運ぶ派遣の仕事をやっと終えて、外に出られた時の描写。仕事中は監督からの怒号と暴力の応酬で、働く男たちはみな反発する気力もなく死んだ顔でただ走り回る。倉庫の中はまさに牢獄のような場所だった。
そしてその場所は皮肉にも、東京ディズニーランドから徒歩3分。
華々しい世界の隣で繰り広げられる絶望の毎日。そこに混ざる桜の残香。しかもそれを下水を通して感じるなんて、人としての終わりと春の終わりを同時に描いているようで、大変美しいのだ。
映画化もされた本書、ぜひFさんの他の著書と合わせて読んでみてほしい。「読書は体系的にするべき」という、Fさんの知見通りに。
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