受験、もう限界かもしれない。

センター試験廃止が決まった時からすでに俺の代は大変な代になるだろうと言われていたが、NHKラジオにたまたま取材された時も「まあ大丈夫じゃないっすか」と答えた。感染症の蔓延による学校と塾の休校という状況だが、久々の登校で先生に勉強の具合を聞かれた時も「まあ大丈夫っす」と答えた。でも、もう限界かもしれない。

それは受験制度の変更や社会情勢の不安定が徐々に体の内部へ響いていった結果なのだろう。自分の人生への興味が薄れてしまったのだ。社会そして自らの心身が健康な間は、自分に手が届く限りの大学に入って学びたいことを学んで、やりたいことをできる人生にしようと考えていた。しかし今は、自分の将来への関心はおろか、自分の生命への関心もまるでない。伴って、自分の将来の何かを実現するために頑張る努力の価値も壊死してしまった。ニートになろう、親がそれを許さなければ生活保障で暮らそう、社会の目が気になったらワーホリでもアルバイトでもすればいい、辛くなったら死ねばいい。諦めによる達観が生まれてしまったために、体は常に宙に浮き、心は既に夢と現の間に横たわっている。受験勉強が辛い時の「でも自己実現のために頑張ろう」が言えなくなってしまっている。なりたい自分など失ってしまったから。

「学歴と収入の相関」や「高学歴はモテる」などの理由で奮い立たせることもできない。学の有無にかかわらず人は死に、仮に生きていたとしても苦しんでいる現在、それらの理由はプレハブのように感じてしまう。そんなのいつの時代だってそうだろというかもしれないが、0か1かの話ではなく10か100の話をしているのである。

周りの人が勉強していることからの焦りだって、模試もリアルでの授業もない現在は感じにくい。

受験生を受験生たらしめる法則性が全て朽ちてしまった今、ひたすらに未来の社会の安定を盲信するしかないが、それほどの信仰心も経典も持ち合わせていない。来世での幸福を願って現世を生き抜くどころか、将来の幸福を願って現在を生き抜くことさえできる気がしない。

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みかみかみ
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