みんなも、そして私も、すごい存在だということ
Private salon MESSAGEの海神 毬愛です^ - ^✨
人と会話をしていたり、近くの人の会話している声から聞こえてくる
「あの人は、すごい!!」
というフレーズ。
だけど私は、その言葉の響きの奥に、大概、違和感を感じることが多い。
その”違和感”とは、、
自分と比べて、あの人はすごい。(私なんて、、)
という、相手を絶賛している声の裏に、自分を卑下するものが感じられる部分。
これを、多くの場合に感じるから。
相手のことをすごいと思ったのには間違いない。
だけれども、自分と相手を比較し、自分に対しての"すごい"を見失っている中で、
相手の"すごいと思う部分"だけを見て、そのすごいを相手のすべてに当てはめる勢いで「あの人は、すごい!!」という評価になっている、、
そのように感じることが多々ある。
自分の評価を下げて正当に見ていないだけではなく、それによって相手のことを過剰に上げて評価し、正当に見ていない、、
自分の評価を下げて考えてしまっている為に、
自分と相手を比較して、自分にはどう頑張っても手の届かないような、いわゆる神レベルで相手のことを捉えてしまい、
本当のその人ではないつくった像を現実のその相手に着ぐるみのように被せて、本当のその人を自分の目に届かなくしてしまう。
そうすると、
相手の"本当"が見え隠れした時に、なんとかして自分が相手に被せた着ぐるみでその人を見ようと必死になってしまい、
結果、自分の中で、目の前の相手はその着ぐるみのような人とは違うかもしれない...と、薄々感じながらも、
「いや!!そんなことはない!!この人は"すごい人"なんだから!!」と、自分の素直な感覚にフタをしてしまったり……
すごいと感じる部分"以外"も持っているその人自身を受け入れられない。
そんな心の状態になったりする。
また、ある程度、自分の素直な感覚にフタをして相手を着ぐるみのフィルターで見ていたけれども、
ついに自分の感覚を騙し切れないほど現実のその人を認めざるを得なくなった瞬間に、
今の今まで神レベルと称していた相手を、今度は自分よりとんでもなく下に落としてしまい、
自分で自分の感覚にフタをして騙していた反動で、
今までその相手に自分が騙されていたかのような被害的な感覚を持ちながら、クズ扱いしたり、、
ということも起きてくる。。
でもそれは、決して相手に自分が騙されていたわけではない。
自分が、自分の中にある"様々な個性"を正当に評価していないことにより、
相手に対して過剰評価してしまい、
結果、引き起こされたこと。
実は、私にもこのような経験が何度もある。
私もほんの少し前までは、まだまだ人と自分を比べて、自分のことだけは、「すごい」と思えていなかった...
相手も、そして自分も、それぞれに"すごい存在"だということ✨
このことを、自分の中にしっかり落とし込む必要があると、私は思う。
大切なのは、決して、欠けていないこと=完璧、すごい、ではないということ。
みんなそれぞれが、得意分野があり、苦手分野がある。
できることがあり、できないことがある。
できないことは、できなかった時に不便を感じやすいから、無意識に生活していてもその個性が自分の意識に残りやすい。
逆に、できることは自分が困るわけでもなく、当たり前のようにそれをしているから、自分が"できている"というふうに意識に残りにくく、
また、自分が難なくできているからこそ、周りも自分と同じように当たり前のようにそれができていると錯覚しがちだったりする。
だけれども、実は、周りが自分と同じように難なくスムーズにそれができるとは限らない。
それぞれに、活躍できる分野が違うのだから、比べることもできないし、比べる意味もない。
ただ、真実は、
一人一人が"できること"があって、"できないこと"もあって、
その状態で、一人一人が【すごい存在である】ということ✨
そして、それで居て【完璧】だということ✨
自分という存在をまるっと受け入れたら、
それは、相手の本当をまるっと受け入れることに繋がっていく。
みんな(相手)も、そして私(自分)も、本当に尊い、素晴らしい存在だということ✨
∞ ありがとう ∞
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今お話しした、自分をまるっと受け入れるきっかけとなる為の、私のオリジナルセッション【すくうセッション】
ご興味のある方は、この固定の記事も良かったら覗いてみてくださいね^-^
https://note.com/mikami_maria/n/n052c2493c5e0