見出し画像

✦4 サインするだけでアート作品になるレディメイドを分析する(と少し自分の意見を言ってみる)

アーティストが工業製品やサブカルチャー作品にサインをすることでアート作品になってしまう現象は、「 Readymade(レディメイド)」と呼ばれるアートの概念に起因しています。

Readymadeとは、アーティストがすでに作られている日用品や大量生産品をそのまま作品として選択・発表することです。
1910年代にマルセル・デュシャンが、工場で量産される便器に署名をしてアート作品としたのが始まりです。

このReadymadeの考え方によって、アーティストの選択・意思表示という行為によって、ありふれたモノがアートの域に引き上げられることが認知されるようになりました。その対象は工業製品や漫画、アニメといった大衆文化にまで及んでいます。

このため、それらの作者本来の意図とは関係なく、後からアーティストがサインをすることで、新たな文脈でのアート作品化が成立してしまうのです。アート性を付与する権限がアーティストにあるとする考え方が前提にあると分析できます。

レディメイドへの違和感を言語化してみる

早速言語化してみます。

アーティストの創造性がないのに、ただ選択するだけでアートになるのはおかしい

 レディメイド作品はアーティスト自身が制作したわけではない。制作過程での創造性がないにも関わらず、ある日突然にアートとして提示されることに違和感がある。

アーティスト個人の権威を不当に押し付けている感がある

 一般大衆が日常的に利用しているモノや製品を、アーティストが恣意的にアートと命名していることに対して、強引さや高圧的な押し付けがあるとの指摘がある。

安易な大衆文化の利用が本物のアートを駆逐する懸念がある

 大量生産された安価な製品を使うことで、本来の意味での創造的なアートが置き去りにされ、アート界が大衆文化偏重の傾向を強めることへの危惧がある。

このような、アーティスト個人の過剰な自己顕示欲、権力化やアートの大衆文化化に対する疑問が、レディメイド・アートへの違和感の正体です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?