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編集者さんという存在

記憶喪失症候群という診断名があるかは分からないけど、私には、容易く人には言えないほどの記憶障害がある。
医者の友人から言わせれば、PTSDの一種だというけれど、あの時のことだけでなく、あの時以前と以降のすべての時期において、ぽっかり記憶が抜けていることが、多過ぎるのだ。

私ぐらいの年齢になると、会った人の顔や名前を思い出せないことは多々あるかもしれないけれど、
身の回りに起こった出来事、出会った人、語ったこと、さっぱり思い出せないことが多過ぎて、怖くなる。
私は本当に、その時を生きていたのだろうか、と。

そして突然。
ふと誰かのことを思い出すことがある。

先日、2作目の書籍の編集者さんのことが、気になって仕方がなくなった。
思い立ってメッセージを送り、返信を待った。

しばらくして、最近体調を崩されていたという近況が送られてきた。
そして、しばし雑談メッセージを交わした。
彼女がずっと、私たちのその後を気にかけてくださっていたことを知って、なんだか申し訳ない気持ちになった。
と同時に、ずっと遠くから見守ってくださる優しさに、心打たれた。

いろんなタイプの編集者さんがいるけれど、彼女は何より人の本心を引き出すことに長けていて、厳しくも優しい愛で包んでくれる安心感が溢れていた。
私の書いたものにとても敬意を払ってくださり、文章や文意に手入れをされることはなく、構成上のアドバイスなど、プロとしての意見をふんだんに教授してくださった。

コロナ禍直前に、ご家庭の事情で長く勤めた出版社を退職された後も、私の講演会やイベント企画にはいつも顔を出してお力添えをしてくださった。
二人三脚というのもおこがましい、いつしか私にとって母のような姉のような存在になっていた。

そんな彼女に背中を押されて、ようやく私は重い腰を上げた。
この数年ずっと温めていたけれど、具体的なことを何もしてこなかった時間を取り戻さないとという気持ちがようやく湧いてきた。

目標を定めたら、一気に走る。

どこまで走れるだろうか。
そしてこの記憶が、またどこかに飛んでいかないように、ここに残しておこう。

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