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こんなに悲しい「母の日」は初めてだった。

アパートを出る時に、ドアマンがにっこり微笑んで、声をかけてくれた。
「Happy Mother's Day !!」(母の日、おめでとう)

スーパーのレジでも、同じことを言われた。
「Happy Mother's Day !!」

家に帰ると、ダイニングテーブルの上に、子供たちお手製のカードが並ぶ。

「母の日、おめでとう。
いつも応援してくれて、ありがとう。
これからも、よろしくお願いします」
少し幼なさも残るけれど、しっかりした日本語だった。

それぞれの個性溢れるカードを手にしながら、わたしが感謝を伝えたい母がいないという事実に呆然とする。

親元を離れて四半世紀、年末年始、誕生日、母の日と父の日は、筆不精(電話不精)なわたしが、両親に電話をする良い機会だった。
糖尿病の悪化による認知症と、脳梗塞の影響で、母との会話は少し不便になっていたけれど、それでも昨年の今頃は、電話で話ができた。

母は、とても筆まめな人だった。
「メモ魔」という言葉がピッタリなほど、常にペンを持って、紙に書き残していた。
それも、驚くほどの、美しい書体で。

近年、叔母がたくさん書籍を出版しているけれど、あれは他でもない、すべて私の母の「覚え書き」からの受け売りと言っても過言ではない。(叔母さん、暴露してごめんなさい。)

母は、新年や誕生日など、ことあるごとに、手紙をくれる人だった。
驚くほど、美しい書体で、メッセージが記されている。

「人に優しく、自分に厳しく」
「心に糧を」

父はとにかく厳格な人で、彼に反抗できなかった不満をわたしは常に母に向けて漏らしていた。
不平不満だらけのわたしに、それらの言葉はとても痛かった。
当たっているだけに、いつでも胸に突き刺さった。

今はもう、こんなにも素直にその言葉を受け入れられるのに。

母の日に「お母さん、ありがとう」と伝えることができない。
こんなに悲しい母の日は、初めてだった。

幼い頃、白いカーネーションの話を聞いた。
母を亡くした人は、白いカーネーションを贈るのだと。

花言葉を調べると。
赤いカーネーションは、「母への愛」「母の愛」「純粋な愛」。
白いカーネーションは、「私の愛情は生きている」そして「尊敬」。

「親孝行」は、どんなにしてもしても、後悔が残ると言う。
普段は近くにいても、いざという時に死に目に逢えないとか、
遠くにいても、その時に偶然に立ち会えることができるとか。

わたしは、どれもできなかった。

そして、一番の後悔は、
「生んでくれてありがとう」と母に直接、言葉で伝えたことがなかったこと。

2023年の母の日は、涙でいっぱいのまま、暮れていった。

来年の母の日も、わたしが一番感謝を伝えたい人には、会えない。




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