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セントラルパークを走りながら号泣してたら、すれ違う人にたくさん声をかけられた。

コロナ禍のロックダウン中、家族みんなが家にいて、狭いアパートで大きなトドを飼っているような状況、本当に意気が詰まる日々だった。
カンファレンスコールはアパートの屋上で受けたり、日が出ている時間はセントラルパークを歩いたり。
せめて家族それぞれが、バラバラに時間差で外に出ようという暗黙のルールが、いつしか出来上がっていた。

今でも深呼吸をしたくなると、セントラルパークに足が向かう。
お決まりのランニングコースをゆっくり走ったり、散歩したり。
途中でショートカットしても5マイル(約8キロ)はあるから、ストレス解消にもちょうど良い。

Spotifyでジョギングのお供を決める時、いつもトップに上がってくるのが槇原敬之と平井堅のヒットメドレー。
走るペースにそのテンポが心地良いこと以上に、それをチョイスする理由がある。

学生時代、姉とわたしで一台の車を共有していた。
当時フォード社が力を入れていた「フェスティバ」という車種、サンルーフのついた、ちょっと可愛い車だった。(一番人気はキャンバストップだったけれど、私たちは敢えてサンルーフ型)
東京都下のキャンパスに通っていた姉がほぼ毎日使っていて、わたしはたまの週末に乗るぐらいだったけれど、小さな車の中で、1人歌いながら運転するのが楽しかった。

当時流行りのCDオートチェンジャー搭載の車で、当時流行りの槇原敬之のCDを搭載していたら、姉に一蹴された。
「マッキーの曲って、聞いてると疲れるんだよね。先日友人のお父さんの告別式の帰りに聞いてたら、もう勘弁してほしいと思ったわ」

そうか。
わたしはむしろ逆だった。
歌詞の描写が繊細過ぎるからこそ、勝手なシーンを想像することにフォーカスできるのが居心地が良かった。

四半世紀以上が過ぎてから。

ジョギングという、ちょっと自分に苦しさを課すというシーンにおいて、無心で走るのでなく、いろんなシーンを想像できる曲を流すのが、わたしには有効だと気付いた。
プレイリストの何曲目までにこの地点を走り抜けられるようにと、ペースメーカーにもなる。

そして昨日もマッキーの曲で始まったのだが、少し調子が悪くてダラダラ走っているうちに、平井堅の曲が流れ出した。

「さようなら、また会おう、ごめんね、好きだよ
さよなら、笑ってよ、怒んなよ、バカだな
恋しい、苦しい、愛しいじゃ足りない
何度も、何度でも、僕は君と恋をする」©️平井堅

もう涙が止まらなかった。

子供染みているとバカにされるかもしれないけれど、
母を想う父が重なってしまったのだ。

あんなに破天荒でめちゃくちゃだったのに、認知症の進む母に寄り添い、
毎日車椅子を押して、毎日化粧をしてあげていた姿を想うと、
胸が張り裂けそうだった。

天を仰ぎ、泣きながら、走った。

行き交う人が「大丈夫?(Are you OK ?)」と声をかけてくれる。
最初は堪えていたのに、どんどん泣き声が大きくなっていたようで、
後ろを振り返って声をかけてくれた人もいた。
「顔色が悪いよ、大丈夫かい?」と。

誰かに伝えるためというよりは、自分のための備忘録。
近くで親孝行ができなかったわたしは、きっとずっと苦悩していくのだろう。

今朝も夢を見て、起きたら涙でいっぱいだった。

この寂しさ、いったい誰に伝えたら良いのだろう。


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