林美木子の扇面展。有職だって、現代だ
京都新聞 2022年 7月30日掲載
前書き:アートや芸能のことを書くメディア関係者の中には、かたくなに「ジャンル」の線を引きたがる人というのがいて、以前、東洋陶磁美術館で「竹工芸名品展:ニューヨークのアビー・コレクションーメトロポリタン美術館所蔵」の内覧時に「これは、アートなんですか? 工芸なんですか?」とくっだらない質問した人がいた。
なんで自分で決めないんだろう? これまで誰も言わなかったことでも、自分が感じたことは、多少の勇気を持って、世の認識を前に進める覚悟で書いたらいいとおもう。
そうすることができないなら、綴った駄文は、雀の涙の原稿料以上のものにならない。こんな割に合わない仕事、やってる意味ないと思う。
若い芸大卒のスタッフが企画した扇面展
宮脇賣扇庵で林美木子さんの扇面画展をやっている。美大を出た新入社員が、背広を着てこの老舗につとめながら、展覧会を企画したそうだ。扇の可能性に何か感じているんだろうと思う。私も林さんの作品に感じること、つまり有職というクラシックな様式をとりつつあらわされた現代性を書いた。
以上、新聞文化欄アートギャラリーの紹介コーナーで扇面画について書く前説とさせていただきます。
掲載本文:
暑さしのぎに小型扇風機を手にする人が増えたが、涼をとるための手元小物として長い歴史を持つのが扇。平安時代、宮中儀式に用いられたのは檜扇で、夏用に5本骨の紙の扇が登場。コウモリが羽を広げたような形から「かわほり」と呼ばれたという。林美木子が「携帯できる最小の美術品」と言うように、扇面紙には書画が描かれ、手紙の代わりに取り交わされ、持つ人の個性や教養をあらわした。当時の扇は現存しないが、17世紀に京都で扇の工房を営んでいた俵屋宗達をはじめ、日本のアーティストたちはこの「和の変形キャンバス」を、表現メディアとしてきた。
俗化した「雅」イメージを払うすがすがしさ
林は有職彩色絵師として長らく檜扇の彩色を手がけてきたが、近年、紙の扇面への絵付に取り組み、扇を美術品として鑑賞するしつらいの提案もしている。軸よりも軽やかで、開くと瞬時に現代の居住空間に趣を添えることができる。今展に並ぶ扇に描かれている図柄は、干支、月次絵(つきなみえ)、御所人形、能の舞扇など、古えの美術や芸能の定式をふまえたものだが、俗化した「雅」イメージの再生産とは違う。林は、途絶えかけていた大和絵彩色の技法を研究しなおし、かつてあった様式と技術を自身の手にとり戻すために、考察と試行錯誤を重ねてきた。作品には飾りとして鑑賞できる玩具や装飾品のオブジェもあり、中には、記録しか残っていなかった宮中玩具を創造的に再現した仕事もある。そうした作品から滲み出るものは、有職故実の縛りをくぐり抜けて溢れ出した、現代の作家の感性と美徳だ。たとえば、人形絵に息づくイノセンス、能の舞扇が象徴化する感情、そして花鳥画が誘う自然への没入感。現代のアーティストが掲げるコンセプトと、多くの部分で共通している。
扇の物理的な実験要素から、宗達も学んだ
扇面に描かれた絵は仕立てられることで二次元から三次元へと姿を変え、放射状の形による錯視効果にも、未知の可能性があるかもしれない。かの宗達の構図の大胆さは、扇面絵付の経験から得られたものとする説もある。
会場は老舗扇店。120年前に当時の画家が製作した天井の扇面画との競演も楽しめる。