「京都画壇の青春」。オトナのあなたなら、巨匠たちの若気がたまらなく愛おしくなる
「若気の至り」のない人生はきっとつまらないし、のちの大成もない気がする。若いからこそ、やんちゃやドアホをかましてしまう。そしてそれを、若いからこそ笑ってすませてもらえるのが健康な世の中だと思う。
鹿は斑点がある間は、イタズラしても大目にみられる。鳥もクチバシが黄色いうちは子供だ。
ややこしい辺境に旅行したばっかりに地元の武装集団やギャングに誘拐された若いヤツに「自己責任」を突きつけるのは、シカやカモの社会以下じゃないか。オトナは若いもんを大目に見よう。その大目はかならず社会に戻ってくる。散々大目にみてもらった私が、今度は自分が大目に見る歳になった。若者にオトナ並みの分別を求める社会は、鹿や鳥の群れ以下だ。
「京都画壇」の画家たちの、やんちゃ時代
さて、京都国立近代美術館で開催の「京都画壇の青春」である。
「京都画壇」と聞くと、近代日本画研究のアカデミックかつ雅なタームに響きますよね。やんちゃやドアホとは繋がらない気がする。
しかし。
どんな巨匠にも若い頃はあったし、無茶をしたからこそ、たどり着けた境地がある。「京都画壇の青春」は、青春時代の巨匠たちのやんちゃぶりにフォーカスし、美術の教科書に作品が掲載されるような「アガリ」に至るまでの、知られざる「闘い」に想いをはせる趣向。
展覧会の見どころは「青春時代特有の過剰さと繊細さ」。過剰さの例が、土田麦僊(ばくせん)26歳の作品「海女」だろう。解説がちょっと辛辣だ。
原画を見ると、日本画絵の具を塗りすぎて、あちこち割れて剥がれている。そこに、学芸員の半ばあきれたような解説が追い打ちをかけるようで、イタい。
「いやーん見ないで」という声が、トップレスの海女さんたちではなく、若気が至ってひび割れ作品を残してしまったバクセン君から聞こえてくる。
キャプションにある制作時の年齢から、画家と「その歳の自分」との対話が始まる
この展覧会では、展示作品のキャプションに制作時の年齢が明記されている。画家たちの年齢を見ると、ついついその歳の自分の仕事や悩みが思い返されて、共感したり、感心したりが止まらない。
たとえば「油絵に負けないぞ!」と、絵の具をモリモリ盛っていたバクセン君は、当時26歳。同じ歳の頃の自分、そしてあなたはどうだっただろう?「こんな仕事じゃないような気がする」などと、やさぐれたりジタバタしていた時期だ。バクセン君はその歳で、西洋絵画への憧れとコンプレックスに悶絶しながら、美術界の権威と戦い、我が道を模索していた。でっかい敵とおおきい夢を前に、いっぱいいっぱい。屏風の大画面に、それをぶつけていたのだ。
アツいなあ。
「絵の具が剥がれたぐらい、気にすんなよ」と大目にみてあげたい。
ほろ苦くもあっぱれな、巨匠たちの「青春の終わり」
展覧会は画家たちの青春期を4つに分け、最終章では、「青春の終わり」、やんちゃを引っ込めて大人になった「完成期」に向かう作品を紹介する。
それまでの章を通して、画家たちの熱い時代を共有した観客にとっては、旅の終わりを共にするかのような、寂しさと充実感がある。
ここに展示されているのが、土田麦僊 「海女」から11年後の《舞妓林泉》。この間に、バクセン君はヨーロッパで多くの名画に接した。「仮想敵」だった敵の実の姿に圧倒されて、相当に打ちのめされたはずだ。
とはいえ、画家たちは「伝統回帰」に引きこもり、急にジイさんになったわけじゃない。イタリア・ルネサンスの作品に触れた麦僊は、緻密に画面構成し、写実と装飾を融合させるスタイルを編み出した。《舞妓林泉》には、ボッチチェリの影響があるともいわれている。
かつて、やみくもに絵の具を盛り上げた麦僊が、11年後の《舞妓林泉》でも、盛り上げをやっているのに、目が留まった。舞妓の襟の模様を「盛り上げ胡粉」で描いている。やまと絵の伝統技法だ。
否定し、乗り越えたかった古い技法、伝統的な美意識を自ら引き寄せることには、葛藤も覚悟もあったんじゃないか。
画家たちのやんちゃを苦々しく思っていた大人は、この「青春の終わり」をどう見たのだろう。批判はあっても、「そら見たことか」「自己批判せよ」なんて言って潰そうとせず、大目に見守った。
そして、教科書に載る名作が、今、目の前にある。
※写真は、内覧会で許可を得て撮影したものです