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山に籠り、出会った己
私は、ヨガ講師の資格を持っている。
その資格を取得するために半年間猛勉強した。
カリキュラムの中に、1週間山に籠もる合宿があった。
山の中でヨガの勉強ができるなんて、キャッ素敵!
空気が美味しそう!キャッキャッ!
私は、ウキャウキャしていた。
あんな過酷な1週間になろうとも知らずに。
孤独に耐え、ひたすら己と向き合ったあの山籠りのことを綴ろうと思ったのは、こちらの記事がきっかけだった。
合宿所のまわりは、見事にどこを見ても山だった。
近くに川が流れており、自然豊かなところで、空気がとっても澄んでいた。
私たちが寝泊まりする平家と、少し離れたところに食事をするちょっとした建物と、ヨガの練習をするホール、そして、テントみたいなところがお風呂場だ。
合宿所に着き荷物を置くと、すぐ私たちはホールに集められ、いろんな説明を受けた。
そして、スマホ没収。
最後に告げられたのは、
「合宿中セッション以外での私語を禁止とし、意思疎通も禁ずる」
というもので、目も合わせてはいけないというかなりハードなルールだった。
それが、どんなものなのかあまりピンとこないまま、喋っちゃダメなんだ。そっか。
くらいの気持ちだった。
生徒は確か、20人くらいだった。
ご飯の時も、お風呂の時も、部屋でも、休憩中も、だんまり。
スマホも何もない。
ひたすら己と向き合うべし
ヨガを教える立場上、まず自分のことをよく知ることが必要で、そうでないと人に何かを伝えることなんてできない、ということだ。
まだ話せるうちに、お風呂のグループ分けと、お風呂に入る順番を決めた。
1組4、5人くらいだった。
時計は部屋に掛時計が一つあるだけ。
スマホも目覚まし時計もないので、朝起きるのも、もう、気合いで起きるしかない。
人間って、気が張ってると結構起きられるもんで、6時起床だったが、私は毎朝10分前にはパチリと目が覚めた。
20人も生徒がいるので、洗面台、トイレは混み合うのを避けたい精神がそうさせたのかもしれない。
でも、中には、誰よりも早くに起きて、1人川の近くで太陽礼拝を黙々とやっている強者もいた。
私語禁止なので、みんな黙々と身支度を始める。
何かタイミングが重なったりすると、目を合わせちゃいけないので、お互い気まずい空気が流れ、
あっ、
あっ、
って、アンガールズのネタみたいな(伝われ!)やり取りが、あちこちで見られる。
朝食の前に、朝の瞑想が始まる。
30分間。
私は瞑想が大の苦手だ。
どうしても
寝てしまう。
みんな集中してる中、ひとりコックリコックリしていたに違いない。
でも、そんなことで「寝るな!」なんて注意されたりはしない。
なぜ、瞑想中寝てしまうのか、そこに意味を見出す。
朝の瞑想が終わり、次は朝食だ。
これまた、黙々と準備し、黙々と食べる。
料理は、完全ヴィーガン料理。
めちゃくちゃ美味しかったのを覚えている。
朝食が終わり、ヨガセッションが始まる。
やっと誰かと話せる
久しぶり!私のヴォイス!
みんな、気持ち嬉しそうだ。
セッションが終わると、また誰とも目を合わせず、話さずで昼食を済ませる。
昼食のあとの休憩時間も誰とも話さない。
朝早く起きて、川の近くで太陽礼拝をする強者は、昼休みもまた川の近くで太陽礼拝を黙々とやっていた。
ポーズの練習をする人
勉強をする人
大の字になって寝る人
各々が、自分の時間を過ごす。
私は、空と山をぼけーっと眺めたり、蟻とか見てたな・・・。
午後のセッション、夕飯が終わり、お風呂、就寝へと向かう。
3日目くらいからかな、だんだんキツくなってきた。
そう感じるのは私だけじゃなかったようで、初日より明らかに空気が重い。
中には、泣き出す人もいた。
セッションも、日に日に自分と向き合う内容が盛り込まれていき、とことん自分を追い込んでいく。
ヨガのポーズをとりながら、号泣する人、叫ぶ人、も出てきた。
言葉にならない言葉で泣きながら叫ぶ。
その状況を、誰も驚いてはいなかった。
なぜなら、全員がその状況下にいて、誰もがそうだったからだ。
奥の奥の奥の、己が出てくる。
向き合いたくない、目を逸らしたい己がどんどん出てくる。
誰も助けてくれない。
孤独だ。
自分でなんとかするしかない。
目の前に出てくる己と向き合うしかないのだ。
早起きして太陽礼拝をする強者は、山に向かって叫ぶようになった。
彼女も、己と向き合い乗り越えようとしているのだと、その時感じた。
みんな、ひたすらに己と向き合う毎日が続いた。
合宿最後の夜、印象的なセッションがあった。
先生の前に立ち、目を見つめ、自分の中の「YES」を伝える。
それが伝われば、先生は「YES」と返してくれるが、伝わらないと「NO」と返される。自分の「YES」が見つかるまでそれを続ける。
私は、最初、こんな感じかな?という「YES」を言うと、すぐに見透かされ、「NO」が返ってきた。
これでもかってくらい「NO」を突きつけられる。
だんだん繰り返していると、ただの「NO」が、ただの「NO」じゃなくなってくる域にくる。「もっと己と向き合え」「目を逸らすな」「逃げるな」そう言われている気がしてくる。
涙が出る。
「YES」
「NO」
「YES」
「NO」
「・・・YES」
「NO」
だんだん「YES」が口から出てこなくなった。
先生の前に立ち、目を見つめても、自分の中の「YES」が出てこない。
出てこない。
出てこない。
出てこない。
自分の「YES」はどこだ?どこいった?見つからない。
涙が出てきた。
涙が止まらない。
なんの涙だこれ。
私は、自分の「YES」が見つけられなくて、声が出なくて、先生に背を向けた。
先生は、待っていてくれた。
私は嗚咽をあげて泣いた。
まわりなんて関係ない。
泣いて泣いて泣きまくった。
すると、自分の心のど真ん中で、ふっと何かが光った。
ピタッと涙が止まった。
私は振り向き、先生の目を見つめ、
「YES」
と言うと、
先生は微笑みながら
「YES」
と返してくれた。
私は自分の中の「YES」を見つけることができた。
しかし、最後の最後まで自分の「YES」を見つけられずに、「NO」と言われ続け、セッションを終了した人もいた。
彼女は、いつもみんなの中心にいるムードメーカー的存在で、笑顔が太陽みたいにキラキラしている人だった。
その彼女が、自分の「YES」を見つけられなかった。
彼女は、泣いていた。
「NO」と言い続けた先生も泣いていた。
そのセッションを機に、私たちの何かが目覚めた。
重たい空気が、もっと別のステージに行ったような感覚があった。
それはとても神聖な何かだったように思う。
最終日の夜、風呂場で事件は起きた。
合宿最後の特別なセッションを終え、いつものように入浴時間だ。
私のグループの順番になり、メンバーと風呂場に向かう。
ホールから風呂場への道は真っ暗なので、みんな懐中電灯で足元を照らしながら歩く。
空を見上げれば、満天の星がそこには広がっていた。
毎晩見ていた星空なのに、その夜はみんなが自然に足を止め、その満天の星を暫く見上げていた。
私たちの前のグループも風呂場から出てきて、同じように、一緒に夜空を見上げた。
この1週間、己と向き合い続けたその日々を、満天の星空の下で静かに称え合った。
そんな感動を胸に、お風呂に入った。
いつも通り、黙々とみんな自分の体を洗う。
その時、
私は、シャワーの持ち手をツルッと滑らせてしまった。
踊り狂うシャワー。
追いかける、裸の私。
待て待て。
待て待て待て待て。
踊り狂うシャワー。
私たちは、私語と意思疎通を禁止されている。
無言で追いかける、裸の私。
待て待て。
みんな無言だ。
しかし、必死に踊り狂うシャワーを捕まえようとしている裸の女を背中で感じているのが伝ってくる。
ごめん。
みんなの背中から伝わってくる、この言葉。
合宿で深まった私たちの絆は、言葉なんていらない。
だがしかし、恥ずかしい。
穴があったら入りたい。
やっとシャワーを捕らえた私は、みんなの背中に向かって、お騒がせしましたと、無言で頭を下げた。
満点の星空の感動よ、何処。
帰る日の朝。
私語禁止令は解かれ、みんな輪になった。
一人ずつ、合宿を振り返った。
最後まで「YES」をもらえなかった彼女は、それがどうしてなのか、これからも問い続けていきたいと、言っていた。彼女の表情はすっきりして力強く、彼女なら何かに辿りつくはずだと、その時思った。
私は、
自分が大嫌いだったと打ち明けた。
自分の頬を叩いたこともあった。
なんで、いつもこうなんだ、なんで、なんで、なんで、と自分を責め続けた過去。
その見たくない向き合いたくない自分自身がどんどん目の前に現れて辛かった。
でも、目の前に現れた己は、自分に優しかった。
私は初めて自分に「YES」が言えたことをみんなの前で泣きながら話した。
あの時の「YES」は、私が私を受け入れた瞬間だった。
先生は、「話してくれてありがとう」と、微笑みながら伝えてくれた。
みんなの話が終わり、先生が「他に話したいことある?」と言うと、
「ちょっと、一つだけいいですか?」
と、お風呂メンバーの一人が言い出した。
「もうさーーー最後のお風呂の時に、mikaさんが手を滑らせたのか、シャワーが暴れて、もう助けたかったけど、話せないし、本当に勘弁してって思ったーー。mikaさん、助けてあげられなくてごめん!」
すると、他のメンバーも
「もう、笑い堪えるの必死だった。震えてたよ私」
と、あの夜のことを話して、みんなで笑ってくれた。
私の行き場を無くした羞恥心は、その時救われた。
みんな、優しい。
合宿が終わり、スマホの電源を入れると、メッセージが届いていた。
「ここのカフェいい!美味しい!」
私にも食べさせてあげたいと、優しいメッセージ。
気持ちを伝え合えるって、幸せなことだなぁ、とその時思った。
その日の夕食は、お気に入りの定食屋さんで食べようと決めていた。
大好物の「長ネギ豚肉塩炒め」。
豚さん、豚さん、ありがとう。
と、久々に食べるお肉料理に感謝した。
もう、何年も前のことだ。
あの1週間は一生忘れないと思う。
素晴らしい経験だったけど、きつかった。
もう、2度とやりたくない笑。
なかなか自分を受け入れられなかったけど、あの時の「YES」は、今も自分の中にちゃんとある。
嫌になってしまう時もたくさんあるけれど、それもひっくるめて自分なんだと、今は言える。
自分の中の、己に叫ぼう。
「YES!!!」