逃げたい気持ちの先の先
最近、自分の居場所がとても窮屈だ。
昨日の「新しい自分になりたい」に通じるのだがとにかく、今が窮屈。
子供がらみのある団体に属していて、
係や個人的なグループなどがあり
この間グループLINEを数えてみたら20もあって・・・
心底ふさいだ。
個人的なグループだって誰かに一方的に入れられたもので
拒否権などないので、
小さな箱に閉じ込められているみたいで苦しい。
そんな日常の中で、ひとつ気になる流れが起きている。
晩夏くらいから、やたらと中国づいているのだ。
私は2008年中国の上海から帰国している。
そのあと出張で行くことは何度かあれど
結婚出産を経て子育てで消耗している2015年ごろには
エネルギッシュすぎる町、若いから住めた町だ、
と遠巻きに眺めていた。
その中国が最近やたらと、当時の知り合いや属していた団体、
大陸に縁を持つ人というざっくりした形で
ぐるぐると私の周辺に現れる。
9月
・中国でお世話になった上司が九州から来るというので
ゆかりのある人たちが集まる。
・子供幼稚園時代の中国人ママさんと近所のレストランで5年ぶりに偶然出くわし、お茶の約束を取り付ける。
10月
・友人の同僚が上海旅行へ行くのでオススメのお店などを聞かれる。
・上海時代の同僚が日本出張。14年ぶりに再会。かつて私が仕事に使っていたノートを保管してくれていて、渡してくれた。
11月
・20年以上前に留学していた大学の集まりがある。私が知らなかっただけかもしれないけれど初めてのこと。参加することにする。
これまで点在していたできごとが急に一か所に集中して
湧いてくるようなことがたまにあるけれど、
今がまさにそれだと感じる。
若い頃、嫌悪さえした中国のいい加減なところや、おおらかさ、
人との距離の近さ、独特の人情、お金儲けが好きなところ・・・。
懐かしいな。
今は離れてしまったものが良く見えるだけかもしれないけれど
何をしても周りは自分のことを気にしない、という点では
随分と気楽だったな。
もしかすると、それが今、ぐったりしている私の活力になるのかもしれない。
そうすると、今のこの日々もいつか私の活力になり得るのか。
10数年後に巡ってきたりするんだろうか。
最近はそんなことばかり考えている。