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吹奏楽の変化と音色の変化のお話
吹奏楽部って昔こんなんだったなぁって記事はこちら↓
今回書きたい内容は、
需要と供給に振り回されている吹奏楽というもののお話。
これまた長いですので、よければお付き合いくださいまし。
みなさま、吹奏楽で好きな曲は何ですか?
私はロバートスミスの曲も好きですし、クロードスミスも好きです。
フィリップスパークも大好きですがなかなかやる機会が…
「K点を超えて」って1999年の課題曲も好きです。
ヤンヴァンデルローストのプスタも好きですし、
モンタニャールの詩とかも好き。
アレンジ物ですと、
展覧会の絵やフィンランディア、ハンガリー狂詩曲第2番も好きですね。
スペイン奇想曲やガイーヌも好きです。
挙げていくとキリがないくらい吹奏楽を続けていて
好きな曲が増えていきました。
もちろん邦人作品も好きです。
保科洋さん兼田敏さんや高昌帥さん大栗裕さん、最近では樽屋雅徳さん八木澤教司さん、
酒井格さんや福田洋介さん…
これも挙げだすとキリがないです。
この吹奏楽というジャンルはメキメキと変化し続けています。
まず”概念”そのものの変化です。
私の吹奏楽部時代、学生時代のコンクールの自由曲は
アレンジ物(原曲がピアノやオケ)が多かった印象です。
なので参考音源が、全国大会に行ったどこかの学校の録音か、
ウィーンフィルやベルリンフィルといった一流プロのオリジナルの音源でした。
(この記事は吹奏楽目線なのでアレンジ物はピアノやオケ、オリジナルは吹奏楽のために書かれた曲として書いています。
アレンジ物のオケのオリジナルを聴くって頭が混乱するので補足でした。)
その全国大会に行った学校の録音も間違いなくオリジナルの音源からフィーリングを汲み取っているので、結局はオリジナル(ピアノ、オケ版)を聴くことになります。
「ハンガリー狂詩曲第2番」はピアノが元々ですがオケもあります。
当時中学1年生、先生が「オリジナルを聴け!」というので、ピアノ版のCDを聴くわけですが…
私『🧐???????????』
となったわけです。
当時管楽器でも何の楽器か聴いても分からないレベルだったので、
私『うむ。これはピアノの曲だな!』
くらいのアホみたいな感想しか出てきませんでした。
そして続いてオケ版を聴きます。
『おぉ!なんかこっちの方が近いぞ!』とは思いましたが…
吹奏楽のクラリネットって贅沢なことにヴァイオリンパートとクラソロパートの
両方を与えられます。
なので、「ヴァイオリンみたいに吹いて!」ってことを要求されるわけです。
私は運が良いことに小さい頃少しヴァイオリンをかじっていたり、
家族に弦楽器奏者がいたのもあって”なんとなく”という想像はできました。
が、まぁ9人や12人辺りのクラリネットであの神々しいというか禍々しい雰囲気をどうやって作れるのか。ピッチか、音色か、気持ちか、なんなのか。
そもそもヴァイオリンかて上手い下手があるわけで、そんな詳しくもない。
ただ、ウォンウォンとピッチがズレることはないわけですので、
最低限それくらいはこなすか、となったわけです。
で、何が言いたいかと言いますと、
25年ほど前の吹奏楽の指導は、
”アレンジ物(オケやピアノ版)に寄せる努力”を強いられていました。
(現在アレンジ物で全国大会に出場している学校はそのままで…)
で、それから”吹奏楽部黎明期”と私が勝手に呼んでいるんですが、
邦人作曲家が”コンクールで勝つための曲”を創り始めました。
その曲で強豪校が全国大会に行くと、あれよあれよと翌年皆演奏したがります。
ある意味”名演”なわけです。全国大会ですから。
なのでこれくらいの時期から参考音源は、東京佼成、大阪市音楽団ではなく、
「全日本吹奏楽コンクール全国大会」のCDが参考音源になりました。
わざわざオケの曲を編曲してカットを考えて…という手間が省ける上、
生徒たちは「この曲をやりたい!」と思いやすい環境になりました。
えぇと、先に言っておきます。
邦人作品が嫌い、とかそういう話ではないですよ。本当に。
この作曲家は古典音楽からフィーリングを得てるのかなぁとか、印象派現代って雰囲気ね、とか独断で感じることもあります。
が、全く感じない作品もあったります。
吹奏楽器を大きく誤解したような、別にこの部分クラリネットじゃなくても良くない?とかこんな無茶苦茶な連符必要かね、とか。
それを考えるのが奏者の仕事だろう?ってのが少し曖昧でもちろん考えはするけど報われない努力を強いられることがあります。
何でもモノはいいようなんですが、いくらなんでも他の作曲家と似たような作品にならないようにわざと変拍子を入れたり、作曲家以上にこちらの感性を試している割にはなんだかなぁと。
が、
これは”需要と供給”なんだろうと受け入れています。
作曲家も楽譜が売れなければ、お金を稼げなければ生きていけません。
難しいそうに聴こえる曲、派手な曲、テクニック重視の曲等々…
”コンクールで目立つ曲”が爆発的な人気を誇っています。
”概念”が変わってしまいつつある、と最初に書きましたが、
もちろん、私も学生時代にコンクールで挑戦した曲は全部好きです。
「課題曲?どうせ大学生が作った曲だから〜〜」とか言っているみっともない自称プロもたくさん見てきました。
いや、大人でプロだからこそもっと良く出来るんちゃうんかいな、と。
学生が書いたから楽譜の作りが〜〜とか作曲家でもないのに、情けない。
本当にこういう人間は苦手です。
が、学生時代にオケの曲に触れる機会も減り、
それこそ”コンクールで勝つための曲”しか触れなかった場合…
上みたいな情けない大人を量産しているのかもしれないな、と。
そして、同時に”音色”というものも大きく変化しているんだろうと。
〜余談〜
とある吹奏楽コンクール大人気曲の一部でピアノ伴奏とフルートソロみたいな場面があるんですが、
「せっこ!!!こんなん綺麗に聴こえるに決まってるやんけ!!!」
とか思ったことはあります。
〜終わり〜
まぁ、”音楽を好きになるための教育”という意味では良いことだと思っています。アレンジ物はそれくらい難しいですから。若い頃は挫折を味わうより興味を持てた方が絶対に良いです。
んで、”音色”の話です。
少々専門的な話にもなりますが私がクラリネット奏者なので、
クラリネットに偏った音色の話にもなるのですが、
まず”後押し”という吹き方。
演歌で言う”コブシ”です。
4分の4で四分音符が4つ。
一つ一つに”コブシ”はクドイです。
しかし現在はそれを”歌っている”と表現の一つになりつつあります。
(登竜門的な大型ソロコンクールではまず落とされます。今のところは。)
これね、奏者にとっては都合の良い吹き方なだけなんです。
最初から「タ」と音を出す方が難しいんです。
「ンァー」と吹く方が簡単にできます。
(弦楽器は後押ししてるから!みたいな人はしずかちゃんレベルのお話です)
次、”ビブラート”
先ほどの後押しにビブラートをかけたら、
いよいよ”なんちゃってコブシ”です。
”んぁぁんぁぁんぁぁんぁああ”
って、何吹いているか分かりません。
実音が存在していないんです。
これを「よく響いている!」と解釈する人もいたりします。
(まぁこれも絶対大型ソロコンでは落とされます。旋律になりません。)
で、上の二つを揃えて演奏すると、
フレーズがなくなるんです。
「1拍1拍ちゃんと歌え!!」とでも教えられたんでしょうか。
で、3つ目の問題。
上で書いた”フレーズ”
これは作曲家によりますが、ごめんなさい偉そうなこと言います。
”コンクールで勝つための曲”に必死になりすぎて、
肝心の主題が存在していない曲がたくさんあります。
「ほうほう、これが主題(旋律)かな?」
「あれ、全然違うの出てきたぞ」
「また新しいのが出てきた」
「最後もこれいつの何の主題だ?」
となるわけです。
そりゃ夏休み全部使って毎日吹けば覚えるのかも知れません。
なぜ3連符が?なぜここにこの音が?これなら休みでも良くないか?とかとか。
それを皆んなで考えよう、になるのかな?
作曲家にとって一番の売れ筋が”コンクールで勝つための曲”であって、
毎日の練習の課題を作ってくれているといえばそうなんです。
ただウケの悪い曲は誰も使ってくれない。
やたらめったら複雑に書いている割に、フルスコア見たら全員ユニゾン、とか。
吹奏楽を聴かない人がこれらを聴いて必ず言う感想が、
「ジブリっぽくて良かった」
いつか課題曲委託作品で久石譲さん参加してくれないかしら。
とんでもない差が生まれると思う。
で、だからといって音楽じゃない!!とは言わないですよ。
生徒が一生懸命に頑張って賞を取る思い出の曲になるわけです。
私もそう思って昔の思い出の課題曲をたまに聴いています。
そして良い曲だなぁって思っています。
しかし!それによって”音色”が変わっていってしまっている。
「皆んなで音作りを!」の意味が全く変わってしまう。
それだとアンサンブルも出来なくなってしまう。
”音量”と”音圧”のお話。
全ての音符がユニゾン、全員クレッシェンド、全員フォルティッシモ。
ばーーーーーーーん!!!
は、確かに気持ちが良い。
「皆んなでひとつに!!!」ってなる。わかる。
これもホントごめんなさい生意気言います邦人作曲家さんの
露骨な”コンクールで勝つための曲”みたいなのに多すぎる。
いや、ホント、分かる。
私も学生時代そんな曲やりたかった。多分嫉妬もある思う。
でも、めちゃくちゃ誤解を生む場合がある。
そりゃフォルティッシモだよ。大きく吹くぜー?
ちょっと口元緩むけどリードをたくさん震わせるぜー?
ばあああああああああああー!!!
なんてことを普通にさせないでほしい。
そりゃ顧問もね。そりゃ質はあるよ?
ただ世の中”上手と下手”をてんびんに乗せたときにね?
”下手”な方が多いのよ。当たり前だけども。
この”下手”な方にそんなことさせると、
そのお方が私立の専門学校行った後にね。
「え?私フォルティッシモで吹きましたよ❓」
みたいな顔するわけですよ。
ほんで、この
ばああああああああー!!
に対して、「何か違うなぁ…」と気づいた方はね、
音楽理論に基づいたお話をするわけです。
第3音だからあーのこーの純正がどーのあーの。
違うんですよ。
問題は、
”吹き過ぎ”
”音色悪すぎ”
”ピッチ悪すぎ”
なだけです。
”吹き過ぎ”に関しては先ほどの部活動。
「皆んなでひとつに!」の精神。
そしてクラリネットは小さい音を出す方が難しいです。
”音色悪すぎ”に関しても先ほどの部活動。
そんなことを過去に言われたこともなければ、歌った気持ちはある。
「フォルティッシモなんで」の精神。
そしてクラリネットは小さい音で良い音を出す方が難しいです。
”ピッチ悪すぎ”に関しても先ほどの部活動。
音量で!!派手に!!!コンクール!!!コンクーール!!!!
そしてクラリネットは小さい音でピッチコントロール激ムズです。
当たり前ですがオケのアレンジ物はめちゃくちゃに難しいです。オリジナルが既に難しい。
楽譜は白いのに、シンプルだから難しい。これも教育的配慮と言うのか、難しいことを出来るだけ避けた難しいことをやっているような…
全部音量で誤魔化してしまえる曲が多いです。
聴こえが良くないとコンクールで勝てませんし売れません。
需要と供給。
伴奏はシンプルに、難しいDuoは避けてアルトサックスのソロ。
そして木低ベースにオーボエ、クラリネットのソロ。
最後はグロッケンとフルートソロ。
アンサンブルすると言えば木管+打楽器。金管+打楽器。
とにかく静かなところは雰囲気ソロ。派手なところは大合奏。
勝つためです。分かります。
もう一度言います。本当に嫌いではないんです。
私の時代にそんな曲が流行っていれば間違いなく大好きな曲だと思います。
で”音圧”です。
これを”音量”と一緒にしている素人さんもいますが全然違います。
というかこれを一緒にしている方は間違いなく上のような曲出身です。
まず、ソロでも良い音色=音圧がある。ということです。
この”良い音色”を他楽器と混ぜて音圧を上げるときに音楽理論や純正の話になります。
そもそも”良い音色”って?ってのは音楽家の常研究対象です。
「これにこのセッティングでこれつけて正しい息入れたらハイ良い音!」
では研究になりません。
これ宅録やDTMを少しかじってて良かったと思いました。
シンセとかをこねくり回して曲作る時って音量と音圧にめちゃくちゃ悩まされます。そもそもどの音域が必要なのか、イコライザーをいじってコンプかけてと、とにかく耳を使います。
クラリネットで例えると、ふっといふっとい音ばっかりなっててもモワモワして輪郭が出ません。かと言って一人だけその中でチャルメラみたいにして吹いててもめちゃくちゃ浮きます。そこにピッチのズレが生じたらもう音量で誤魔化すしかないです。
”音圧”の作り方は一定条件をクリアしていないと合奏では不可能です。
良くない音を出す人はカット。ピッチがズレる人もカットを最低限しないと叶いません。音量ではなく”明瞭さ”です。耳と腕があってからの課題です。
で、その”音圧”はここでアピールかな?と思ってスコアを見ると、
もうそれ以前に楽譜がffffffみたいになっているわけです。
わーー!!!って言ってくださいって言ってるような楽譜です。
うーん…どう伝えたら良いか…
生まれて耳コピでジャズっぽいことしかやったことない人に、
バロック音楽の良さを伝えるって感じです。
どっちかが”音楽だ!!”とかではなく、
どっちも”音楽”です。
音楽を楽しむ分には全然なんでも良い話です。
が、楽しみながら音楽を続けて専門や講師やになった人があまりに増えて、
”吹奏楽”と”音色”は同時に変化していっていると言う話です。
クラリネット単体でも同じです。
ぺッラペラな音が流行ってた時代もあれば、モッコモコな音が流行っていた時代もあって、同じ時代なのにフランスはペラペラ、ウィーンはモコモコ、とか有名な話です。
特に日本は吹奏楽が盛り上がっているので吹奏楽ベースで管楽器を勉強する方も多いと思います。
作曲家も生業にするために盛り上がっている業界に曲を書きます。需要のあるものは売れます。
”音色の研究”というのをどこから得るのか。
ここで路頭に迷っている方が大勢います。
だからセッティングにこだわったりするのかなーと。
「弘法筆を選ばず」なんて古臭いこと言っている時代は知らないうちに終わっていて、「弘法にも筆の誤り」がモチベーションになっているんだなぁと。
私もその世代から何か学ばないと取り残されてしまうのかな。
何度も言いますが、本当に嫌いとかではないです。
音楽は音楽ですし200年後とかにはクラシックとして扱われるんだと思います。
こういう変化の境目に存在できることはとても貴重ですしありがたいことです。
印象派の作曲家も大体最初は認められなかったでしょうし、それでこその”印象派”ですからね。
芸術家なのか商用作曲家なのか、はたまたスキルアップの為の教材を作っているのか…
この辺りがあまりハッキリ見えないことがあるのでツラツラでした…
寿命が500年くらいあれば良いのになぁと思った木曜日の夜でした。
読んでくれてありがとです。
それではまた👋