「人のせいにするな!」のかなしみ
「人のせいにするな!」
って言葉。
ニュアンスでは理解しているんですが、なかなか苦手な言葉。
というのも、このフレーズ。
矛盾がありまして、
人のせいにするな!って人のせいにしているわけですよ。
子供の頃からこの言葉に違和感がありましてですね…
今大人になって、まぁ子供の頃はそれを言われるようなこともしてるか、と
とりあえず納得していたりします。
何で宿題やってないの?→友達に遊ぼうって誘われて…→
「人のせいにするな!」
うんうん。分かります。
なので、大人が子供に教育目的で伝える場合は納得。
「自分の責任でしょ!」という教育は、
とっても大事ね。
が、大人がね、大人に使うときをたまーに見るんです。
まぁ大人でもチンケな言い訳して相手を激怒させることなんて
珍しいことでもないので、別に良いのですが…
大人が大人にこれを使うと、
無限ループに陥るんじゃないか、と。
AからBに。BからCに。CからDに。DからBに。BからEに…
誰かが止めないと傷の回し合いになってしまって、
で、この負の連鎖を止める”優しい人”は大損するわけです。
「俺が出来ないのはお前のせい」→「あ、いや、でも私もあれこれ…」
「ほら、人のせいにしとるやん」
あまりにもジャイアン思考すぎて、
脳みそが止まりそうになるんですな。
で、これをスッキリさせるには何かないかしらと。
まず、「人のせい」にされて困ることって何かしらと。
「私は悪くない」って言いたいわけですな。
誰にも咎められていないのに、
「私は悪くない」って言う人は、
自分への期待値が高すぎますな。
「良く見られたい」と思いすぎなんでしょう。
それほど周りから関心を持たれたいんでしょう。
誰かに咎められている場合に、
「私は悪くない」って言いたくなる人は、
”責任”の話になりますな。
今どこかのコンビニで誰かが発注ミスをしてしまって、
うっかり私のnoteを読みながらミスをしてしまって、
「いや、この記事の人のせいです」となれば、(まぁ頭がこんがらがる気持ちも分からなくもないですが)
「私は悪くない」と言えます。
なので問題点は、
”仕事”や”責任”という部分でして、
私は誰かに発注ミスをして欲しくないと思いながら、
こんな記事を書いているわけではないんです。
責任は発生しないんです。
しかしこの”責任”。
たーくさんあるみたいですね。
極論で言えば、
”人を不愉快にさせない責任”というもの。
まぁ分からんでもない。
秩序を守るために、仲良くするためには必要です。
だから”思いやり”とか無難な関係性を持って、
みんな仲良くして”あげる”わけです。
が、仲良くして”あげる”わけですから、
もちろん我慢もしているんでしょう。
そして生まれる
「私は悪くない。人のせいにするな」
なのかなと。
「私は我慢してきた」とセットでやってきますな。
残念ながら私は仲良くして”あげる”ほど器用ではありませんし、
寄ってくる者も去っていく者もたくさんいますし、
「私たちズッ友(死語)だよ!」みたいな友達もいません。
なので正直羨ましい。
しかし、無理なものは無理なのだ。
好き嫌いではなく、単純に気にしていない。
これがめちゃくちゃ薄情に見えるみたい。
熱いぞ。私は熱い人間なんだぞ。
ほんで、話戻します。
「人のせいにするな」って、
他に言い回しないのかな?と。
で、気になったので英語だとどうなるんかなとパソコンカタカタ。
なぜ外国語?と思うかも知れませんが、
ニュアンスが全然違うんです。特に私にとっては。
”I love you”が”月が綺麗ですね”に変わるくらい感覚が違います。
んで、やっぱり色々言い回しがありました。
英文は省略しますが、直訳で、
「私を非難しないで」や、
「責任転嫁するな」や、
「あなたのミスで私を非難するな」とか。
うーん!分かりやすい。
これだと言っている内容が通じやすい。
「人のせいにするな!!」って言葉より、
よっぽど意味が通る。
責められていないのに、
「私を非難しないで」とは言いませんし、
あなたの責任だ!と言われたら、
場合によっては「責任転嫁するな」って言えますし、
ミスした側が別の人を非難した場合、
「あなたのミスで私を非難するな」と言えます。
「あなたの○○のせいでこうなった」
「私が出来ないのは○○のせいだ」
この○○の内容がちゃんとしていれば通じる話です。
「いやいや、私を非難しないでくれ。そもそも△△があったから〜」
と言えば、△△の内容次第では会話が続きます。
この○○と△△の内容がすっからかんだった場合、
地獄みたいなやりとりが続きます。
先ほどの子供の頃の”宿題を忘れた”話で言いますと、
”友達の遊び”のせいで宿題を忘れたわけです。
すっからかんですな。
そりゃ怒られますとも。
宿題をしなければいけないという”責任”とは関係ない話なので。
宿題をやれば友達と遊んでも良いわけです。
また、中途半端に”責任”を誤解している大人もいます。
さきほどの、
”人を不愉快にさせない責任”の進化版と言いますか、
”やってもらっていることは当然”の感覚。
これは本当に社会経験で学んだことですが、
最初は誰でもなんでも初心者なんです。
ミスをたくさん知れば許す力も比例して身につきます。
ミスの経験値がない人ほど、
「人のせいにするな!」を多用します。
で、そうやって自分のミスから逃げ続けて大人になるので、
もう今更認めることなんてしたら身が滅ぶんでしょう。
(まぁこれは一度ミスして信じられないくらい怒られてトラウマになっているケースもある。メンタルのキャパは人それぞれだから何とも言えん。)
「はいはいどうせ私が悪いんでしょ」
となればもう最低です。
負しか生み出しません。
「人のせいにするな!」って、
本当に悲しい言葉だなぁと。
そりゃ出来れば咎められたくないし、褒められたいし、
って気持ちもわかりますが、
褒められなかったから怒る、とか、
同意を貰えなかったから拗ねる、とか
大事なのは○○や△△の内容の質であって、
その内容に”自分の感情的な気持ち”みたいなのを放り込むと、
もう面倒で面倒で面倒で面倒で。
自分の気持ちくらいちゃんと人に説明できるようにしておかないと。
良し悪しというか、それでこそ”個性”というか。
私も自分の性格をあんまり理解していないからnoteであれこれ書いていたり。
機嫌が良いときは何でも良いし、機嫌悪いときは全部が悪に見えますわ。
だから色々とない知恵絞って人前にお出しできる”個性”を育てないとなぁと。
「〜〜のせいだ!」って使う時は、
二日酔いで苦しいときは、
「前日飲みすぎたせいだ!」と理解できますし、
筋肉痛でしんどいときは、
「昨日動きすぎたせいだ!」って普通に使えます。
具体的な理由がないのに、
「演奏が上手くいかないのは練習不足のせいだ!」までは理解できる。
「練習不足なのは誰々のせいだ!」は無茶がある。
しかもそれが続いて、
「誰々が悪いのはこいつのせいだ!」とか、
どこ深堀してんねんと。
そりゃ「私悪くないわ!!」って言いたくもなる。
負の連鎖。
でも、この流れにストップをかける犠牲者に、
だーれもなりたくない。
この流れを作る人の所詮言い逃れ。
それにみんな轢かれていく。
まぁなんでこんなことを気にしたのかと言いますとね。
仕事先でミスが起きたんです。
製造業なんで間違った物送ったみたいで返品になったわけです。
その製品を作るために関わっている人って大勢いるわけです。
素材を受注、それを切って加工、他の部品と溶接し検品して梱包発送。
機械がおかしいかも知れないし、設定を間違ったのかも知れないし、
注文票が間違っていたのかも知れないし、単に確認不足だったのかもしれない。
ヒューマンエラーなんていくらでも起こります。
ただ誰一人として人のせいにはしなかったんです。
(先週辞めた社員さんは全部人のせいにしてたから退職しましたが)
たった一つの5000円程度の商品ですよ。
みんな「自分かなぁ…」って思えたおかげで、
”誰も不愉快にさせない責任”を果たしたんです。
これが本来の使い方だよな、と。
おかげで原因究明できて、同じミスが起こり得ないルールが作られました。
ただこうやってルールを作りすぎると堅苦しくなるので仕事を楽にするためにも一人一人ちゃんと確認しましょーって。
ここで、たった一人でも「私は悪くない!」なんて言ったら、
おしまいです。
もうこの会社勤めて6年目になりますが、
良い会社だなぁとしみじみ。
さて、早起きもしたことですし散歩でもして、
Netflixで映画でも何か見よかな。
読んでくれてありがとう。
それではまた👋