【5】2011.3.15

※2011.3.11東日本大震災当時のブログに加筆修正を加えたもの。

2011.3.15朝から夜

米の消費をセーブするため朝はクレープを焼く。果物があったので入れる。ガスを使う時間も短くて済むので、ちょっといいかもしれないと思う。でも毎日は無理。朝の4時ごろに大きな余震があったらしいが気が付かず寝ていたことに驚く。

7時29分。洗面所にいたところ、奇妙な音に気が付く。居間に戻ると携帯から「緊急地震速報」。混乱しつつ居間のガラス戸開ける。10分経過しても地震なく、慌てて支度をして家を出る。(これを書いている22時35分頃に余震。直後に関東で震度6強※当時)

原油節約のためビル内の設定温度が三度下がるということで本日より私服で出勤可になる。ドア前の席で日頃から寒いに。私服でも寒い。

未だ歯茎の腫れ引かず。こんなときに歯医者に行きたくないため膿を自力で出すが、すぐに腫れる。朝の速報のせいか、体調悪い。何度か鍵を確認しているうちに疲れて出社。

ガソリンスタンド待ちの列で道路が渋滞している。ガソリンスタンドの「ない」道を縫うようにして走る。出社してすぐに「ガソリンありますか。なくなっても出社できそうですか」という話になる。(※当時の通勤時間、冬場は約45分強)。普通に出社すると、ガソリンスタンドには寄れない。帰る頃には閉店している。あと三日持つかどうか。始発のバスは8時14分。会社までバスで行ったことないけど1時間は掛かる。そして始業時間は8時30分……。なくなってから考えることにする。それじゃダメかもしれないけど、余り考えたくなかった。妹の会社では「勤務中にガソリンスタンドに行ってもいい」ルールが発令されたらしいが、何件も回ってダメで、結局ただガソリンを消費して帰ってきたとのこと。

(避難所で)7人で1枚の毛布を使っているというニュースに愕然とする。Yahooを見るたびに犠牲者の数が増えている状況。最初の地震当初から同じだけれど、身内の安否を祈るというよりは「犠牲者が出ないことを」祈ってる。誰がとかじゃなくて。一人も犠牲者がいませんように。これ以上一人も増えませんように。その願いが届かないのが哀しかった。

地震の障害(というか弊害)で仕事に支障が出る。昨日から気が付いてたけど、様子見てたら、やはりダメ。上司と相談する。

今までアタリマエだったことが、何もアタリマエじゃなくなっている。今まで何度か大きな地震があったけど、それでも、大抵すぐに落ち着いた。はるか沖のとき、あまりの凄さに驚いたけど、次の日には仕事をして電気も戻って、何日か復旧に追われたけど、津波もなかったし、すぐに落ち着いた。(※ただし直後に阪神淡路大震災があり全国規模の会社なのでいろいろ大変だった)あのときは原子力発電所に影響もなかった。津波もなかった。こんなんじゃなかった。

2011.3.15夜(防災の話)

夕方から雪。そして余震が増える。

これは今回地震に遭わなかったかたのための記事。

私の居住地はガスと水道が使用可能。停電のみ。山側の地域なので津波被害はなく、避難所も利用せず。これから書くことは、よくある「防災の心得」と同じ。しかし、分かっていても出来ていないことがいかに多かったか。

まず、懐中電灯は必ず「分かる場所に」置いたほうがいいです。必ず。混乱すると見つけられないのでなるべく入り口近くに。
余震のたびに消していたので不便ではありましたが、ろうそくには助けられました。ただ私はろうそくよりもジェルタイプのキャンドルが便利だと感じました。ろうそくよりは倒れる危険が低く、長時間持ちます。小さいものでも朝まで使えたものもありました。複数の部屋を照らすのは危ないので、ひとつの部屋だけで過ごしました。動かしたときにロウが垂れるのも危ないので、私が今後ストックするとしたらジェルタイプのものでしょう。家のあちこちに置いていたので、探すのが大変でした。地震発生時は昼でしたが帰宅した頃には夜。とりあえず大きいキャンドルの場所は把握していたのですが、それ以外を探すのに時間が掛かりました。なるべく入り口に近く、取り出しやすい数箇所に分けて保管するのが確実と思います。でもやはり、懐中電灯のほうが安全度が高いと思います。

車を持っているひとは、車で携帯が充電できるようにしておいたほうがいいです。たとえ普段使わなくても。本当に助けられました。情報を得ようにも、充電がなければ。携帯で通話やメールが出来なくてもテレビは見られますから、心強かったです(ニュースの内容は決して励まされるようなものではなかったけれど)。

ラジオはやはり必需品。
携帯のバッテリーをなくしたくないのでラジオもよく聞きました。うちにあるものは手動でレバーを回して(多少)蓄電できるものです。感度イマイチでしたが懐中電灯を兼ねていたので便利でした。

食料は、買い占めたり買い漁ったりするのは違うけれど、何日か買い物ナシで生活できる状態がベストだと思います。最近は母親が食事の支度をしていたので怠けていましたが、もっと管理をきちんとしておくべきでした。ただひごろから最低1週間は何も買い物せずとも生きられる程度には何かある状態にしていたので助けられました。
しかし自宅を離れたり避難するケースは別です。非常用持ち出し袋を地震後に作りましたが、そこに入れられるような保存食はひとつも持っていませんでした。チョコレートや飴だけ入れました。反省しています。何度も何度も作るべきだと思ったのに。(※2020年追記:そしてやはり非常用持ち出し袋は続かず今は置いてないです)

地震後すぐに家族と連絡が取れなかったことに混乱しました。何かが発生したときはどこにいくべきかは話しておくといいかも。私は最初旦那に「いとこの家にいる」と話したにも関わらず、実家経由で帰宅してしまいました。たまたま連絡が取れたから良かったものの、可能ならば場所は決めておくほうが確実と思います。現在は、何かあったら自宅に、ということになっています。もちろん避難先が安全とは限らないから必要に応じて逃げることを優先すべき。

当日は移動中に携帯の充電が切れて不安でした。たまたま前の晩に充電をしていませんでした。ガラケーの場合は電池の寿命は1年。携帯の電池が古い場合は、電池を買い換え、長い時間使えるようにしておいたほうが安心。

当然ながら停電時はFF式のストーブやエアコンは使えません。反射板式のストーブがあって、灯油が入っていたので助かりました。余震のたびに消す必要がありますが便利でした。このときは使い捨てカイロにも重宝しました。

(※2020年追記:振り返ってみて困ったのは充電とガソリン)

2011.3.15 追記1

帰宅して、ニュースを見ようとして、大多数のチャンネルが通常番組に戻っていることに驚く。バラエティ番組の明るさに戸惑う。

被災していないひと、地震自体を体験してない人も大勢いるのだから、こういう日が来るのは分かっていても、ちょっとした衝撃を受けた。自分自身は大きな被害を受けていないにも関わらず、ニュース番組以外を見る気分になれず。

イギリスの、インディペンド・オン・サンデーという新聞の見出しで泣いた。日の丸に「がんばれ日本、がんばれ東北」の文字。もっと過酷な状況にある人は、しばらく見ることが出来ないかもしれないと思いながらも。

相変わらず犬は余震のたびに悲鳴。

ドッグフードも品薄。トイレシートと、ドッグフードは昨日購入。たまたま避難しなくても大丈夫だったから良かったけれど、何かあっても、この騒がしい犬をつれて避難所に行くのは難しいだろうと感じている。動物と暮らすことの難しさを改めて知る。ニュースで、屋上で犬と共に過ごしているひとを見たことを思い出す。たぶん、他のかたに迷惑をかけないように寒空の中で屋外にいたのだろう。(※2020年追記:このあとは、最低でも1週間以上過ごせる量のトイレシートとドッグフードを常備するようになった)


先週の今頃は、週末は「SP]の映画を見に行こうと話していた。年度末だから今年も忙しいのか、嫌だなあと思っていた。お彼岸が来るから、岩手にお墓参りに行こうと思っていた。忙しいのが落ち着いたら、友達と遊びに行こうと約束していた。それらが全部白紙になったけど、そんなものはどうでもいい。まだ、そんなに日が経っていないのに、何だかものすごい時間が経ったような気がする。

2011.3.15 追記2


昼ごはんのおにぎりを忘れてしまうというミス。仕方なく「お昼は食べられないかもしれない」と思いながら、昼休みに外出。

驚いた。全部ではないものの、結構な数の飲食店が通常営業だった。飲食店以外も、普通に。普通に昼ごはんを食べることが出来た。メニューも普通。
何もかもが、普通。スーパーにものがなくて、何も変えない状況だからか、不思議な気がした。職場と家の往復だけだったから、ギャップに戸惑った。
はるか沖のときは私も販売の仕事をしていて、(細かいことは忘れたけど、確か)どう考えてもクレイジーな復旧作業を乗り越えて午後には営業を再開した。CDを買いに来るお客さんが多くて驚いた。家が停電だったりガス使えなかったり水が出なかったりしても、とりあえず会社に行っちゃって復旧作業して働いた。だから、それと同じなんだと思うと、不思議なことではないのかもしれない。誰でも目の前のことをするしかないのだから。それでも、自分のまちでありながら、ニュースとのギャップに戸惑って、少し変な感覚だった。


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