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29年目の夏

29年前の8月15日、日本からサンフランシスコに到着した。

このノートに書き綴っているけれど、アメリカに来たのは人生を仕切りなおすため。完全崩壊した離婚の痛手から立ち直るために新しい環境に身を置きたかった。(離婚のいきさつはこちらから)

分厚い雲に覆われたサンフランシスコに降り立ってから29年もたったのだ。いろいろなことがあったけれど一つ言えることはこの国に来て本当によかった!ということだ。日本に帰りたいと思ったことは一度もない。

あのまま日本で結婚生活を続けていたらどうなっていたんだろうと時々考える。多分元夫との子供を産んでキャリアと子育てにバタバタしながら子供が成人して、という生活だったのかな。元夫の浮気が発覚したとき私たちは妊活中でもあったのだ。

相手の浮気による離婚という痛い経験があったから来ることになったアメリカ。精神的な辛さから逃れるためのセラピーとして始めた英語の勉強とそこからの延長で渡米することになった。語学留学から大学留学に転じ、就職したテクノロジー業界では苦戦したけれどレイオフにも合わず職業的に満足のいく立場を手に入れることができた。

いろんな人と出会って別れ、私のことを自分の人生で最も大切 (You are the best of my life)と言って愛してくれる夫とある意味はちゃめちゃなところはあるけれど幸せな生活を送っている。大事なわんこたちは次々に虹の橋を渡ってしまったがもうすぐ18歳という超ご長寿さんのスクラフィはまだ私たちのもとにとどまってくれている。

ウインドサーフィンというスポーツを通じて楽しい仲間たちもたくさんできた。彼らは友達というより仲間たち。私は狭く深くの友達付き合いが好きなので親しい友人の数は少ない。けれど何かあったときに安心して頼ることができるベストフレンドが片手で数えられるだけできた。彼らは私にとって家族と同じだ。

冬は山、夏はマリーナに停泊するセールボートで生活する2拠点生活も今年で16年目に入った。一時はお金がかかりすぎる船生活をやめようと思った時もあったけれど、やっぱり続けようという結論に達し老朽化した船を手放し古すぎない中古船探すプロセスの真っただ中だ。

辛いことだってたくさんあった。でもこうやってきれいな夕焼けを眺めながらこれまでのアメリカ生活を振り返ってみると楽しかった思い出がたくさん蘇ってきて辛かったことはメモリーバンクに探しにいかないと出てこないのだ。思い出って不思議なものだなあと思う。

どのビルから飛び降りようかとまで思いつめたつらい経験があったから今の自分の立ち位置がある。こんな私だから言えることは、今はどんなにつらくても前向きに進んでいけばいつか生きててよかったなと思える時がやってくる、ということ。だからあきらめないで前に進んでほしい。

どんな状況に置かれてもそれをどう受け止めて行動するかは自分次第。生きている限りは辛いことも楽しいことも公平にやってくるのだ。








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