#24 いつも「時間がない」あなたに(私に…?)
直近のnote投稿がいつだったかなと確認したところ、8月8日とのことだった。かなり久しぶりにはなってしまった。毎日(とまではいかないにしてもそれに近い頻度で)更新していれば、書くテーマにも困るまい。だが、こう時間が空いてしまったときのネタとして何を持ってくるかというのは非常に悩ましい問題だ。そして実際にお久しぶりと言われる始末。。。
更新していなかった間、「時間がなかった」のかと言われれば決してそんなことはないと思う。だが、時間がなかったということにさせてほしい(おいコラw)。『欠乏の行動経済学ーーいつも「時間がない」あなたに』(原題: "SCARCITY: Why Having Too Little Means So Much")という本を紹介するためである。ずいぶんと都合のいい導入だな。
会議によくある話
会議と一言で言っても、いろいろなタイプの会議がある。ブレインストーミングや大学のグループワーク、あるいは企業での重役会議など。とはいえ、それらに共通していることがある。会議の始めのうちは抽象的でありきたりな意見が飛び交い、取り止めのない内容に終始しがちである。しかし、ある段階で「中間軌道修正」が起き、その後はメンバーが真剣に会議に取り組むようになるというものである。
では、会議の途中で「中間軌道修正」が起きるトリガーはなんだろうか?これは会議の途中でいつまでに決断を下す必要があるのかという期限をメンバーが意識するようになることである。そうすることによって会議に対する集中度が高まるそうだ。著者はこれを「集中ボーナス」という言葉で表現している。
私自身の経験にもこれは当てはまる。大学時代に模擬国連というサークルに参加していた。参加者が各国の外交官になりきって国際会議をシミュレーションする、というものであり、会議の期間は大会ごとに異なるものの、大学の学期中(春・秋)であれば毎週1回集まって3回から4回ほど2時間近くの交渉を行ったのちに、旅館などに1泊宿泊して会議を行う。この最初の3週間から4週間の交渉では会議の目的を共有したりどの国がファシリテーションを行なったりするのかを決める「議論のための議論」が行われる。ここで大国や利害関係国が必死にゴネるのだ。この時点で「これ会議終わるのか…?」という疑念が湧いてくる。それでも各国が妥協し合える落とし所でなんとか会議が終わるのは、おそらく「集中ボーナス」のおかげだ。(それでも英語で決議文書をまとめる作業をこなす上で時間の欠乏は大変なのだが!)
消防士の意外な死因
消防士の死因として最もよくあるのは火災現場での焼死ではない。二酸化炭素中毒でもない。心臓麻痺だそうだ。それに続く死因は交通事故だそうだ。
これは少し意外な結果かもしれない。だが、火災現場へ一刻も早く到着しなければという意識ゆえに、シートベルトを締めて出動することを忘れてしまうのだとすれば、これは十分に理解ができるものだろう。筆者はこの効果を「トンネリング」と呼んでいる。トンネルの中ではトンネルの外が見えなくなるように、目先の欠乏(この場合は時間が足りないのだが)への対処に集中するあまりもっと重要かもしれないことが意識から追い出されてしまうのだ。集中ボーナスとトンネリングは紙一重である。
途上国ではトンネリングで説明のつく事例が数多く存在する。途上国の農民(目先のお金が欠乏している)は降雨保険の解約という非合理的な行動に踏み切ってしまうことなどはそうした例の最たるものであろう。
結論
経済学は欠乏を研究する学問の元祖である。その中心的なテーマは希少性であり、希少性を所与としてトレードオフに直面した個人の意思決定を明らかにすることだ。だが、従来の経済学が着目しているのはあくまで物理的制約としての希少性である。行動経済学が面白いのは、これに加えてマインドセットについても分析に加えている点だ(もちろんマインドセットを考慮していないことは従来の経済学の価値を毀損するものではない)。
経済学自体も比較的若い学問であるが、行動経済学はさらに若い学問である。それゆえに未完成な点も多いが、そもそも学問というのはいつまで経ってもどこまで行っても未完成なのだ。たとえ化学や物理学であれ完璧な理論など存在しない。だが、若い学問だからこそ新理論の登場によって一気に学問が深化する瞬間に出会える可能性も非常に高いはずである。「時間がない」などと言わず、秋の夜長にそんなダイナミックな行動経済学の世界にダイブしてみるのもまた一興であろう。
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