「恥ずかしいです」と言えた子に泣いた話
自分に対しても子どもに対しても、自身の「感覚」や「感情」を否定せず、言葉で表現できたらいいな、と思っています。
節分の鬼が怖くて保育園を(なぜか2日間)休んだ4歳児(F)が、久しぶりに登園する日の朝のこと。
ちょっとぐずぐずし出したので、どうしたの、と聞くと、いわく、「恥ずかしい」。
母「恥ずかしいの?」
F「うん」
母「そっかー。どうして?」
F「だって◯◯ちゃんとか△△くんとか、会うのひさしぶりだから...」
母「そっかー、わかるよー。ママもさ、学校とか幼稚園お休みしてて、久しぶりに行くときって、なんだか恥ずかしい気持ちだったよ」
F「そうなの?」
母「うん。そういうときはね、先生に『恥ずかしい』って言っちゃうといいよ。自分の気持ちを言うとね、ラクになるし、先生も『そっかー、今日はFちゃん恥ずかしいんだなー』って、ちゃんと見ててくれるから」
F「...うん」
◇◇◇
保育園に到着し、4歳児を先生に引き渡す際、そっと耳打ちをした。Fちゃん、先生にお話ししておきたいこと、ある?
F「恥ずかしいです!(キッパリ)」
どうしたの??と戸惑う先生に、わけを話す。保育園が久しぶりなので、ちょっと恥ずかしいみたいなんです−。
そっかそっか、大丈夫だよー、と先生に迎え入れられた小さな背中を確認し、少しだけ後ろ髪ひかれる思いで来た道を戻る。
あまりにもキッパリと言い切った我が子の様子を思いだし、口元を緩めながら自転車をこいでいたのだけれど、橋の上の横断歩道で信号待ちをしていたら、なんだか急に泣けてきてしまった。
滲んだ赤信号が青へと変わり、マスクで隠れた鼻をグズグズさせながら進む。
–ちゃんと、言葉で言えるようになったんだなぁ。
うながされたとはいえ、である。わたしは子どもの頃、あんなふうに自分の気持ちや感情を声に出せなかった。あれができていたら、どんなふうに生きられただろう。
–すごいなぁ、いいなぁ。
まだまだ先は長い親業だけど、その日はこれまでの積み重ねが実を結んだような、仕事で言えばひとつの結果が出たような、そんな気分になった。
(付けたし:後から考えたら、「恥ずかしい」理由も、わたしではなく本人から先生に言って貰えばよかった、と反省しました。親業、むずい)
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